ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

日経「私の履歴書、北岡伸一東大名誉教授」を読んで

2024年09月13日 | その他いろいろ

昨年、北岡教授の「日本の近代5、政党から軍部へ」を読んで勉強になった(その時のブログはこちら)、その北岡教授が8月の日経新聞に「私の履歴書」を書いたので読んでみた

履歴書には教授の近現代史の歴史認識や、教授がまとめた安倍政権戦後70年談話について述べている部分がある、その点について抜き出してみると以下の通りであった

歴史認識について

かつてあれほどすごい変革を成し遂げた日本が、なぜ戦前に愚かな侵略への道をたどったのか。こういう問いが常に念頭にある

戦後70年談話について

日本は大恐慌で打撃を受け、活路を対外膨張に見出そうとした、満州に続き欧州でも国際秩序に対する挑戦が起き、ついに世界大戦となった、国際秩序崩壊の引き金を引いたのは日本だった、アジアの国々と日本国民に悲惨な結果をもたらした政府と軍指導者の責任はまことに大きい

私は、これを読んで唖然とした、こうまでも我々の先祖のことを貶めることができるものだろうか。

我々の先祖が「愚かな・・」とは、また、「国際秩序崩壊の引き金を引いたのは日本」などとどうして言えるのか、学者とはこんなにも傲慢に先祖を断罪できるものなのか

満州事変、日中戦争、日米戦争などは日本が悪かったと決めつけることはできないと思う。教授のような善悪の決めつけは、占領軍が日本人に贖罪意識を植え付けるために考え出した歴史観と同じだ、教授の見解はそこから一歩も踏み出してなく、その歴史感に権威付けする結果となっている

歴史は勝者が自分たちに都合よく書くものだ、それを「ちょっと待てよ」とあらゆる証拠資料を調べて検討するのが学者ではないのか

歴史に限らず物事はすべていろんな角度、立場から見るべきだ、世の中には教授とは違う見方をする人も少なくない、ここではそのうちの一つだけ紹介したい

朝鮮戦争の収束方法に関して連合軍最高司令官であったマッカーサーとトルーマン大統領との間に先鋭な対立が生じ、結果としてマッカーサーはその重職から解任され、本国に召還された、事態は高度な政治問題に発展し、議会上院は軍事外交合同委員会を開催して、当事者の証言を求め、1951年5月にマッカーサーが証言した、その中に日本に関する部分があったので、それを引用しよう

日本は8千万に近い厖大な人口を抱へ、それが四つの島の中にひしめいてゐるのだといふことを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事してゐました。

(途中省略)

日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い・・・・そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。

もしこれらの原料を断ち切られたら、1千万人から1千2百万人の失業者が発生するであらうことを彼らは恐れていました。したがって、彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです(小堀桂一郎編「東京裁判日本の弁明」(講談社学術文庫)より引用)

敵軍の将であり、戦後GHQトップとして日本人に贖罪意識を植え込んだ人が、朝鮮戦争を経験した後でこういう認識に至ったということはあまり知られていない、いろんな歴史の見方を国民は知るべきだ



最新の画像もっと見る

コメントを投稿