選者の目は確かだった(2)
さて、どっちの句を選ばれたでしょうか?
後谷訪ねて淋し儀明川(昭雄)
後谷流れて淋し儀明川(ゆ~)
「流れて淋し」では、作者は上越市高田の市街を流れている儀明川に架かっている高田橋か四ノ辻橋(しのつじばし)に立って、故郷後谷(うしろだに)で小鮒を釣ったあの小川に思いを馳せながら、孤独な自分の心情を詠んでいる。
一方、「訪ねて淋し」は、廃村になった故郷の村、後谷を実際に訪ねて、子供の頃に楽しく遊んだ小川の、その水面に遠い過去の映像を映し出しながら思い出に沈んでいる。親兄弟、自分と同じように年老いてゆく友達、祭り太鼓の音や稲藁の匂い、あの娘と逢った村はずれの一本杉。
どうしても、「訪ねて淋し」にぴったりの心情を七音節以内で表現する英語は思い浮かばない。ということは、「訪ねて淋し」は日本語以外の言語では表現できない素敵な日本の言の葉だったのだ。言い換えれば、「訪ねて淋し」は並みいる世界の言語をフィルタリングして抽出した言葉のエキスなのだ。
私は四苦八苦して楽しみながら言葉をこね回してうちに、ようやく「後谷 訪ねて淋し 儀明川」は卓越した俳句であることが分かった。
コメ主さまから次のようなアドバイスを頂いた:
「『後谷 訪ねて』は『後谷を訪ねて』の意味だと分かるが、
『後谷 流れて』は文法的に考えると意味が曖昧になる。
そこで、『後谷 流れ淋しき 儀明川』としてはどうでしょうか」
なるほど、と思って英語にしてみた:
「後谷訪ねて」 I visited Ushirodanで正しい英文だが、
「後谷流れて」では The river streams Ushirodani は間違った英文で、
The river streams from Ushirodani が文法的に正しい。
The river streams down Ushirodaniなら、表情(感情)のある英文になる。
「後谷 流れ淋しき 儀明川」
これで、入選確実!
次回のブログは、私が翻訳した句の自画自賛になりますが、納得していただければ嬉しいです。(ゆ~)
↑2年前のphotoですが、今朝の妙高山はこんな初冠雪でした。↑