https://www.keigenzeiritsu.info/article/18187
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朝は6時前に起きて朝食の支度やら洗濯やら、色々やって出勤前になつぞらを見るのが日課。BSはなつぞらの前におしんを再放送している。なつぞらを見ようとBSにチャンネルを合わせると、おしんを少しだけ見てしまうことが多い。
その習慣が現在続いているのだが・・・やはりおしんは世界中に愛されるドラマだ。素晴らしい。令和の時代こそ、おしんを見て日本の辿った道を振り返るのがいいと個人的に思う。ここ最近はおしんの我慢がどこまで続くか的な部分が見処だった。
震災で財産全てを失くして、佐賀の旦那の実家に行ったおしんが姑さんにいびり尽くされるまで…がようやく終わった、とにかく辛かった、朝からあれを見ると気持ちが一気に下がるというか、辛いものがある(笑) だけど私はこの後に放送される「なつぞら」が目当てなので、おしんはBGM的に見流しているのでまだメンタルが保てた。あれを昭和のお昼休みの時間帯毎日真剣に視聴していた日本人を尊敬する、おしんが受ける理不尽な仕打ち(放送当時、佐賀県のイメージが悪くなるので、おしん苛めをやめて欲しいとNHKにクレームがあったほど。今なら炎上間違いなし、放送禁止レベル)その境遇には、もう涙も出ないほど悲しくただただ辛い。
おしんは、経営者として成功した彼女が、自分の過去を振り返る物語(回想)が基本になっている。そのためおしんの現在と過去(回想)のシーンが時々行ったり来たりする。地獄そのもの(兄嫁談)だった佐賀の生活に別れを告げ、旦那を佐賀に残し(なぜこれだけ不甲斐ない亭主に真摯に仕えるのかと見ていると腹が立ってくるw)幼子とともに汽車に乗っているおしん、そこで土曜の放送は終わる。では翌週の月曜、おしんはどうなった?と視聴者が前のめりになるところで、何と経営者として成功したおしんが過去を振り返るシーンをまず、もってきた。橋田寿賀子は巧いなぁと思う。観客を引きつける構成力、おしんワールドには強力な磁場が出来ている。
髪結いという自立できる資格を手にしていたおしんだが、佐賀の激務、旦那の暴力(?)とで身体を壊し右手が不自由になっていた。繊細さを必要とする髪結いの仕事が出来ない・・・そのため彼女は髪結いの師匠の家を出て、不自由な右手でも働ける仕事はないか?と懸命に新たな道を探す。私なら「何もしなくていい、おさんどんをやってくれたら助かるわ」という師匠の言葉に甘えてそのままその家に厄介になるだろうに。
そう思って見ていたら、おしんが師匠に「髪結いの仕事が出来ない自分は、それを見ているのが辛いんです」というのがあって胸に刺さった。私は乳がんでリンパをとったために、以前と同じような仕事が出来ない。20キロや10キロのものを持ち上げて運ぶことが出来なくなった。周囲を見渡すとそういう仕事を普通にしている人達がいる、本当に辛くなる、どうして自分だけ出来ないんだろうと何度も何度も思ったし、今でも時折悲しい思いをする。
だからおしんの気持ちがよく分かる、傍で見ているのが辛いと思う気持ちが。私も辛いなぁと何度も思ったけれど、それでも自分の出来ることを精いっぱい全力でやっている。おしんのように飛び出す勇気がない自分は悲しいけれど仕方ない。
今週は3連休だけど、あまり気分が良くなくてとても怠い。blogをかくのがやっとという感じだったけど、昨日みたら閲覧数が凄く上がっているので、また書いてみた。これまで閲覧数が上がるとやめていたけれど(笑)その理由がたぶん古畑関連かと思う、古畑の感想をあげればもっと上がるだろうけれど、残念ながら時間も気力もない。怠いのは一過性のものでおそらく色んな治療の副作用かと思う。普段は120%くらいで仕事をしているので、余力が休日になるとゼロかマイナスになるんだろう。こんな時は、何も考えずにぼんやりするのもいいかもしれないけど、色々やることが頭に浮かぶので本当に困ります…。休んでいても休めない感覚かな。
映画館でアルキメデスの大戦 ライオンキングも見たが、この感想は別にあげているので(SNS)先日NHK教育テレビで放送された ひろしま の感想をあげたいと思う。
たまたまTwitterでこういう映画が作られていたと知り興味をもった。あのオリバーストーン監督も「世界の人が見るべき映画」と評価したという。私は戦争映画は苦手で避けていたけれど、どれだけ凄い映画なのか、その部分が気になったのだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ひろしま
この映画が全国的に公開されなかったいきさつがwikで紹介されている
広島に原爆が落とされてからの記憶が新しいうちに作られた映画なので物凄くリアリティがある、また広島市民が協力して作り上げた映画、そしてその内容から大手映画会社から嫌われ、自主公開しかされず 陽の目を見ることが出来なった作品がこうした時代にテレビで(深夜枠の教育テレビとはいえ)鑑賞できる、逆に言うと平和の尊さをつくづく感じた。だが、もっと公開されて知られて欲しいと思う・・・。
原爆の悲惨さ 戦争の悲しさ 人間の残酷さ 見ているのが辛く泣けてくる。母は「これこそ見なきゃいけない映画、これが現実だ」とつぶやいていた。私達は累々と横たわる死体が眠っていた上で生まれたことを忘れちゃいけない。どんな土地でも海と大地で繋がっているし、歴史は必ず存在してた。
この映画のメッセージ性は鬼気迫るものがあった。世界中の人に知ってもらいたいという気持ちがスクリーンを通して伝わってくる
人類が忘れてはいけない歴史がここにもある。
斎藤一人氏の著作だったと思うけれど、カメラのレンズのように心も見え方を変えるだけですよというお話があった。
人生は考え方ひとつ という見方もあるし、気分をどう変えるかという時このレンズを入れ替えるというのは分かりやすいなと思った。
「心が傷ついた」という言い方を(私も)よくするけれど、これは心ではなく、心のレンズが何かの原因で曇ったり、傷ついているだけという考え方。
レンズが傷ついたのは原因がある、原因を変えようと思っても、それは無理。だからレンズを変えることしかクリアにはならない。
レンズを変えることを知らないと、ずっと傷だらけのレンズのままで過ごさなくてはいけない。またレンズを変えたいと漠然と思っても、慣れたこのレンズのほうがいいなと思ったりする。新しいレンズがスッと上手くなじめばいいけれどなかなか上手く入らないものだ。見える様にピンとを調節し、扱い方に注意しないといけない。
けれど濁ったレンズそのままだと、それは心にゆがんだものを見せて、世界がクリアに見えなくなる。心に大変な負担をあたえてしまう。
勇気と知恵のレンズを心にはめ込むには時間がかかる、でもそれを知ってる人はとても幸せな時間を過ごすことが出来る。どんな些細なきっかけも見逃さず、レンズを入れ替えてみよう。最初は下手くそでもだんだんうまくなる、そのうちあっという間に切り替えることが出来る。入れ替えることを一度覚えたら、クリアな視界で自分の世界が見られる。私もレンズを入れ替える、今そう思ったのでこのブログを自分への決意証明として書いてみた。