花咲く丘の高校生

平成時代の高校の授業風景を紹介したり、演歌の歌詞などを英語にしてみたり。

ナナ子 -ショートショート(2)

2024-07-23 | ショートショート
ナナ子ー(2)
 妙高山から夕立が降ってきたので、シゲルたちは神明社の境内に駆け込んだ。
 シゲルたちは御堂に潜り込んで、パッチ(めんこ遊び)をした。赤バットの川上や青バットの大下、火の玉投手荒巻などの絵がある丸いパッチで、阪神ファンのシゲルは物干竿の藤村選手のものを集めていた。
 雨が上って午後4時が過ぎて、仲間たちが家に帰ってしまうと、シゲルは急にあの女の子のことが気になってきた。雨に濡れていないだろうか、無事にお家に戻っているだろうか。
路傍に花咲く畑道を抜けて、あの女の子が現れたヒナゲシのお花畑に出ると、道端の土が小高く盛られていて、その上にはユウスゲの花びらで縁取られた、子供の握りこぶしほどの小石が載せてあった。あの女の子は何処にもいなくて、ヒグラシだけが鳴いていた。
 カラマツの林のもっと上の方にある白樺林の中に白い洋館が見えた。あの女の子はあの別荘の子なのだ、シゲルはそう思った。
あれから三年が経って、シゲルは中学生になった。その夏休みが終わる日に、シゲルはあの小道を辿ってみた。三年前のあの日以来、夏休みの終わりが近づくと、まだやり遂げていない宿題が残っているような、そんな不安な気持ちになっていたのだ。
 シゲルは神明社のクヌギの森からカラマツ林に通じる道を辿っていった。北國街道沿いの小川の浅瀬に、農耕馬用の「馬洗い場」があって、岸には月見草やオトギリソウが咲いていた。北国街道を横断すると、清水が湧き出ている小さな祠(ほこら)に馬頭観音が祀(まつ)られていた。
 オオバコや白詰草を踏み踏み、シゲルは馬頭観音の山道を上っていった。道端の芝草の中から、捩摺(もじずり)のピンク色の穂が細長く伸びていた。その向こうには、黄色い小花をいっぱいつけて女郎花(おみなえし)が咲いていた。
 女郎花が群れ咲く山道をさらに上がっていくと、ヒナゲシが咲いていたお花畑に出たが、芥子の花はもう無くなっていて、あのセミのお墓も見当たらなかった。そして路傍にはユウスゲが咲いていた。シゲルはユウスゲの幹に留まっているセミ殻、空蝉のアブラゼミをじっとみていた。
どこかでヒグラシが鳴いた。落葉松林のずっと向こうの白樺の木に囲まれた洋館の少女、「ナナ子」と名乗ったあの子は、今もあそこに住んでいるのだろうか。あの白い別荘を訪ねて、あの少女に三年前の夏の日の、あの行為を謝りたいと思った。いや、絶対に謝罪すべきなのだ。そして生命の尊さと、その儚(はかな)さを知らしめてくれた少女、ナナ子さんに、心の底から感謝の言葉を伝えたかった。しかしシゲルにはその勇気が無かった。第一、どこの馬の骨かも分からない、毬栗(いがくり)頭で野暮(やぼ)で胡散(うさん)臭い、片田舎の得体(えたい)の知れない少年が、のこのこ訪ねて行ったって、門前払いお喰らうにきまっている
一匹のアゲハ蝶が飛んできて、ユウスゲの花に留まった。
ヒグラシが一斉に鳴きだした。カナカナカナと鳴くヒグラシの声が、あの日のあの瞬間の、あの少女の悲鳴と一緒になって、シゲルの耳に「ウワーン、ウワーン」と響いてきた。(完)

 以上、「ナナコ」は私(ゆ~)が『文芸妙高第41号』に寄稿した「蝉しぐれ」の一部を切り取ったものです。お読み頂きありがとうございました。
なお、「文芸妙高」は市民の手作り文芸誌ですが、応募資格は、「妙高市民だけでなく、妙高市及び『文芸妙高』に心を寄せている妙高市以外の人」となっています。
例えば、妙高市に「るさと納税」された人や、「文芸妙高(@1200円)を購入して下さる方は大歓迎です。 ふるってご応募ください。
募集作品は、小説・随筆・詩・短歌・俳句・川柳でペンネーム可です。
応募締め切りは、毎年9月末日。発行は翌年2月末です。
応募などの詳細については、下記へお問い合わせください。
 〒944-0046 妙高市上町9-2 妙高市図書館内 文芸妙高編集委員会
 電話 0255-72-9415
 メール myoko_lib@extra.ocn.ne.jp

 ご訪問、ありがとうございました。(ゆ~)










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ナナ子(ショートショート)

2024-07-19 | 思い出
ナナ子(ショートショート)

「あのセミでっかいぞ。シゲちゃん、登って捕ってこねか」
仲間に煽てられて、シゲルはその大きなカラマツの木に飛びついた。真上から照り付けてくる太陽の光線は、カラマツの枝で多少は遮られてはいたが、その熱気は下生えまで達して、ムンムンと子供たちの周りを囲んでいた。
「シゲちゃん、逃がさねとうに、そっと登れや」
  仲間たちは、真夏の昼下がりのギラギラした耀っぽい日差しを小手で遮りながら、シゲルの一挙一動を見上げていた。
 こっくりと頷いて、シゲルは丈夫そうな枝に手を掛けながら、抜き足差し足でアブラゼミに近づいていく。セミは、鳴いている間は逃げないものだ。息を止めて右手をヒョイと伸ばした。
おーい、捕ったぞ」
「でっかいか。気いつけて下りてこい来いや」
仲間たちも、皆、自分がそのセミを捕った気分になって、はしゃぎながらカラマツの林の藪から出てきた。意気揚々と、ダラダラ坂の野道を下りていく。道端のミヤコグサや立葵、そして・・・ヒナゲシの花。
 あれ、れ、ヒナゲシのお花畑に女の子が・・・。女の子、田舎の子には珍しい麦わら帽子の下に長く垂らしたおさげ髪。白いドレスの両肩が膨らんでいて、西洋のお人形のようだ。赤いソックスに、白いズックのスニーカー。
シゲルは慌ててセミを掴んでいる右手を後ろへ隠した。
「なあに?」
「ほら、アブラゼミだ。俺が捕ったんだぞ」
「あら、翅をバタバタさせているわ。かわいそうだわ」
 シゲルは女の子の顔をじっと見た。まん丸い顔に黒い瞳。日焼けのしていない薄紅色の頬。なんだか悪いことをしているような気になって、つき出していた右手を引っ込めて、きまり悪そうに、仲間の方を見た。 
 微かに吹いて来た風にヒナゲシが揺れて、女の子のドレスも揺れた。
あのね、セミって七日鳴いたら死ぬのだって。お母さまがそう言ってたわ」
 セミが七日しか生きていないなんて、シゲルは知らなかった。というよりもセミの命なんて考えたこともなかったのだ。
 「ねえ、逃してあげなよ。そのセミ放してあげてよ、ねえ」
 シゲルはぶっきらぼうに「嫌だい」と言った。
 「なら、あたいにちょうだいな」
 もし、周りに仲間の視線がなかったなら、素直にセミを渡していただろう。
 「ねえ、そのセミちょうだい。ナナコにちょうだい。ねえ」と言って、女の子はシゲルの手を掴んだ。柔らかな手だった。
 「嫌だい!」
 女の子の手を振り払うと、シゲルはアブラゼミを道端に投げつけた。セミは裏返しになって、「ジジジ ジジジ」と悲鳴をあげて、バタバタと両翅を地面に打ちつけながら、お腹を見せたまま独楽のようにぐるぐるスピンしていたが、やがて動かなくなってしまった。
「意地悪!」麦わら帽子の下で長い眉が「ぴくっ」と動いて、まん丸の瞳が「きっ」とシゲルを睨みつけた。
 誰かが「わあい」と言った。すると、皆が「わあい」と叫んだ。シゲルは黙っていた。
 女の子が「わっ」と泣き出した。その白い指から涙が落ちた。
 辺りが急に暗くなった。西の空を見上げると、妙高山の方から、夕立が迫っていた。
 「夕立が来るぞ、早くに逃げろっ!」
 仲間たちが我先に走り出したので、しかたなくシゲルも全速力で坂道を下って、神明社の軒下に駆け込んだ。(続く)

これは、妙高市図書館が年1回発行している「文芸妙高」に投稿した短編小説『蝉しぐれ』の一部です。次回もよろしくお願いします😍 (ゆ~)
 


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チハル

2024-07-12 | ショートショート
チハル(青春の幻影
前回の『ファニー』と併せて読んで頂けると有難いです。

その翌日、僕はあの少女に会えるかも知れないというバカげた考えと、いつもの習慣で、古本屋で見つけた『ハイネ詩集』を片手に砂浜へ向かった。昨日の場所まで行くと、ベージュ色のカーディガンを纏った彼女が白い砂の中に立っていた。
 そんなことがあってから、チハルという松葉杖の少女との黄昏時の散歩が僕の生きがいの全てになっていた。僕はチハルと連れ立って、何回も何回も名曲喫茶や映画にいった。シューベルトやチャイコフスキーを聴いたし、『慕情』や『ローマの休日』も観た。
 チハルのまだ蒼い籠には、いくつもの素敵な果実が入っていて、デートのたびに熟れていった。僕たちは、その蜜のように甘い果実を二人だけで食べた。
 しかし、嫉妬深い運命の神様が、残酷にもチハルと僕を不幸のどん底に陥れたのだ。
「チハルはもうダメなの。チハルの足はもう治らないの。骨が少しずつ朽ちていくの。シゲルさん、チハルね、お料理やお裁縫を習うの。お掃除や洗濯も・・・それからね、赤ちゃんの育て方も勉強するわ。
 ね、チハルの足を見てちょうだい。ほら、こんなに歩けてよ。シゲルさんの好きなルンバも、きっと上手に踊れるよ。ね、一緒に踊らない?・・・でも、もうダメなの。みんなみんな遠くへ消えてしまった夢なの。今からチハルは、あの水平線のずっと向こうまで泳いでいきます。そして、もっともっと足のほっそりした、コロコロと芝生の上を飛び跳ねるようなチハルになって戻ってくるわ」
・・・あのときから、60年という長い歳月が流れた。夢かと思えば夢で、うつつと思えばうつつの、その狭間(はざま)を時が流れ過ぎていった。愛(いと)しくて、握りしめていたかったのに、儚(はかな)くて、掴みどころのない映像が、さらさらと零(こぼ)れていった。短いといえば短い歳月だった。
僕は、今日も、孤独の塔に立てこもって、茜色のワイングラスを片手に、かすかに聞こえてくる波の音にじっと耳を澄まして、黄昏の海を眺めている。モノトナスな潮騒のリズムが、ルンバに変わるとき、きっとそのとき、チハルは還ってくるのだから。(

 これは、以前、地元誌「文芸妙高」に寄稿した短編小説『黄昏』の一部を切り取ったものです。最後の部分は、このブログに載せたかも、です。ご訪問ありがとうございました。😊 (ゆ~)

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ファニー(人生の幻影)

2024-07-06 | ショートショート
 ファニー
クリスマスキャロル』や『二都物語』の作者チャールズ・ディケンズの短編小説 A Vision of Life(人生の幻影)から、勉学に励む少年期の「学び」、青年期の「恋人」、老人の「幻影」の3コマの映像を翻訳しました。
 少年
その昔、一人の旅人がいて、彼は旅に出ました。そして、森の中のうす暗い道を辿っていくと、勉強の好きな少年に出会いました。そこで、旅人は少年と一緒にジュピターやジュノー、ギリシャやローマのことなどを学びました。勉強だけでなく、乗馬やクリケットも楽しんだし、夜中までダンスもしたし「シアター座」にも行きました。
 だが、ある日、旅人はこの少年を失いました。その名を呼んでも戻っては来なかったので、旅人は一人で旅を続けました。
 恋人
旅人はまた一人で旅を続けました。しばらくの間は何ものにも出遭わなかったが、とうとう恋ばかりしている一人の若者に出会ったのです。  旅人はその若者と一緒に恋の旅に出ると、二人はほどなく初めて見るような別嬪さんに出会いました。
― ちょうど、あそこの隅っこでこっちを見ているファニーのような ― 彼女の瞳はファニーとそっくり、髪もファニーで笑窪もファニー。そして、ファニーの噂をしていると、彼女は、まるでファニーのような笑顔で頬を染めていました。だから若者はファニーに恋をしてしまったのです。 
ー 始めてここに来た時に、名前の言えない誰かさんがファニーとしたように。そして、みんなから冷やかされました。ちょうど誰かさんがいつもされていたように、ファニーと一緒にさ。
 互いに好き合っているのに、そんな素振りはしなかった。
毎日手紙を書いて、・・・、一緒にいないと不幸せ。
 そして、クリスマスに婚約して、暖炉の傍でピッタリと身を寄せ合っていた。もうすぐ結婚するはずだった。
―名前の言えない誰かさんとそっくりに― おお、ファニー・・・。
 しかしある日、旅人は二人を失くしてしまいました。戻ってこいと呼び続けても、決して戻ってはこなかったので、旅人はまた一人で旅を続けました。
 幻影
森の出口に近づくと、木々の隙間から赤く燃えている夕焼けが目に入ってきました。
 木々の枝をかき分けて森を抜け出て、群青色の広がりの上に穏かに落ちてゆく太陽が見えてきたとき、旅人は倒木の上に腰を下ろしている老人に出会いました。
 旅人が老人の傍に腰を下ろして穏かに沈んでゆく太陽を眺めていると、彼が失くした人たちが優しく戻ってきました。勉強好きな少年も恋を愛した若者も、そして、あのファニーも・・・。(完)

誰もが体験(または空想)するような物語ですね。80代半ばの私はいつも、この老人(旅人)のような幻覚に取り憑かれています😇 
  

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馬謖は斬られた!

2024-07-03 | 知っておきたい話

あの知事選の2年前、彼は東京中央卸売市場長になった。順調にいけば、年内に豊洲移転が終わり、彼(K氏)は最後の築地市場長で、初代の豊洲市場長となるはずだった。しかし、知事が代わったとたんにあの騒動がもちあがったのである。
 テレビでは、小池知事になった都議会で、盛り土問題について答弁する彼(中央卸売市場長)の姿が放映されていた。部下をかばいながら誠実に答弁している彼の姿に、私は心を打たれた。
わが家の近所にK君という少年がいた。とても聡明な少年だった。
小学1年だった私がスキーで右足を骨折した時、一人の中学生が私を背負って接骨院まで運んでくれた。その中学生が大人になって結婚して、K君が生まれた。
 そんな縁で、高校3年生になったK君に英語を教えたことがあった。苦手な英語が分かるようになって東大に合格できたのは私のお陰だと言って、彼は毎年年賀状をくれた。律儀な青年だった。
東大を卒業したK君は、東京都庁に就職して水道局に勤務した。彼は、「地下に眠るパルテノン神殿」と呼ばれている首都圏外郭放水路の建設に参画して、成功させた。また、十年前、第一回東京マラソンの実質責任者(事務局長)として、東京オリンピックに繋がる世界最大級のマラソン大会の基礎を作り上げたのは彼だった。
テレビでは、盛り土問題について答弁する築地市場長のの姿が放映されていた。朝日新聞「AERA」に次の記事があった。
「何代か前の関係者が犯した失態の責任をとらされて、K 市場長が更迭された。K氏は素直で模範的な幹部。東京都はまた一人優秀な人材を失った」(2016年11月)

  あれは本当に失態だったのだろうか。グレタさんがそうだったように、
あれは環境保護主義者の異常なパフォーマンスか、選挙戦術の一つだったのだと思う。
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