ナナ子ー(2)
妙高山から夕立が降ってきたので、シゲルたちは神明社の境内に駆け込んだ。
シゲルたちは御堂に潜り込んで、パッチ(めんこ遊び)をした。赤バットの川上や青バットの大下、火の玉投手荒巻などの絵がある丸いパッチで、阪神ファンのシゲルは物干竿の藤村選手のものを集めていた。
雨が上って午後4時が過ぎて、仲間たちが家に帰ってしまうと、シゲルは急にあの女の子のことが気になってきた。雨に濡れていないだろうか、無事にお家に戻っているだろうか。
路傍に花咲く畑道を抜けて、あの女の子が現れたヒナゲシのお花畑に出ると、道端の土が小高く盛られていて、その上にはユウスゲの花びらで縁取られた、子供の握りこぶしほどの小石が載せてあった。あの女の子は何処にもいなくて、ヒグラシだけが鳴いていた。
カラマツの林のもっと上の方にある白樺林の中に白い洋館が見えた。あの女の子はあの別荘の子なのだ、シゲルはそう思った。
あれから三年が経って、シゲルは中学生になった。その夏休みが終わる日に、シゲルはあの小道を辿ってみた。三年前のあの日以来、夏休みの終わりが近づくと、まだやり遂げていない宿題が残っているような、そんな不安な気持ちになっていたのだ。
シゲルは神明社のクヌギの森からカラマツ林に通じる道を辿っていった。北國街道沿いの小川の浅瀬に、農耕馬用の「馬洗い場」があって、岸には月見草やオトギリソウが咲いていた。北国街道を横断すると、清水が湧き出ている小さな祠(ほこら)に馬頭観音が祀(まつ)られていた。
オオバコや白詰草を踏み踏み、シゲルは馬頭観音の山道を上っていった。道端の芝草の中から、捩摺(もじずり)のピンク色の穂が細長く伸びていた。その向こうには、黄色い小花をいっぱいつけて女郎花(おみなえし)が咲いていた。
女郎花が群れ咲く山道をさらに上がっていくと、ヒナゲシが咲いていたお花畑に出たが、芥子の花はもう無くなっていて、あのセミのお墓も見当たらなかった。そして路傍にはユウスゲが咲いていた。シゲルはユウスゲの幹に留まっているセミ殻、空蝉のアブラゼミをじっとみていた。
どこかでヒグラシが鳴いた。落葉松林のずっと向こうの白樺の木に囲まれた洋館の少女、「ナナ子」と名乗ったあの子は、今もあそこに住んでいるのだろうか。あの白い別荘を訪ねて、あの少女に三年前の夏の日の、あの行為を謝りたいと思った。いや、絶対に謝罪すべきなのだ。そして生命の尊さと、その儚(はかな)さを知らしめてくれた少女、ナナ子さんに、心の底から感謝の言葉を伝えたかった。しかしシゲルにはその勇気が無かった。第一、どこの馬の骨かも分からない、毬栗(いがくり)頭で野暮(やぼ)で胡散(うさん)臭い、片田舎の得体(えたい)の知れない少年が、のこのこ訪ねて行ったって、門前払いお喰らうにきまっている。
一匹のアゲハ蝶が飛んできて、ユウスゲの花に留まった。
ヒグラシが一斉に鳴きだした。カナカナカナと鳴くヒグラシの声が、あの日のあの瞬間の、あの少女の悲鳴と一緒になって、シゲルの耳に「ウワーン、ウワーン」と響いてきた。(完)
以上、「ナナコ」は私(ゆ~)が『文芸妙高第41号』に寄稿した「蝉しぐれ」の一部を切り取ったものです。お読み頂きありがとうございました。
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