パソコン上達日記2

日々の雑感を戯れに綴ります

昭和の隔離病棟

2021-01-17 10:51:43 | 日記

母が今朝語った隔離病棟の話。おそらく昭和30年頃の体験かと思う。

母は岐阜県郡上市出身だが、集団就職をして一宮の紡績工場に勤めていた。年に2回帰省する。母が帰省した時、郡上で(日本各地かもしれないが)赤痢やチフスが流行していたので、実家の住まいにも保健所がやってきたという話を、家族から聞いた。保健所の人にみんなお尻をみせて赤痢じゃないかどうか確かめたという。たぶん家の消毒もしたんだろう。母はその時ちょうど紡績工場にいたから、お尻を見せずに済んだと思いとてもホッとしたと話していた。(若い女性だったから、そう思うよね…。)母の話によると郡上の駅近くに隔離病棟もあった。それは一般の病院ではなく、当時感染症になった人がそこに強制的に隔離される場所だ。平屋建てで立派な建物でもない。おそらくベットもなく、広い畳敷きの部屋に布団が敷いてあるようなもので患者はそこに寝かされたらしい。感染症の患者がいない時は誰もいない。田んぼの真ん中にポツンとその建物があったと話していた。今はもう道路や住居が立ち並び郡上の駅近くのどこにその病棟があったかは分からないという。

母がその感染病棟のことを記憶していたのは、そのお尻を見せるという恐怖もあったと思うが、数年後郡上で仕事の用事で保健所にいくことがありその記憶に起因していると思われる。保健所の女性と親しくなり、そこでその建物の話になった時誰もいない病棟を見学したのかもしれないと言っていた。親戚や家族で誰かが隔離されたということはなく、どうして自分がその風景を覚えているのか考えたら、たぶんそれだろうと。60年程前にはおそらく郡上のような山奥にも隔離病棟があった話は興味深い。

母の記憶を呼び起こしたものはもちろんコロナ報道だ。今のコロナ禍は当時のそれとも比較にならないほど酷い。母は今の現状を、戦争をしているのと同じだから、今はじっと耐えて辛抱するしかない、たぶん3年はかかるだろうといつも言っている。

80年以上も生きていてもまだ未曾有な体験をくぐっていく母。阪神大震災が起こった今日1月17は母の83歳の誕生日でもある。

 

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お知らせと悩み

2017-05-07 19:26:33 | 日記

ここ最近、私を悩ます一つに「面倒くさい病」がある。何もかも面倒くさいのだ。今日もあまりに何もかも面倒くさく、やる気の出ない自分をもしかして病気かな(笑)と真剣に考えた。

でも、面倒くさいのは家事で、好きなことは集中してやれるから、単なるわがまま病か。気乗りすることは、バンバンやるし、気乗りしないことは面倒くさく感じる。ただ以前はもう少し、もっと淡々としてたので、なんでこんなに面倒くさいと思うのか自分でも不思議で仕方ない。そういう年齢だろうか?と、年齢のせいにしたり。( ;∀;)

基本面倒くさくても、家事とか、やらならきゃいけないことはやるし、お弁当だって毎日作ったり。(一人分だから、買うより早いから作っているだけだけ笑)

でもやっぱり面倒くさい。そういえばGW中に姪達と出掛けた時、お弁当4人分作ったけど、だんだん面倒くさくなってきて、次は市販のものを買おうと思ったくらい(でもやっぱり手作りすると思うんだな)料理は1時間以内じゃないと私はダメ。やる気なくなる。

それから仕事は、面倒だとも思わないし、やるゾという感じ。何を言われても家事のような重怠い~面倒くさい病までにはならない。

私の面倒くさい病、治って欲しいんだけど…。

ブログも、最低限のノルマとして週1更新を目標にしてきたけど、これをやめると決めた。実は他にも理由があって、専門性の高いブログ記事を別のサイトにアップしたく、そちらに力を入れたいので。

休載というわけではないけど気乗りする時だけ書くと決めた。面白いミステリ番組の批評か、日常のあれこれだしか書かないし。次回がいつになるか、全く予測尽きませんが。→明日書いたりして。ただ乳がんブログの記事に関しては読まれているため、このままにしておきますが。

とりあえず、ブログが更新されないことは元気ということです。

 

 

 

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誕生日の決意

2016-10-04 20:10:49 | 日記

今日から 仕事は心機一転してフルタイムで。これまで休みも多かったし(病院なので仕方ないけど) なかなか不安もあったけど、

これからは、もっと自分に厳しく甘えないようにする。自分に甘えないということ。

それから昨年からいろいろあったけれど、こうして何事もなく誕生日を迎えられたことに感謝している。

家族や友人・知人・職場の仲間の支えがあってこそだから、その気持ちに報いることが出来るように、毎日を丁寧に過ごすこと。身体を大事にすること。早寝を心掛けること。自然な笑顔で気持のいい日を過ごせるように。

私はとても気を遣う性格ので、気を使わないということは 心がけたい。気を遣うというのは、神経質とか小心とかではなくて、いつも「気」を無駄に使っているみたいな感じ。人に対して「気」を使いすぎると病気になる。自分の気がなくなるので。


 

今月下旬広島に行くことになった。

とても楽しみだな~ 厳島神社は大人になってから行っていないと思うので。

旅行もたくさんしたい1年。楽しい1年にしよう。まずは明日も頑張る~(^^)/

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辛いとき

2016-07-15 17:52:30 | 日記

傷が痛んでとても辛い。

仕事を無事終えたので、自分なりに頑張ったのだから、それでもう十分。

3連休はどこにも行く予定もお金もないので、どうしようかな。

やりたい事とか、やらなきゃいけないことは

たくさん思いつく。

大掃除 買い物 整理整頓 防災グッズの点検 パソコンの勉強 体調を管理する 録画したままのドラマや映画を見る

借りたままの本を読む・・・

ピンとこないけど、いくつ出来るかな。

夏の入道雲、青空がまぶしい。

失ったものと手に入れたものは同じ数になるんだろうか?私はそういうことを思いながら帰路についた。

 

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はつちゃんとお父ちゃん

2016-05-05 19:11:21 | 日記

はつちゃんのお父さんは81歳です。認知症という病気ではありませんが、歳のせいか どんどん自分以外のことは忘れていきます。

はつちゃんが病気をしたことも、もう忘れているのでは?とはつちゃんは内心思いますが

そこまでボケていないとお母ちゃん(76歳)がかばいます(笑)

お母ちゃんは、ここ数日身体の具合が良くありません。

ずっと忙しかったし 気を使うことがあったので、疲れたのでしょうか。

はつちゃんは、心配になりましたが、夕食に作った手作り餃子を「美味しい」とたくさん食べてくれたから 一安心。

お母ちゃんは GWに入ってから おかゆしか食べていませんでした。


 お父ちゃんの仕事は、縫製ですが、仕事が忙しい時がここ1年続いていました。切れ目なく仕事があるのです。でもさほどお金になりません。お金にならないけれど、全くないよりマシですから 仕事をしています。

お父ちゃんは生粋の職人なので、仕事をしていないと落ち着かないのです。最近物忘れもするので、お母ちゃんと仕事の段取りで間違いが多く、よく言い合いをしています。喧嘩する相手がいるというのは 幸せなことですね。

お父ちゃんは、人あたりがよく穏やかで、結構社交的なのです。そして優しいとこがあります。今朝も熊本の地震を見て「可哀想や」とつぶやいていました。毎日熊本の地震をみるたび、つぶやいています。お母ちゃんは、はつちゃに尋ねました。「何かした?」

お父ちゃん達は、本当は募金をしたいのですが、それをする余裕がないのです。というのは、春にお寺さんに大きな出費するとかで。東北の震災の時は、本当にささやかだけど募金しました。毎月6万円くらいの収入(国民年金) だから、数千円でも大きい出費ですね。

はつちゃんは、事情が分かるので、お父ちゃんとお母ちゃんの分まで募金したよというと、お母ちゃんは安心していました。

はつちゃんは、思いやりのある両親の元に生まれて良かったなと思いました。

休みなので、はつちゃんは、久しぶりにお父ちゃんと買い物に行きました。

色々回って用事を済ませました。お父ちゃんのペースはゆっくりなので、それに付き合いました。

最後にスーパーで、はつちゃんは「お父ちゃん、何か食べたいものない?」

お休みだし、何か刺身とか寿司とか、お惣菜でもお父ちゃんの好きな物を買うといいと思ったからです。

お父ちゃんは「何も食べたくない」と言いました。聞かれると いつもこの答えです。

でもレジに行こうとすると、急に思いついたのか、これを持ってきました。

お父ちゃんは、「CMで美味しそうやったんや~」 →CMだから美味しそうに思えるのは当たり前

 

「一度食べてみたかった」といいます。絶品とかいうカレーです。カレーのルーです。やれやれ。

 はつちゃんは、ハウスバーモンドカレーが一番好きだし、姪っ子達が食べられないと思い反対しましたが、たまにはいいかな たぶん1回きりだなと思い渋々買いました。お母ちゃんは 予算オーバーしたので、何を買ったのか後ではつちゃんにしっかり尋ねましたが(笑)、お父ちゃんが「カレーを今度これにしてくれ」と言うと何もいいませんでした。

お母ちゃんは、お父ちゃんに優しいのです。夫婦だからでしょうか?娘のはつちゃんのほうが キツイのでした(笑)

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