花咲く丘の高校生

平成時代の高校の授業風景を紹介したり、演歌の歌詞などを英語にしてみたり。

愛は線香花火

2024-09-30 | 高校生
愛は線香花火
  授業中のエピソード(平成時代の高校で)
 私:「考えてみれば、永遠なんてものは存在しない。『Never forever.』なんだなあ」
「せんせい、愛は永遠です」と茜が言った。
「そうかなあ、愛だって線香花火のようなものだと思うけどなあ。暗闇にぽっと燃えて、火花が弾けて、すぐに散ってしまう。大切に、大切にしていたものだって、いつかは無くなる。儚いなあ。無常だなあ」
 茜:「今日のせんせいはちょっと変ですよ。どうしたの?奥さんと喧嘩ですか?」
「えっ? う~ん。というよりも、あの『3.11』(東日本大震災)以来、オレの価値観が崩れちゃってさ、人間不信というより、自分不信状態なんだよ。でも、線香花火って好きだなあ。闇夜を密やかに点してくれて、ぱっ、ぱっ、と美しく弾けて、もう少し待ってくれと思っている間に消えてしまう。愛も人生も線香花火なんだよなあ」
「あたいはスターマインがいいです。やっぱ、花火はスターマインです」と
いつも、いつも、前向きな茜さんでした。

                 『花咲く丘の高校生』(p.150)より
  ご訪問ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします(ゆ~)









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猫じゃらし

2024-09-07 | 高校生
 猫じゃらし(再掲)
吹く風に
                  季節を揺する
                猫じゃらし

 まだまだ残暑。夏の疲れか、退屈な授業のせいか、瑠里が居眠りしている。半袖の白いブラウスから日焼けした肉付きのよい二の腕まで見せて、まるでトンボのような格好で机に伏せっている

 私はそっと近づいて行って、オニヤンマが水面に卵を産み付けるように、ツン、ツン、ツンと肘のあたりをつついてやった。
 ぴくりともしないので、今度は中指と人差し指の背で、お団子のような、とっても愛らしい瑠里の鼻をヒョイとつまんだ。
 「あっ、るりちゃん、早く起きて!ゆ~せんせいにセクハラされちゃうよ」と隣席の香奈が言った。
 「セクハラなんかじゃないよ。愛の目覚まし時計だよ。瑠里はどう思った?」
 「う~ん、うちんちの子猫がじゃれていたんだよ~お」

 …そう、窓の外はすっかり『ねこじゃらし』の季節になっていた。
 目には未だ見えていない残暑の終焉を知らせるかのように、あの猫じゃらしが、あちこちでツンツンツン、 ヒョイ、ヒョイ、ヒョイと揺れていた。
                       (2008年9月11日)
ご訪問、ありがとうございました。
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爺の三角関係

2024-09-01 | 高校生
爺の三角関係
古き、よき平成時代の高校でのお話です
1学期の最初の授業で:
「私が教える教科は『英語G』です。私が受け持つからジイなのではなくて、GはGrammar、文章の法則、即ち文法と言う意味です。だから、私の風貌から連想して私のことを『ジイ先生』と呼んではいけません。ゆ~先生と呼ぶように。また、『爺さん』と呼んだら減点します」

2学期が始まったある日の授業で:
 私が板書している最中に、『おジイ』という声が聞こえた。
「今、オレのことを『ジイ』と言ったのは誰だ!その声は、きっと咲来(さくら)だな!」

咲来:「ハイ、すみません。うちのおじいちゃんの話をしていたんです」

私:「そうか、さくらはオレの孫だと思っていたのに、本当のお爺さんがいたのか。残念だなあ」

咲来:「あら、ゆ~先生は嫉妬してるんですか?」

私:「そうさ。『さくらがほしい、花いちもんめ』ってことだよ。この関係を『Gの三角関・・・数』っていうのさ」

するとギャラリーから一声:「うわ~、ゆ~先生のクリーンットだ!」

そう、私と生徒、双方の駄洒落が見事にクリーンヒットした瞬間だった
コロナと令和になった現在は、このような授業は出来ません。もはや先生は『人間』でない方がいいのかもしれません😵 

ご訪問、ありがとうございました。(ゆ~)



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学校が変わった?生徒が変わった?

2024-08-24 | 高校生
これは、約10年前のお話、私が上越市近郊のある高校で常勤講師をしていた時の逸話です。

  ゴールデンウイークの狭間の5月2日に異動してこられた先生方の歓迎会があった。酒が進むと本音が出た。
「実は、この学校へ異動すると告げられた時はびびりましたよ。茶髪の生徒も多くいる教育困難校と聞いていましたので。しかし、授業に出てみると、みんな素直で人懐っこくて、想像していたよりもずっと授業がし易いです」

私が講師として勤め始めた頃(平成10年以前)のこの高校は、確かに教育困難校の一つだったかもしれない。あれから17年経って、今では県内でいちばん学校らしい学校になったと思っている。

単なる学力だけによって薄く輪切りをされて入学してきた生徒だが、明るく素直で、愛すべき生徒達がほとんどなのだ。

私が言った。
 「そうなんですよ。ここ数年で本当に素敵な学校になったんですよ。この学校の先生方の教育力と生徒たちの吸収力は県下一ではないでしょうか。
『風評被害』って恐ろしいですね。そんな風評差別にもめげずに素直に成長している本校の生徒って、涙が出るほど素晴らしいです。これこそ若者の『生きる力』なんでしょうね。
それにしても、この風評被害がいわれなき『いじめ』となっていることに気づかないマスコミや世間の大人たちは(いつもは苛め、苛めと騒ぎ立てているくせに)全くどうかしていますよね」


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