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日本橋高島屋「人形町今半」ですき焼御膳

2025年03月11日 | グルメ

都心に用事があって出かけた際、またしても日本橋高島屋で昼食を食べた、今日は地下1階の人形町今半イートインにしてみた、初訪問

先日の春帆楼と同様、今半の売場の中にカウンター席が10席くらいあっただろうか、11時過ぎに行ったらまだ誰もいなかった

ランチメニューはすき焼き御膳とステーキ丼の2種類あり、それぞれに松、竹、梅の3種類の値段がある、今半と言ったらすき焼きなので「すき焼御膳」を選択、一番高い松3,905円を選んでみた、今半は新館6階に出店しており、そちらはこんなお手頃値段では食べれない

カウンター奥に厨房があるようだ、しばし待つと料理が出てきた、見た目は普通のすき焼き定食、さっそくいただくと、肉はかなり大きなすき焼き用のロース牛肉が2枚入っていた、その他に豆腐、長葱、舞茸、糸こんにゃく、青菜などが入っていた、肉はもう1枚入っていたら最高だと思ったが、値段から言って仕方ないでしょう

おいしかった

さて、今半であるが、人形町や浅草で今半を名乗っている店がいくつかある、Googleマップで検索して出てくるのは次の4つ、それぞれ店のwebページで歴史が出ていて、それをちょっと調べてみると

今半本店(新仲見世通り)

  • 明治28年創業(浅草仲見世右裏、初代相澤半太郎)、建物は今半御殿と言われた、戦後昭和26年有限会社今半本店として商売を再開

今半別館(浅草寺の近く)

  • 明治28年創業の今半本店から、大正10年のれん分けで別館が独立

浅草今半国際通り本店(国際通り浅草ビューホテルの近く)(浅草今半のお弁当はここの商品)

  • 明治28年、創業者髙岡伴太郎が本所吾妻橋に牛鍋屋開店
  • 大正元年、二代目髙岡耕治が浅草雷門に遠縁の相澤半太郎と共同経営にて 「今半」を開業
  • 昭和3年、浅草雷門の「今半」から分離独立し、 現住所に「浅草今半」を開店
  • 昭和27年、人形町に「浅草今半 人形町支店」を開店、その後、昭和31年に分離独立
  • 平成元年、飲食部門「浅草今半 国際通り本店」を 「株式会社 高伴」として分離

人形町今半

  • 明治28年今半創業、昭和28年日本橋支店開店、昭和31年人形町今半として独立

複雑である、はっきりしてるのは今半本店から別館が独立、浅草今半国際通り本店から人形町今半が独立、今半本店と浅草国際通り本店との関係はよくわからないが、別館のwebサイトでは今半本店が今半の発祥で、そこから別館と国際通り本店が独立したと書いてある

同じようなケースは他にもけっこうあり、名古屋の味噌煮込みうどんの山本屋、洋菓子の風月堂、和菓子の岡埜栄泉やうさぎやなどまだまだある、日ごろ何げなく見ているが、実は味も少しずつ違うから面白いし好みが分かれる場合もあろう

ご馳走様でした



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