花咲く丘の高校生

平成時代の高校の授業風景を紹介したり、演歌の歌詞などを英語にしてみたり。

笑顔は地球を救う

2024-10-08 | 知っておきたい話
笑顔は地球を救う平成時代の高校                                                                                             
1年生、現在完了形の授業で
「聞くのhearは、hear-heard-heardと不規則変化する。heardを規則変化と勘違いして、『ヒアド』と発音している慌て者も多いが、heardの発音は『ハ~ド』だぞ。困難なという意味のhard『ハード』との発音の違いだが、hardのアーは口を大きく開けて、佐渡おけさを歌う時のように『ハー』と言うのだ。 heardのア~は、『えっ?』って言う口つきのままで、お腹の方からゆっくり息を出して『ハ~』と発音する」
 では皆で言ってみよう。hear-heard-heard... 
「コラっ!うるさい!後ろの列の美香!減点するぞ!」
「え?あっ、はあーい」と言って我に返った美香がにっこりと微笑んだ。
「おお、いい笑顔だ。笑顔に免じて減点は取り消しだ」と言うと、
「え~、先生は美香をえこひいきしているっ」という声がした。
「美香を依怙ひいきだって?とんでもない。ただ、素敵な笑顔に依怙ひいきしているだけだ。いいかい、この21世紀に一番必要なのは、皆の笑顔だ。笑顔が地球を救うのだだから、若者よ Smile and  save the world!」

  
環境大臣さま
SDGsには smart(ぬけめなく)sexy(かっこよく)ではなく、『地道にどんくさく』取り組んでくださいね。

ひとり言
SDGs  誰でもが自分に都合がよいように解釈できるこの言葉は嫌いだ。
SDSs  誰もが逆らえないこの呪文を声高に唱える人間はどうも胡散臭い。
SDGsが CO2を吸収している山林を丸裸にし,ラムサール条約の湿地を潰して、環境破壊の無機質な光パネルで埋め尽くしている。国民から多額の森林環境税』を掠め取ってまで。
SDGsは 一部の者の利権のために庶民から笑顔を奪い、やがて自分以外の生きものを地球から抹消してしまう令和の「呪いの言葉」だから。 
                  
            ご訪問ありがとうございました。(ゆ~)
           

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馬謖は斬られた!

2024-07-03 | 知っておきたい話

あの知事選の2年前、彼は東京中央卸売市場長になった。順調にいけば、年内に豊洲移転が終わり、彼(K氏)は最後の築地市場長で、初代の豊洲市場長となるはずだった。しかし、知事が代わったとたんにあの騒動がもちあがったのである。
 テレビでは、小池知事になった都議会で、盛り土問題について答弁する彼(中央卸売市場長)の姿が放映されていた。部下をかばいながら誠実に答弁している彼の姿に、私は心を打たれた。
わが家の近所にK君という少年がいた。とても聡明な少年だった。
小学1年だった私がスキーで右足を骨折した時、一人の中学生が私を背負って接骨院まで運んでくれた。その中学生が大人になって結婚して、K君が生まれた。
 そんな縁で、高校3年生になったK君に英語を教えたことがあった。苦手な英語が分かるようになって東大に合格できたのは私のお陰だと言って、彼は毎年年賀状をくれた。律儀な青年だった。
東大を卒業したK君は、東京都庁に就職して水道局に勤務した。彼は、「地下に眠るパルテノン神殿」と呼ばれている首都圏外郭放水路の建設に参画して、成功させた。また、十年前、第一回東京マラソンの実質責任者(事務局長)として、東京オリンピックに繋がる世界最大級のマラソン大会の基礎を作り上げたのは彼だった。
テレビでは、盛り土問題について答弁する築地市場長のの姿が放映されていた。朝日新聞「AERA」に次の記事があった。
「何代か前の関係者が犯した失態の責任をとらされて、K 市場長が更迭された。K氏は素直で模範的な幹部。東京都はまた一人優秀な人材を失った」(2016年11月)

  あれは本当に失態だったのだろうか。グレタさんがそうだったように、
あれは環境保護主義者の異常なパフォーマンスか、選挙戦術の一つだったのだと思う。
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できないことはボケのせい、自分のせいではない

2024-04-05 | 知っておきたい話
『自分が高齢になるということ』和田秀樹(新講社)より、そのまま引用しました

できないことはボケのせい、自分のせいではない
 今の時点で、きちんとみにつけておきたい考え方を一つ、書いておきます。
 認知症を恐れる気持ちは「できないこと」が増えてくるという不安から生まれます。プライドの高い人ほど、この不安も大きいのです。
 でも、男女を問わず、たとえ認知症になっても物怖じすることなくできることをやり続けたり、できないことは遠慮なく周囲の助けを借りて実行している人がいます。そういう人たちに共通するのは、どんなにできないことや不自由に感じることがあっても、それは自分のせいではないと割り切ってしまうことです。
「わたしがダメになったんじゃない。これはボケのせいで、わたしのせいじゃない」この理屈は正しいのです。
 その人が本来備えている能力や技術、できることはすべて、その人の中には変わらずにあります。
 認知症がそれを邪魔しているだけで、べつに本人がダメになったわけではありません。つまり状態は状態、「自分は自分」という割り切りさえ持てれば、たとえボケてもいままでと同じように動いたり、やりたいことに挑戦してみることができるはずです。
 当然、他人に助けてもらうとか教えてもらうということにも抵抗感などありません。どんどん動いて自分の世界を広げていきます。
 そういう人たちに比べたら、ボケてもいないのにプライドにこだわって、他人に教えてもらうのを嫌がる人なんか「小さい、小さい」ですね。本人は誇り高い人間のつもりかもしれませんが、たぶん、元気なボケ老人から笑われてしまうでしょう。



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春秋のさだめ(1)

2024-03-11 | 知っておきたい話
春秋のさだめ(1)ー『更級日記』より

菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)が宮仕えの女官をしていた時の話:ーいまも同じか 女心は?ー

      春秋のさだめ  Judging  Seasons

忘れもしない、あれは私が35歳(1042年)の秋のことである。10月初めのある夜、内親王さまの御殿の広間で仏事があった。私は親しい女官のひとりと広間に近い戸口にすわりにいった。読経を聞きながら、ふたりでひそひそ話をしていると、廊下をこちらに来るひとがあった。源資通卿(みなもとのすけみちきょう)、時の政府の高官である。
「こちらへいらっしゃるようだわ。どうしましょう」私が相手の女官にささやくと、
「いまさら逃げ出して、受け持ちの女官を呼びにいったりしたら、かえって失礼よ。ここは、このままでいましょうよ」と彼女が答えた。
 I’ll never forget it. It happened in the fall when I was 35 years old.  One night in early October, a Buddhist service was held in the hall of the Imperial Princess.
 That evening, a monk with a very good voice was going to chant sutras, so I went to sit in the doorway near the hall with one of my friendly ladies-in-waiting, just wanting to hear him. As we were talking with whispers listenig to the sutra chanting, we saw someone coming toward us in the fallway. He was Lord Minamoto-no Sukemichi, a high-ranking government official at that time.
 "It looks he's coming this way. What should we do?" I whispered to the other lady-in-waiting.
She replied, "It would be rude if we run away now and call for the lady in charge. Let's stay here."
 はたして資通卿は、私たちのそばへ来て、話しかけた。落ち着いて物静かなようす。話しぶりも穏かな中年男性である。
「そちらの、もうひとりのかたは、どなたですか」と、私のことを聞くのが、少しもいやらしさがない。世間の殿方のように、色っぽい話はせずに、楽しいこと、悲しいことさまざまの話題を、しみじみとていねいに話しかけてこられる。これには私の心もほぐれ、黙ってばかりもいられなくて、ついつい話がはずんだ。
  As we expected, Lord Sukemichi came to our side and spoke to us. He is a middle aged man with a calm and quiet demeanor and soft-spoken manner. 
 "Who is that other person over there? He asked about me. There was not the least bit of lewdness in his voice. He didn't talk in a sexy way like gentlemen in the world, but spoke to us in a thoughtful and polite manner about a variety of topics, both happy and sad. This relaxed my heart, and I could no more stay silent and just started talking.                                     ーつづくー
 
 現代語訳『土佐日記・更級日記』(森山京著 ポプラ社)より





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更級日記の感性

2024-03-06 | 知っておきたい話
『更級日記』から「春秋のさだめ」の現代語訳と英訳を数回に分けてブログにしたいと思います。
手始めに「春秋のさだめ」の最後の一節で、作者、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)の心情に触れてみます。
お目見え以下のパートタイムの女官にすぎない私(菅原孝標女)は、殿中の廊下で公卿の資通卿(すけみちきょう)から声をかけられたのがきっかけで、淡い恋心を抱くようになって3年が過ぎた。

 (現代語訳)資通卿とのかかわりは、これきりになってしまった。資通卿はまじめなお人柄なので、私の身元を聞き出そうともなさらなかった。あしかけ三年間、その出会いは三回だけ。それも好ましい相手と意識しただけの、淡々とした間柄だった。恋ともいえないような、プラトニックなつきあいに終わったが、私にとっては忘れがたい思い出である。
(英訳) So far was my relationship with Lord Sukemichi. He was such a serious person that he didn't even try to find out my identity.  For three years.  During that time, we met only three times.  It was just a calm relationship where each regarded the other as an ideal conversation partner.  Although we ended up with a platonic relationship that could hardly be called love, it's  an unforgettable experience for me.

 いかがでしたか? 英文は英検準2級レベルです。和文と対比すると、より深く読んでいただけると思います。

 出典: -21世紀によむ日本の古典4- 『土佐日記・更級日記』(森山京著 ポプラ社)









足かけ三年間、その間の出会いは三回だけ。


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