「キリシタン殉教の道を辿る」は8月にひたちなか市の蔦屋書店のキリスト教コーナーで見つけました。キリスト教の歴史に興味を持つ「不信仰の中の信仰の者」としては手に取らずにいられませんでした。
その内容は、時々、目頭を抑えねばならないほど悲しい数々の物語でした。言葉で表すにもひどく苦しい拷問で老若男女関係を苦しめ、最後には見せしめの処刑。
うちのムスメの年ほどの子が恐ろしい拷問に掛けられて「天の父」に会えるからと信仰を捨てずに処刑される様は言葉に表しようがありません。
私には判らないのです。
なぜ、当時の人はこれほどの拷問を受けたにも関わらず信仰を捨てようとしなかったのか。私が同じ境遇に遭えば間違いなく転ぶ(改宗する)でしょう。
死に直面しても信仰を捨てずに死を受け入れる、当時のキリシタン(キリスト教信者)の方々の気持ちが理解できずにいます。
徳川幕府250年間の間、キリスト信者は「隠れキリシタン」として隠れて信仰を保ち続けました。私は隠れキリシタンというものは九州地方だけで短期間の話かと思っていたのですか、いやいや日本全国に存在して明治時代初期まで行われていたとは知りませんでした。
信仰の自由の下で生活していることに改めて気付かされる本です。機会があれば、是非ともお読みください。