『ライアンの娘』という映画を観たとき、これは旧約聖書の「失楽園」の話ではないか?と思ってしまったんですよ。
でも、楽園てこんなイメージだったかな?と思うようなところが映画の舞台なんですよね。
美しい景色はあるけれど、それが逆に薄汚れた町の色を際だたせるし。
そこに住む人たちもスケベで残酷な表情をしてるしさ。
でも住めば都とも言いますから、きっとこの町を楽園と思っている人たちもいるとは思うんです。
スナック喫茶『楽園』みたいな居心地の良さというのかな。
そういう事から考えて、旧約聖書の『失楽園』を書いた人は、きっとアダムとイヴを追い出した町に住んでる人なんじゃないかと思うんですよ。
もちろん聖書を読んでも、大衆は全く書かれていませんけどね。
だって神が作った最初の男と女ですからね。
しかし、イヴが堕天使と不倫したからといって、神がアダムとイヴを楽園から追い出すでしょうか。
神は何がきにくわなかったんでしょう。
旦那のアダムがイヴを責めたり、普段のイヴへの接し方をアダムが省みることはあるでしょうけど。
神が「こいつら許せん!」「町から出ていけ!」と、まるでマスコミの垂れ流す噂話に乗っかる大衆のような真似はやらないんじゃないですかね。
『ライアンの娘』の冒頭のシーンで、神父が「夢をおいかけるな」と主人公を戒めるんですが、夢を見ずにいられないのが人間でもあるわけでして。
夢破れて過ちをおかしてしまう主人公よりも、同じ人間である自分の振る舞いを省みることもせずに、バッシングを続ける大衆のなんと醜いことか。
主観と客観の絶妙なバランスが、この映画の面白さかもしれない。