3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
since 2008.4.4

哀別

2008-04-17 21:33:27 | 音楽
と書いて「あいわかれ」とよむ。

俺らが作り出した造語ですけども。

俺らと言うのは、俺が大学時代に組んでいたバンド、
The Walkerである。
いちおう解散はしてないので、
言うならば無期限活動休止状態ってやつである。

メンバーは3人であったのだが、
俺が一番年上で、後は一個下だった。
今となってはその二人も働いていて、
れっきとした社会人だ。

反して俺は無職。
俺らの中にも決定的な差が生じ始めているのであろうか。


春と言うのは
出会いの季節でもあるが、
別れの季節でもある。

このバンドに関して言ってもそうだ。
特に俺は今年は、
出会いというよりも
別れの方に大きな意味があった。

先述のバンドの活動休止、
大学の卒業、
そして5年間働いてきた塾、生徒との別れ。

二度と会えなくなるわけじゃないんだし、
なんて言葉は使いたくない。

俺はあの春特有の別れを経験するときの
なにかケジメ的な気持ちを大事にしたいからだ。

本来、別れは哀しいものだ。
悲しいんじゃない、
哀しいんだ。
ココのニュアンスをぜひ俺は感じ取って欲しいのだが。

その所属していたものや
個人が大事であればあるほど。

別れを伴い、少しも哀しさを感じない存在など
別に会っても会わなくても大差はないものではなかろうか。
その人にとってそれまでの存在なのであろう。

もう一度言う、別れは絶対哀しいものだ。

哀しさに伴い、
何とも言えぬ虚無感、
喪失感を感じる。

俗に言う「心にぽっかりと穴が開いたようだ」ってやつである・。

その感情が良いものであるかは俺にはわからない。
ただその感情は人間として必然であると思うし、
感情に素直に従えば哀しくて涙も流す。
それで良いと俺は思うし、
それならば俺はその感情を大事にしたい。

The Walkerの曲で
そんな気持ちにぴったりの曲がある。

そのタイトルこそが「哀別」

そんな少し物哀しい感情をそのまま
物哀しいギター、ベースに乗せたような曲です。

そして人はその時感じる虚無感、喪失感を
意識的にせよ無意識にせよ
紛らわしていく。

そんな曲です。

この季節にぴったりの曲だなあと自分自身感じてしまった。




ってことでThe Walkerのマイスペに
リンク(ブックマーク)を貼ってしまった。

完璧に自己満なんですけれどもね。
まあ、自分が必死こいて作ってきた曲、
バンドの事をせっかくだからこのような形で
残しておくのもいいかなと思った次第だ。


もし見ている人がいたら、
曲も聴いてみてください。

ちなみにスタジオ一発録りなんで音が荒いです。
ただ聞けないレベルではないかと。

自分たちはスタジオ一発録り大好きでした。
なんかミスとか雰囲気までもそこに記録されるから
生々しく録れるからである。

そんな感じで、では。

最近生活が規則正しい。
俺にとっては奇跡だ。

決死北上~最終回~

2008-04-16 10:04:19 | 
ここ数日至って生活のリズムがよろしい。
朝は遅くとも8時には目が覚める。
夜にはきちんと眠くなる。
日付をまたぐ事なしに寝る事すらある。
この生活を続けていくのが俺にとっては非常に難しい事なんだけれども。

旅行記は今回でお終いです。
さすがにね。


旅行記二日目のこと。
車の中で浅すぎる睡眠をとり、
空はまだ暗い中出発。
宮古市の浄土が浜に向かう。



途中絶対に見ようと言っていた「ベストドライブ東北」という雑誌に載っている
橋も見る事が出来た。

だが以外に遠くて、
結論から言えば浄土が浜には間に合わなかったのだが、
途中で最高の朝日スポットを発見し、
そこで見る事が出来た。




湾岸線(詳しくは忘れた)なる道路があって、
そこの一角に浜に下りられるところがあった。



青春の予感。






ジャケ写撮りまくって、
景色を目に焼き付けて、
青春を満喫する。
朝日と海辺は青春の代名詞だ。
そんな恥ずかしい事を書けるくらい、
綺麗であり、合っていた。

でまた車を走らせ、
この旅の最終目的地である浄土が浜に到着。



開園時間前だったが、お構いなし。
パーキングなくて無断で路駐だが、お構いなし。

あまりに綺麗な景色にしばし酔いしれ、
其の自然の中で吸ったタバコは旨かった。



時期がもうちょっと後だっら泳いでいたであろう。
東北の朝は寒い。



そしてその後展望台なるものがあったので
上ってみる。
途中に一箇所だけ柵がないところがあったので、
自殺したい人はどうぞ。



展望台からは、
教科書に出てきそうな模範的リアス式海岸をパノラマで見る事が出来た。





本州最東端に来たんだから、
いつか西、北、南すべて制覇しようなどという
事を言いながら、
宮古市の市場に朝飯を捜し求めに行く。

魚の開きなどが上からぶら下がってる中、
そしてあまりに威勢のいい店員の声が
睡眠不足の体には少し厳しかったが、
そこで食った海鮮丼は涙モノだった。

こっからは帰路。

俺はひたすら後ろで寝ていた。
気付いたら高速乗ってて、
前沢SAで交代、後はひたすら俺が運転した。

帰り道で一人が5時までに帰らなくてはならなかったのだが、
時間ホントにぎりぎりで結果から言うと5分前についた。
あのときの関越で行くか、川口で降りるか、練馬で降りるかと言う
計算と賭けがまた緊張感を煽る。

さらに途中、一人が余りの尿意から
関越の路肩でしちゃおうかと言うくらいにまでなるが、
何とか丸く収まってよかった。

最後までハラハラドキドキ(死語)の
退屈させない旅だったが、
今回車を600キロ以上運転して、
もう当分車に乗りたくねえなどという気持ちとともに、

やっとこさ帰宅。

一時間後くらいには深い眠りについた。
このまま起きないのではないかと言うほど睡眠を貪り、

この旅は終わった。

長かった…



Fin~

決死北上~セミ最終回~

2008-04-15 12:34:38 | 
たかだか二日間の事を四回に分けて書いてきたわけだが、
今回でおそらく最終回になるだろう旅行記。
ちょっと長すぎるので、そろそろ打ち止めにしないとなあ。

前回どこまで話が進んだかというと、
岩手県は盛岡でじゃじゃ麺を食べに行くところあたりだったと思う。

そして盛岡に到着したのだが、
岩手名物でもうひとつ有名な盛岡冷麺というものがある。
どうせなら両方食いたい。
貧乏症なのかもしれないが、どうしようか。

じゃあ、両方食えばいい、ということで。

両方食った。
まずは冷麺を食いに行く。
冷麺が有名なのに、
俺はあえて温麺を食った。



うまかった。

30分後、そこから徒歩4秒くらいのところでじゃじゃ麺を食う。
じゃじゃ麺ってのは結構面白い食べ物だ。
何がかというと、味付けに自分が好きなだけ参加できる点である。
通常のレギュラーの味付けがまずは出されるのだが、
そこから、甘味噌、ショウガ、にんにく、調味料など入れ放題。
自分の好みの味を作って食うものだ。

いっしょに行ったある一人が、
岩手はじゃじゃ麺で自己紹介が出来るmなんていっていたが、
ホントに出来るだろうな。

「俺はしょうが10で、にんにく7で味噌は8派です」みたいなね。
そして食ったあとにその残りかす(美しくない表現だな)で
チータンと呼ばれる卵スープを頂く。これも味付け自由。
うまかった。てか腹がはちきれんばかりだった。

食い終わって腹も満たされ、疲労もピークに達してきて、
誰も運転したがらない状況が出来るのは、
火を見るより明らかである。
結局は俺が運転したのだが、
どこに向かったのかというと、

盛岡市から、今度は60キロ位東へ、
本州の最東端の市と言われる、宮古市へ向かう。

其の道のりは果てしなく長いものであった。

山越え。

道がすごい。

ハチロクで豆腐運んでるやつがいてもおかしくないような道だ。

けどこの道はとても楽しめた。
なぜかと言うと。

屋外で本物の闇と言うものを体験できるからだ。
中途半端な闇ではない。
言葉どおり真の闇なのだ。

暗いとか言うレベルじゃない。
何も見えない。
どう言葉で表現したらよいのかわからないが、
地下室で明かりを全て消したときくらい暗い。

だから、闇なんだってば。





これで反射板とカメラのフラッシュがない状態ですよ。
車で走りながら2秒ほどライトを消してみて欲しい。
助手席のやつはおろか、
視界は真っ黒に塗りつぶされる。

真っ暗闇の中に入る事が出来る。
てか闇だから車が走ってる感じしないよ。

素で怖い。
闇ってのは怖いんだな。
だから人は光を作ったんだな。



そんなこんなでまた二時間以上運転し、
宮古市に到着。
とあるパーキングで4時ごろ就寝。
睡眠時間は一時間…

岩手の夜はあまりにも寒かったとさ。


冒頭で今回で終わるとか書いといて終わりませんでした。
次の回は旅行記最大のクライマックスになるのでこの辺にしときました。




言の葉たち

2008-04-14 01:53:10 | 徒然
今、熱いお湯に浸かって、
イカリングフライをおつまみに
炭酸入り麦茶(ビール)飲んでます。

ロックとタバコとビールがあれば生きていけるなんて
かっこいい事は言えないが、
ロックとタバコとビールがあったほうが俺の人生幸せなのは確実だ。

オロナミンCのCMでなんだっけ、あの新しい子。
「まーくん」て呼ばれてる子。
名前忘れたけど。

あの子さ、あんな下手くそな演技で
CM撮ってる暇があるなら
一本でも多く投げようとか思わないのかな。

こんな暇人に言われたくないだろうけど。

まあ、プロ野球興味ないんで別にいいんですけど。
高校野球は好きだけどなあ。


もう一昨日になってしまうが、
俺が大学生時代4年間半働いてきた
某進学塾の最後の授業であった。

塾での生活がなかったら俺は何も残らなかっただろう
ていえるくらい俺の中で大きなものであった。

その思い出に浸り、
つらつらと書き始めてしまった日には
本当に短編小説がかけてしまうくらいの
濃い時間だったので、ココには書かない。
何か別の物に記録しておこうと思う。

多くの餞別のの言葉を頂いた。

言葉って力があるなあ。
目に見えないくせに
あんなに人に影響し、
あそこまで人を感動させられるモノは言葉くらいだろう。

誰にでも使えて、
とても身近なものである。

そんな言葉を使った職業に就きたいなどと
腐ったおつむで考えているわけであるが、

最近、ある中国語のせいで、
表意文字の凄さを知った。

ひらがなや英語ではなく、
漢字だ。

其の文字そのものに意味を持たせるって
凄い事だよ。難しい事だよ。

さようなら

Good bye

当然ながら、「さ」にも「G」にも
意味なんてない。

この五文字が組み合わさって初めて
さようならという言葉を認識し、
意味を持つ。

中国語でさようならとは

再見(サイツェン)という。

見るがごとくだ。

再…また
見…会いましょう

其の文字自体が意味を持つって言うのは
けっこう人間頑張ったなあなんて思う。

加えて、この言葉いいセンスしてるよ。
さようならを
また会いましょうって書くんだから。

春という季節ほど
再見、また会いましょうという言葉が
ふさわしい季節は他にはないであろう。


また訳わかんなくなってきた。
自分が何を書いているのだか。

麦茶のせいであろう。

明日は学校に行くので今日はこの辺で。


決死北上~其の参~

2008-04-13 05:54:38 | 
大阪のくいだおれが七月に閉店するらしい。
くいだおれ人形を生で一度くらい見てみたいな。

今度ふらりと行ってみようかな。

暇人の台詞だな。

さてまたこんな時間に起きていますので更新でも。

で夕日を秋田県の男鹿半島で見ようと思ったのだが、
間に合わず。

結局高速で見る事になってしまった。
まあ、原因は全てピクニックによる時間ロスであろう。



きれいだったから良し。

そして何時間も北上し、
岩手県は花巻に到着。

花巻と言えば温泉。

温泉街なるものがあって、
花巻には数多くの温泉が存在する。
まずはあるホテルのパーキングに勝手に駐車し、

目的の温泉に行こうとするが、
地図にはとても細い道が乗っており、
その道が目的地に最短であった。

だがその通りに車を向かわせると
道がない。

どういう事かと、
近くの宿の人に聞いてみた。

「この道行きたいんですけど」

「いや、無理です」

「無理なんですか?」

「この道を車で行くなんて、そんな話聞いた事ないです」


なんて素晴しいリアクションだろうか。
こんな事言われたら、
どうしても行きたくなるのが人間と言うもの。
逆にわくわくし
行ってみようと言う事になった。

よく怪談などにあるその台詞
「あの山は地元の者でも決して近づかね…」
みたいな。

で行ってみたんだけど、
自分たちの愚かさを知った。
無理だったよ。
俺たちは本当にこんな道を車で行こうとしていたのかと。






死ぬよ、間違いなく。

でこの山道を散策し、
ダムと滝を見て感動し、

温泉に向かった。

どこも宿の中にあり、
温泉だけと言うところがあまりなかったのだが、
500円で入れるところを見つけ、
時間は九時までという事だったので、
車を止め、しばし登山。

温泉街なのに普通に山道があったので上ってみた。
頂上でマーキング(立ちしょん)するやつもいた。

星がきれいだった。

で温泉で心も体もきれいさっぱりしたところで、
コーヒー牛乳。

腰に手を当てなかったが
この世にこんなにもうまいものがあったことを初めて知った。

そしてそこにいた地元のあんちゃんと談笑。

俺らの旅の無謀さ、無計画さを聞き、
苦笑い。
お勧めの食い物、観光スポットを教えてくれた。
実は「宿探しているんだったらうちに来ます?」
なんて台詞を期待していたのだが、
世の中はそんなに甘くないものだ。
旅の出会いに感謝し、
「応援してます」と彼に激励され出発。

そしてちょうど腹が減ってきたので、
岩手の名物
じゃじゃ麺を食すため、
30キロ離れた盛岡市外へまた北上。

腹が減ってからの一時間のお預けタイムは
限り無く辛いものでした。

車の中では爆音でPOLYSICS…

気が狂いそうだったとさ…


ココまで来たら、続けます。

平等って何ですか?

2008-04-11 08:59:14 | 徒然
今日はこんな時間に更新。

どうせ寝てねえんだろと思いきや。
今日は五時に起きた。
規則正しすぎる。
これを機に朝日を見て罪悪感とともに眠る生活とおさらばしようと思う。

ううん、何を書こうか。

この時点でタイトルは決まってない。

旅行記を書こうかとも思ったのだが、

別のことを書こう。


先日、ふと思い出したのだが、
結構前に相当賢くない親が、
自分の赤ん坊を運ぶために、
原付のメットインに入れて、
死なせたしまったという事件があったのを思い出した。


疑問が残る。


どうしてそんなバカなマネが
いい年下人間に果たしてできるのかと。


失礼かもしれないが、
一歩間違えればギャグだ。


普通の人間は出来ない。
まあ、普通じゃないからやったんだろうけど。


その赤ちゃんは可哀想というか、
運が悪かったんだな。


子供は親を選べないし。
そんな猿以下の親の間に生まれてしまった事が

人生最大の不運だったんだろうな。

自分がどんな境遇で生まれるかなんて
運だからね。

そんなものは自分で変えられる??

バカ言うな。


自分で変えられるモノなんて限られている。

例えば生まれつき何か体が不自由な人だって世には大勢いる。

かなりテーマが重くなってきてしまうが、

知的な部分で困難を抱えている人だっている。

そのような人が自分で自分をどう思っているのかは判らない。

ただ、俺の独断と偏見で言わせて貰うならば、
やはり不平等に感じてしまうんだ。

そのような人たちが自分を幸せである人間と感じていてくれるのであれば
それはそれでよい。

だが、俺はそうは思えないんだ。
批判されるような事書いているのは判っているが。

俺は教職課程の介護体験で
最重度の知的障害の子と触れ合った事がある。

喋るとか言うレベルではない。

自分で歩く事が出来ない。
自分で口を閉めることが出来ない。
目で何かを追うことができれば其の日は好調な日だ。

余談だが、ある実習生がこの子達の寿命って短いんですか?
とかいう限りなく心無い質問をしたらしい。
コイツの寿命が限りなく短くなってくれる事を望む。
てかその場でそんな事をいえるってのは問題があるな、少し。
ってそれはともかく。

正直に言おう。
最低な台詞を書こう。

俺は何も不自由なものがなくてよかったと思ってしまった。

そして失礼な事に、

人間ってなんて不平等なんだって思ってしまった。


みんな元気に走り回って、
テレビゲームとかしたりして、
友達と遊びまわってるときに、

彼らになんで同じ事が出来ないのか。

それを不平等じゃなくてなんと呼ぶのか。

彼らは彼らで幸せに生きてる。
それは判る。

ただ、いわゆる「普通」の小学生ができる事の多くが
彼らにはできない事であると言うのは確かだ。

俺はそれは不平等であると思う。

可哀想って言う感情じゃないな。

なんて不平等なんだって言う感情だ。


もし人間を「平等」に作った全知全能の神様がいるなら
こいつほど信頼できないやつはいない。

そんな運任せの平等の上でわれわれは生きなければならないんだな。






追記

介護体験である子が
たった二日間なのに、
顔を覚えてくれて、
手を振ってくれた。
涙が出るほどうれしかった。

そんな感動を与えられるのは
同じ状況なら彼らにしかできない事だと思う。




決死北上~其の弐~

2008-04-09 20:04:20 | 
今まで全く関係の無い事をだらだらと書いてきて、
急にここで旅の続きなんぞを書いてみる。

この順序のめちゃめちゃっぷりもまたよし。
などと自分を納得させて生きていこう。
書くこと無いって訳じゃないです。
急に書きたくなったから続きを書く、ただそれだけ。

うんと、どこまで書いたっけか…


あ、ピクニックまでだ。

で、ピクニックしててJAFが来て、
連行される。

須賀川って言う出口で降ろされる。
タイヤを交換するために。
この辺でもう人々のしゃべり方が所沢と違っていた。
語尾が上がる。
近くのタイヤ市場で交換、JAFの精算、


しめて5万5000円なり!



痛すぎます、神よ。

俺はそりゃ留年とかしたり
飲み会にワンコインで行ったりしましたけど、
こんな仕打ちを受けるような事をいつしたのか、
心当たりがありません。

神様、あなたは純粋な心を持っていますか?(ブランキー)

って思いつつ、俺が貯金全部下ろして
精算、あとで、他の二人に割ってもらった。

そしてここで二時間以上足止め(と言う名のピクニック)を食らったため、
計画変更。

車の中では本州の最北端津軽半島まで行くとか言う
限りなく偏差値が低い計画を練っていたのですが、

どうしても朝日と夕日が見たいということで、
計画変更。夕日は秋田の男鹿半島、
朝日は岩手の浄土が浜に決定。

レッツゴー
って気分なんだけど、

運転が死ぬほど怖い。
トラウマってやつか。
強迫観念ってやつか。

いつでもどこでもタイヤが破裂する気がする…

で、そっから三時間北上し、
着きました。

宮城県仙台。

牛タンを食う為だけに途中下車の旅。






なぜか仙台駅前で記念撮影などして、
(道行く人にシャッター頼んだ。仙台駅で)
駅のお土産売り場でつまみ食いして、

「ちの」っていう牛タン食える所で
遅すぎる昼飯。

世の中にはこんなにうまいものがあるんですね、神様。
さっきはごめんなさい。

写真をぜひ載せたいのだが、方法がわからない。

腹も膨れて、
地図を見る。

岩手県、こいつは鬼だ。

東北自動車道でもらえるHighway Walkerっていうガイド冊子があるんだけど
そしてそこに載ってる地図見ればわかるんだが

一頁目…埼玉→栃木→福島→宮城まで
二頁目…岩手のみ

どんだけでかいんですか、あなたは。

俺らが半日以上欠けて必死に来た道のりを
全て飲み込む気か。

でももう後には戻れないので。

北上北上北上北上北上…


続きます、きっと。

世界の終わり

2008-04-08 02:29:24 | 徒然
ミッシェルガンエレファントの超名曲。

何回聞いたか判らない。

フジロックのトリを飾った彼らが最後に演奏したこの曲は
ロック史に残る名場面となった。

いっそ世界なんか終わっちゃえばいいのに。
って思いません?
素敵だ。

病気で死ぬよりも
誰かに殺されるよりも
大事な人に先立たれるよりも
やりたい事山ほどあるのに死んでいくよりも

一瞬で何もかも無になるっていうのが
いいな。

苦しみも恐怖も痛みもなく。

人生とか愛情だとかそんなものが笑えてしまえるくらい
あまりにあっけなく。

その一瞬で全てが無に還る。

どうせいつか死ぬなら、
そんな素敵な死に方がいいな。



けど、そんな事は多分ありえないから、

人は明日に希望を持って生きるんだろうな。

病気で死なないように、誰かに殺されないように
必死に生きていくんだろうな。

で、人生とか恋愛とかに一生懸命になるんだろうな。


こんな俺も
明日世界が終わるとは思ってないから

明日頑張ろうなんて思うんだろうな。





謙虚ライオン

2008-04-07 04:12:32 | 徒然
前の記事を書き終わった後
風呂に入って寝る前にもうひとつ。

今俺の中であるブームが巻き起こっている。

何かというと…


「マネーの虎」である。


もしこれを読んでいる人がいるならば、
誰もが思う事であろう。

今さら!?


けど、俺が思うに
「俺の中で今○○がブームだ」と言うことを考えると

多少今さらと思うものが当てはまるのではないか。

単純に今、流行しているモノや
最先端のものを上の台詞に当てはまるのか。

ただのミーちゃんハーちゃんである(化石語)


小林敬がかっこよすぎる。
義に数字にシビアなところが漢(おとこ)だ。

高橋がなりもいい。
かっこいいし、何より台詞の一つ一つがにくい。

ニコニコ動画で伝説のうどん屋の回を見れて感動した。


ここで話を少し変えて、
全国のブロガーの方々を敵に回そうと思う。

ブログを頻繁に書いている人は暇だ。

極論だが。


マネーの虎で上野社長が言っていた。
「寝る時間があるって事は暇だって言う事だ」

さすが何十億と稼ぐ人は違うなと思うし、
そんな稼ごうとか睡眠を切り詰めよとも思わんが、

「寝る時間」は「ブログを書く時間」に代替可能だ。

別にその人が常に暇だってことではないので。
少なくともブログを書くことが出来る日は暇なはずだ。

俺の話になるが、
大学5年間で最も忙しかった時間は教育実習だった。
朝は5時に起きる。
出勤して
3時半に学校の授業が終了し、
その後部活動のOBとして参加し6時半まで。
そのあと教科担当との説教タイム。
教材作成、実習日誌記入で退社、
帰るのは11時くらいだ。
その後メシ食って風呂入って12時半過ぎ、
その後次の日の予習、授業研究が3時過ぎくらいまで。
それでも終わんないけど。

本当に時間が空いてるのは
通勤時間と睡眠時間のみだ。

そんな時間にブログなど書いている暇は本当に無い。

2時間くらいは寝かせてくれ。

単純に考えれば毎日こんな生活で頑張っている人は
ブログなんか書けない。

俺は毎日の様に(今のところ)書いているので
相当な暇人と言う事だ。


けど、ブログを書いている人は
本当は知っているのだ。

ブログを書く意義を持っているはずなのだ。
俺もそうだ。
暇で時間を持て余しているかもしれないが、

その時間を文章で記録しておくと言うことが
自分にとって何か意味、意義があろと思って書いているのだ。

そんな忙しすぎて日記も書けない様な
生活よりも日記が書ける生活のほうが意味があると思って書いてるのだ。

ブログを書く人はみんなそうだと思う。
何かそこに意味を持っているのじゃないだろうか。


そんなこと俺に言われなくたって知ってるってか。
当たり前だ。



だが断る

2008-04-07 03:08:40 | 徒然
こんばんは。
更新する時間がいい感じに駄目人間のオーラを漂わせてGoodですね。

実は3年前くらいからミクシーとか言う物をやってまして
日記はずっとそこに書いていたんです。

結構頻繁に更新するほうだったけども、
急にブログをやりたくなってこっちに移って来た。
初回の日記ににもあるように、
当然このブログは誰一人として教えていない。

何が言いたいのかと言うと、
ミクシーの他の人の日記を見てて、
やっぱり置いてきぼり感を多大に感じる今日この頃な訳だ。

特に、俺の大学の同期なんか社会人2年目になり
一個下のいわゆる後輩にあたる人たちですら
社会に出て行く抱負だとか、
入社式の様子だとか、
新入社員との楽しい出来事などを書き始めたわけだ。

あ、言い訳するわけじゃないけど、
それがいやだからこっちに来たわけじゃないですよ…
そもそもブログの目的がそんなどうしようもない
時期の事を赤裸々に書いていこうと言うものでしたもので、
そのような状況、感情は大歓迎なんです。

そんな後輩が働いているような時期なのに
自分はと言えば昼まで寝て
ちょっと大学の入学願書を書いたくらいだ。

実に終わっている。

自分のやりたい事ははっきりしているし、
やるべき事は決まっている。
自分は必死にそれをやればいい話なのだが、
人と少し違う道を歩いていくのはそれなりに勇気がいるもんだ。

心配になるもんだ。

時には罪悪感すら感じるもんだ。

俺にはやりたい事があるなんて書いたけれども、
今この時点でハンデを背負っている。
何かというと、そこから逃げ出せないと言う事だ。

そして聞こえはかっこいいが
その分の責任が非常に大きいと言う事だ。

それを選んだのは自分。

動くのも自分。

その結果を受けるのも全て自分。

もう四の五の言ってる状況じゃないので
そんな馬鹿なこと言ってる暇があればすこしでも前に動くしかないんだ。


そして今気がついたんだけど、
けっこうネガティブな事考えたときに
こうやって文章で書き散らすと
けっこうすっきりするもんだな。

俺は俺の道を行くなんて
聞こえはいいけど、

行動が伴わなきゃただの逃げ、いい訳だ。

今日はちょっとでも頑張ろうって思えたから

この辺で勘弁しといてやる。