ちょっと寂しいぐらいがいいと思うことがあります。
SkypeやZoomで会議に出てますが、画面の向こう側で女性たちが盛り上がってると、疎外感がありますでしょ。
しかも音声が途切れて、時々何を話してるかわからない。
僕はわかったふりして頷いてるわけ。
たまに僕にも話しを振ってくれるけれど、わからないから関係ない事を主張したりね。
なぜそのままにしておくかと言えば、それぐらいが丁度いいと思っているからです。
打ち合わせの時は、ずーっと監督が僕に語りかけてます。
すごい早口で、聞いているのが精一杯。
それがストレスなのか、だんだん眠気が襲ってきましてね。
聞きながらメモをとって、時々愛想笑いを浮かべてます。
でも、バレてるかなあと思うわけです。
なぜそのままにしておくかと言えば、それぐらいでもいいかと思ってるからでしょう。
しかし、直接会って会議や打ち合わせをしていた頃は、こんな寂しい思いはしなかったです。
ちょっと臆病なぐらいが丁度いいと思うことがあります。
危険を察知して避ける事ができるからでしょうか。
何か積極的にやらない分、人前で恥をかく事も少ないかもしれません。
しかし臆病であることは、それだけで恥ずかしいという場合もあります。
ちょっとぐらい臆病なら、まだ挽回の余地があるような気もするものです。
しかし、コロナ禍ではものすごい臆病者が、自身の臆病を正当化する動きが出てきてしまいました。
そのために日本でも新型コロナは、ものすごく恐ろしいウイルスという嘘がまかり通っています。
ヨーロッパやアメリカの感染状況と比較すれば一目瞭然。
日本は経済活動を止める必要は全くない。
目を覚ませ。
臆病過ぎるぞ日本人。