(承前)
- 昭和4年のウォール街の暴落以降、不景気が国中を覆っていました、世の中に失業者があふれていました、早くその不景気から脱したいという思いが戦争景気への期待を高めたのだと思います
(コメント)
この世界恐慌により列強は自国及びその植民地を束ねたブロック経済に移行し自国ファーストの政策を急激に進め、資源を持たない日本やドイツ、イタリアは経済的に大きく追い詰められ、大不況に見舞われた。満洲への期待はふくらみ、日本は満洲を自国の経済ブロックと考えるようになる、これを批判するなら列強のブロック経済についても強く非難すべきではないか - 本書では満州事変は北一輝の思想に影響された石原莞爾が世界戦争に備え満洲を手に入れ日本の国力、軍事力育成の大基盤として利用するために考え、実行されたものと説明している
(コメント)
そのような面もあるだろうが、それは一面であって、事変に至までに日本が正当に獲得した満洲の権益について、中国が革命外交などにより無効化し、日本人入植者、居住民に対する日常的な嫌がらせ、虐殺など(南京事件、済南事件など)で多くの犠牲が出たにもかかわらず何の対抗措置をとらない日本政府(幣原外相)に現地の日本人は見放された思いをした。その日本政府に中国は感謝するどころか見下すようになり、その後さらに中国全域で日本人に対するテロ、殺人事件が急増し、満洲でも同様であった、それでも日本政府は善隣外交路線を変えず現地の訴えを黙殺した、このため現地人は満洲の治安維持をしている関東軍に訴えるようになった、リットン報告書でも満洲における日本権益の正当性や、その権益を中華民国が組織的に不法行為を含む行いによって脅かしていることを認定している、本書は事変に至るこういった経緯についてほとんど触れていない - 天皇機関説問題は、天皇を守っている穏健平和派である宮中の重臣達と、それを潰そうとする平沼騏一郎を旗頭とする強硬路線の面々があり、これに軍部が結びつこうとして言い出した権力闘争である、天皇機関説は、天皇は統治するけど議会や内閣の主体的な判断により国を運営していこう立憲自由主義的考えで、これを天皇の力を弱めようとするものだと批判したのが天皇機関説問題である
(コメント)
天皇機関説問題とはどういうことか理解してなかったので勉強になった - 2.26事件後、広田内閣が誕生した、城山三郎は小説「落日燃ゆる」で広田を非常に持ち上げているため大変立派な人と思われているが、この広田内閣がやったことは全部、とんでもないことばかりです。軍部大臣現役武官制の復活、日独防共協定締結、北守南進政策の策定、不穏文書取締法の策定など軍部が誤った方向に暴走することを許した
(コメント)
その通りだと思う、半藤氏が文民宰相であった広田を強く批判しているのは評価できる - 昭和11年2月14日の永井荷風の日記には「現代日本の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なきことの3つなり、個人の覚醒は将来に置いてもこれは到底望むべからざる事なるべし」と紹介している
(コメント)
このような事を紹介するのは碩学の半藤氏ならではであり、大変参考になる、そして、今日でもお粗末な国会議員の振る舞いを見ていると、「この国民にして、この政治あり」(藤原正彦教授)と思わざるを得ない、その政治家を選んでいる国民にこそ政治家の資質について大きな責任があり、政治家を非難しその政治家を選んだ国民を非難しないマスコミも許せない - 南京で日本軍による大量の虐殺と各種の非行事件の起きたことは動かせない事実であり、日本人のひとりとして、中国国民に心からお詫びしたいと思うのです
(コメント)
半藤氏がそのように思うのは自由だが、私は藤原正彦教授の「私は大虐殺の決定的証拠が一つでも出てくる日までは、大虐殺は原爆投下を正当化したいというアメリカの絶望的動機が創作し、利益のためなら何でも主張するという中国の慣習が存続させている悪質かつ卑劣な作り話であり、実際には通常の攻略と掃討作戦が行われただけと信ずることにしています」(「日本人の誇り」p120)という見解を支持する - 昭和13年1月、国家総動員法が議会に提出された、民政党や政友会は懸命に、何とか制限を加えようと頑張っていたのですが、何と左翼の社会大衆党が何度も賛成論をぶったのです。法案が国家社会主義的なものだったからでしょう
- 昭和14年12月26日、日本は朝鮮に対し合併以来、日本人として暮らす朝鮮人に「創氏改名」を押し付けました、朝鮮の文化そのものを真っ向から破壊するとんでもない政策でした
(コメント)
昭和15年3月6日の朝日新聞には、「氏の創設は自由、強制と誤解するな、総督から注意を促す」という見出しの記事がある
(その4・完に続く)
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