パソコン上達日記2

日々の雑感を戯れに綴ります

自分を大事にしてくれる場所はどこか?

2021-01-24 20:29:02 | つぶやき

ふと思うことがある。それは自分のメンタルの強さだ。特に乳がんの治療を終えてから仕事に復帰してから、時々思う。

メンタルの強さというか、よくまぁ自分は鬱病にならないなぁみたいなこと。元々ネグラ(死語)なので。いつ鬱病になっても不思議じゃない状況…、独り身だから働かなくてはいけないし色々大変だ。例えば右腕が前のような重労働に耐えられない。それで最近はデスクワークを3時間ほどやっているけれど、それ以外の時間は重労働にはないにせよ、前と同じで負担がかかる作業ばかりだ。ただリンパを摘出した後の不快感や悩みを、私は会社では全く口にしない、家で母にたまに話すくらい。見た目が普通だから、胸にこんな大きな傷があるなんて知らない人は想像がつかないだろう。でも仕事では10キロ以上のものは持てないと自分から言って助けてもらってる。前は率先して重いものを自分から持っていたからそれを思うと悲しくなる。仕方がないけれど。

何かのデータで乳がんで仕事復帰しても5年位で辞める人が多いと見た。それはすごくよく分かる。5年位で本人の頑張った気持ちがきれるというのもあるかもしれない、また5年位すると周囲の理解も減るので普通の人と同じように働かなくてはいけなくなる。それも辛い。

私もこれまで何度となく頑張ることに疲れたり、色々や体調に関する不安ばかりで死にたくなることもあった。そういう時は嵐が過ぎるのを待つようにただ、ジッと待っている。感情の嵐は何日も続かない、規則正しい生活をすることで気持ちが晴れることがあるのでそれが分かってから、ネガティブな時はそれを受け入れてひたすら気分が変わるのを待っている。あとは趣味を持つこと、自分を受け入れてくれるスペースをいくつかもつ、ネットの趣味仲間でもいい。

昨年の3月仕事を辞めようかと思った出来事があり、以来私は自分の会社に対する依存度(ワーカーホリック)をつくづく考えるようになった。その時辞めなかったのは周囲に止められたのと、(辞める必要がない)あと自分でコロナの時に辞めるのは良くないかなというその2点だった。経済的なことももちろんあるけれど、その時はあまりそういうことは考えられない。たぶん辞めてから経済的な困窮に直面してから、あぁと思うものかもしれない。今も辞めたいなと思っているけれど、その理由は自分を大事にしてくれる空間に身を置きたいなと考えるようになったからだ、きちんと正当に評価してくれる場所で働きたい。けどこれは夢だろう。だからせめて自分で自分を大事にしたい。ネガティブになってもそこで自分を見放さず、迷い悩み悲しむ自分を迎え入れる心をもう一つもつ。そして過去は振り向かない、過去の頑張りや失敗後悔、色んな感情はもう自分の妄想でしかないのだから。

私という人間の後ろにはいつも妄想の自分が立っているけれど、後ろを振り向かず前をいつも見る習慣をつけること。追いかけてくる妄想の自分にとらわれたら、そこから抜け出る手立てを考えること。

働き方で悩むことが多いけれどこれまでと全く違う自分を演じてみせると思うと、それも楽しいかもしれない。

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昭和の隔離病棟

2021-01-17 10:51:43 | 日記

母が今朝語った隔離病棟の話。おそらく昭和30年頃の体験かと思う。

母は岐阜県郡上市出身だが、集団就職をして一宮の紡績工場に勤めていた。年に2回帰省する。母が帰省した時、郡上で(日本各地かもしれないが)赤痢やチフスが流行していたので、実家の住まいにも保健所がやってきたという話を、家族から聞いた。保健所の人にみんなお尻をみせて赤痢じゃないかどうか確かめたという。たぶん家の消毒もしたんだろう。母はその時ちょうど紡績工場にいたから、お尻を見せずに済んだと思いとてもホッとしたと話していた。(若い女性だったから、そう思うよね…。)母の話によると郡上の駅近くに隔離病棟もあった。それは一般の病院ではなく、当時感染症になった人がそこに強制的に隔離される場所だ。平屋建てで立派な建物でもない。おそらくベットもなく、広い畳敷きの部屋に布団が敷いてあるようなもので患者はそこに寝かされたらしい。感染症の患者がいない時は誰もいない。田んぼの真ん中にポツンとその建物があったと話していた。今はもう道路や住居が立ち並び郡上の駅近くのどこにその病棟があったかは分からないという。

母がその感染病棟のことを記憶していたのは、そのお尻を見せるという恐怖もあったと思うが、数年後郡上で仕事の用事で保健所にいくことがありその記憶に起因していると思われる。保健所の女性と親しくなり、そこでその建物の話になった時誰もいない病棟を見学したのかもしれないと言っていた。親戚や家族で誰かが隔離されたということはなく、どうして自分がその風景を覚えているのか考えたら、たぶんそれだろうと。60年程前にはおそらく郡上のような山奥にも隔離病棟があった話は興味深い。

母の記憶を呼び起こしたものはもちろんコロナ報道だ。今のコロナ禍は当時のそれとも比較にならないほど酷い。母は今の現状を、戦争をしているのと同じだから、今はじっと耐えて辛抱するしかない、たぶん3年はかかるだろうといつも言っている。

80年以上も生きていてもまだ未曾有な体験をくぐっていく母。阪神大震災が起こった今日1月17は母の83歳の誕生日でもある。

 

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2021年の夜明け

2021-01-02 16:30:29 | はつちゃんの毎日

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。何とか無事に年を越すことが出来てホッとしています。

時期が時期だけに、色々年末覚悟しましたが何とか自宅でお正月を過ごすことが出来ました。

お正月でも医療関係者の方やコロナに関係する職種の方々にはお休みがありません。それを思うとお休みがあるだけで贅沢な気持ちです。

家にじっとしているだけで私は十分です。一人でも誰にも迷惑をかけず生きられているのでそれでいいです。

普段会社に行くと色んな人と話をしますが、人と話すことはストレスの発散にもなるし、逆にストレスにもなります。

自分に向かっての怒りや愚痴ではなくても、そういう話を聞くだけでエネルギーがかなりいりますね、相手に失礼のないように対応しないといけないし。下手したらこちらに怒りが向きます。そういう人はどうしてもいるし、また人は疲れてくるとどうしても誰かを攻撃したり、また今はコロナということもあって色んな不安から、怒りの方向にむかいがちになるのですね。

すると悪循環になっていきます。帰宅したらもう誰とも口を聞きたくない日々がここ2か月ほど続きました。それでも自分なりにいろいろ気持ちを切り替えて忙しく頑張りました。どうしても気持ちが切り替わらない時はあきらめます。人間だから仕方ない。受け入れます。

blogを閉めようかなと思ったんですが、乳がんの人が何かの参考になるかもしれません。術後5年です、リンパに転移していましたが、私は頑張って前と同じように仕事をしています。感謝しています。リンパ転移した生存率のデータを見たことありますが、やはりいつ転移しててもおかしくないので。あれから自分は自分を褒めたいくらい努力をしました。それは退院してから、仕事を復帰してからもずっとコツコツ色んなものを自分の力で積み上げました。今は崩れないようにまた別の頑張りをする時です。

また気持ちをどう切り替えるかですが、やっぱり好きなことをするのがいいかなと思います。好きなことをしている人、好きなことがある人は楽しそうな幸福感がありますね。人を笑顔にさせるパワーがあります。そういう人は人とのお付き合いの仕方も上手です、きっと自分がしっかりあるからだと思います、他者に依存したり他人に期待したりすることがない。そういう人のほうが、幸せな感じがします。ある心理学の本にこう記載されていました、人は一貫性がない生き物だから自分にも他人にも一貫性を求めることは無理だとあきらめ、それを受容する力をもつことのほうが大事だと。これからの時代はこの受容するというメンタルがもっと必要になるかと思いました。

今は大変な災厄の影が地球を覆っています、いつかその黒い霧が晴れますように。

 

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