近頃、漫才やコントをほとんど見ない僕が語るのもなんですが。
そういう仕事についての話の中に、客観性というのが出てきます。
それがあるから笑いにつながるということでしょう。
そういう仕事じゃなくても、たとえば冒険家の淡々とした話し方にも時々感じることがあります。
死ぬ思いをしながらも生還した話しを聞いていて、つい笑ってしまうのも、話す人に客観性があるからでしょう。
日常の天然な笑いの中にもそういう事はあるかもしれない。
ただ、意識して微妙なバランスをとりながら笑いをとるというのは、簡単なことではないと思います。
とても難しい。
でもそれが多少なりともできれば、もうちょっと人間関係が面白くなるんじゃないかと思うこともあります。
昨日の『オドレら正気か?』の宮沢孝幸さんは、そういう意味では残念でした。
途中からの視聴だったのですが、宮沢氏が暴れてるんですよね。
なにかコントでも始まったのかと思いましたが、そうじゃなかった。
まあ、宮沢氏はお笑い芸人じゃないですけど、客観性があれば「やり過ぎた」とその場で一言謝ってもよかった。
それが口から出てこなかったことが残念。
宮沢氏の立場を同情的に観ていたのですが。
やっぱり、難しいかもね。