3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
since 2008.4.4

バンドの話とか

2008-07-24 02:25:32 | 徒然
また二日間も開いてしまった。
これは二日間とも家にいなかったからだ。

本日は大泉学園や石神井公園を散歩した。
暑かった。


前にも書いたかもしれないが、
俺は下北沢の屋根裏や、
高円寺のGEARなどでオリジナルバンドをやっていた。

しかし、メンバーは皆大学を卒業し、
今年度に入って一回もライブはおろかスタジオさえ入っていない。

全盛期の頃は月に4,5本ライブをこなし、
自主制作のCDなども販売していた。

実際音楽が楽しくて仕方がなかった。

しかし、今メンバーはバラバラになり、
合う時間もない状態。
事実上の活動休止だ。
解散はしていないし、
そんな厳密にとらえないで、またやりたくなったらやればいい位の
感じだったのが、
実際にイザ新しい生活が始まってみるとこんな感じだ。

ついちょっと前までは最低でも、
週2日は(火、金)スタジオに入っていた。
深夜練と言って夜の12時から翌日の朝8時ごろまで
スタジオにこもったり、
レコーディングしたりした。

日常が非日常になった。

もし俺がやりたくなったら後の二人に声をかければいいだけの話だ。
今回書きたいことは、
そんな失ったものを惜しむようなことではない。

一年前くらい、
下北沢の屋根裏で対バンしたバンドに、
太平洋不知火楽団というバンドがいる。

なんとこのバンドが今年のフジロックに出場するのだ。

まず驚いた。
一緒にライブをやっていた奴らが、
日本でも有名な夏フェスに出演するのだ。
そりゃ驚くって。

次に感じたのはやはり羨望だ。
うらやましい。
フジロックに出たいか出たくないかと言われたら、
間違いなく出たい。

奴らは一つ目標をクリアしたのだ。

これは一生自慢できることだと思う。
バンドやってる奴らの中では。

そのメンバーのブログに書いてあったのだが、
「フジロックに出るからと言って、
俺の生活になんら変化は起こらない。
だが、フジロックに出たことがありますと言う
形に残せてうれしいのだ。
俺はバンドやってました。
フジロックにも出ました。
と言えるのがうれしいのだ。」

その通りだ。

いまの俺の立場は観客として、
彼らの努力を羨ましがるのが関の山である。

一年前は立場が同じだったはずだが。

別に今からどうしてもフジロックに出たい。
バンドをはじめようなどと言ってる訳ではない。
そんな気持ちは微塵もない。
今、俺には他にやるべきことがあるはずだし。

言いたいのは、
他人が成功したときに、
非常に悔しいと感じるものは、
自分にとっても非常に大事なものなんじゃないのか。

バンドをがむしゃらにやっていたとき、
フジロックに出れるなんて事があったら狂喜乱舞したはずだ。
今更ながら俺に悔しがる資格すらないのかもしれないが、
やはり悔しいと言う感情を持つのは、
それだけ自分の中でバンドが大切なものだったのだろう。


久しぶりにメンバーにメールしてみよう。

スタジオの2時間くらいだったら、
何とかやりくりできる時間だ。

ドラムに触っていない。
自分でも情けなくなるほど鈍ってるんだろうな。

全盛期の頃のような
感性も出てこないんだろうな。

けど、久しぶりにメンバーに会って、
スタジオで爆音の中、
音合わせてみたいな。

俺にとってバンドは大学生活でホントに大事なものであった。
それを改めて感じた。


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