演劇「五辨の椿」を日本橋三越本館6階にある三越劇場で観劇した、三越劇場は初訪問、1階5列目で10,000円、ほぼ満席だった、お客さんは9割がたお金に余裕がありそうなご婦人だった、13時開演、途中休憩1回、15時45分終演
【原作】山本周五郎
【脚本】有賀沙織
【演出】大谷朗
【出演】
おしの…栗原沙也加
おその…荒木真有美
喜兵衛…岡森諦
徳次郎…キムセイル
まさ…新澤泉
佐吉…前田一世
島村東蔵…齊藤尊史
中村菊太郎…緒形敦
岸沢蝶太夫…佐野圭亮
六助…稲岡良純
海野得石…坂本三成
青木千之助…中野亮輔
はな/ほか…いまむら小穂
米八/ほか…青木隼
香屋清一…石井英明
小幾/ほか…上倉悠奈
おかね/ほか…大川婦久美
丸梅源次郎…丹羽貞仁
原作は山本周五郎の同名の小説、今まで演劇だけでなく、映画やテレビドラマで何回も取り上げられたことのある物語、山本周五郎は好きな作家だ、日本婦道記、赤ひげ診療譚、青べか物語などいくつかの小説を読んだがこの演劇の原作は読んでなかった
物語は、
天保五年正月、亀戸天神近くの薬種商「むさし屋」の寮の火事で主人の喜兵衛(45)、妻のおその(35)、娘のおしの(18)と一家3人が亡くなった、遺体は損傷がはげしく男女の区別さえつかなかった
その後しばらくして、椿の花びらが現場に残される連続殺人が起こる、踏躇う様子もなく平簪(かんざし)で突かれ、死に至らしめられた男たち・・・いったい何の目的で?
それは、
むさし屋の婿養子の父親は懸命に働き、店の身代を大きくしたが淫蕩な母親は陰で不貞を繰り返した、労咳に侵された父親の最期の日々、娘おしのの懸命の願いも聞かず母親は若い役者と遊び惚けた、父親が死んだ夜、母親は娘に出生の秘密を明かす、そして娘は羅刹と化した・・・父の仇はきっとうちます、娘はそっと平簪(かんざし)を忍ばせた、父を蔑ろにした母を許せないが、母と不貞を働いた男たちも許すことはできない
観劇した感想
劇場について
- 三越劇場は初めてだったが素晴らしい劇場だった、1927年(昭和2年)完成、約500人収容、設計は横河工務所(現・横河建築設計事務所)、意匠を凝らした石膏彫刻や大理石に包まれた周壁、ステンドグラスやステンシルにより色調あざやかに彩られた天井など、華麗なロココ調の装飾
- 閉幕中の照明は電球で、劇場内は薄暗い感じがするが、かえって18世紀ころの欧州の劇場はかくのごときかと思わせる雰囲気がある、劇場全体が一つの芸術作品だ、なお2016年に日本橋三越本店本館が国の重要文化財に指定されている
- 劇場内は写真撮影禁止だった、残念だ
物語について
- 演劇のストーリーはわかりやすく、さすがは山本周五郎だと思った、途中、飽きることもダレることもなく、ずっと演劇に集中できた
- 最初に「むさし屋」の寮の火事で一家三人が亡くなるが、おしのと思われた焼け残った骨はおしのではなかった、では誰だったのかがわからなかった
- 4人の情夫を殺害の後、最後の一人となった実の父丸梅源次郎に対するおしのの復讐が素晴らしかった、他の4人の不貞男を一突きで殺したのと同じやり方はせず、もっと苦しめるやり方を選んだのだ、女だから男を拷問して苦しめることはできないが、それよりももっと苦しんで死んでいくその方法とは・・・これは観てのお楽しみとしよう(と言っても今日が千秋楽だが)
- 不貞は罰せられるような罪ではないかもしれないが、「世の中には定めで罰することができない罪もある」というおしのの決め台詞がかっこよく決まっていたのは山本周五郎のうまさだろう
キャストについて
- キャストではやはり主役のおしの役の栗原沙也加が素晴らしかった、可愛らしい父想いの孝行娘を上手に演じていた、そして可愛い小娘だが怒らせたら怖い、亡き父親から莫大な遺産をもらい受け、そのお金をうまく利用し、名前を変えて、母と不貞を働いた男たちに次々と近づいて、気がありそうな素振りをしつつ焦らし、ついには男に体を許すふりをして男が無警戒に抱きついてきたその時に蜂の一突きが突き刺さる・・・そんな役を実にうまく演じていた、「頑張れ、おしの」と応援したくなるような良い演技だった
- 他の役者も全員良かったが、特に男性陣では最後にキツーイ復讐をされる実の父の丸梅源次郎役の丹羽貞仁が熱演だった、真に迫った演技は十分伝わった
おしのに感情移入でき、泣けました
さて、観劇の後はデパ地下に寄って何かいいものがないか見て歩いたところ、もう桜餅が売っていることに気づいた、暦の上ではもう春だからでしょう、今年も長命寺の桜餅を買いに行くことにしようと思った