我が散策 皇帝ダリア→神社→新聞→寺→西田幾多郎→よもぎ餅!

2015-11-27 20:49:26 | 散策

夏のノウゼンカズラに替わってあちこちで幅を(丈を)利かしているのが皇帝ダリアだ。此処最近多くなりましたね。私の散歩コースは二上山と真正面に向かい合って、田んぼの中の道を歩いていきます。新在家の古い民家や造り酒屋の通りを上っていき池のそばの山口神社に出ます。この神社の杉木立の中の奥深い空間は私のお気に入りです。そこから下っていくと「ゆうあいステーション」があります。隣の当麻病院との間の道をゆくと丈を利かした皇帝ダリアが気持ちよさそうに秋風になびいていました。高台にあるので町の眺めが良くて空の青池の緑花のピンク色がGOOD!ではありませんか。ゆうあいステーションで缶コーヒーを飲みながら6紙の新聞を読み終えたら当麻寺に向かいます。礼拝をすませたら図書館に向かいます。今ここで読んでいるのが、西田幾多郎の歌集です。「禅の研究」の著者の知らなかった部分をその歌で知ることができました。

*子は右に母は左に床をなべ春は来れども起きつ様もなし
*かくてのみ生くべきものかこれの世に五年こなた安き日もなし
*わが心深き底あり喜も愛の波もとヾかじと思ふ

52、3歳の時の歌です。41歳で「禅の研究」を編んだ哲学者の人間としての苦悩がうかがわれます。
さて、図書館を出たら当麻駅の前のお店でよもぎ餅を二つ食べて(おいしいのです)参道を通り今度は当麻寺に寄らずに中将姫ゆかりの石光寺に寄ります。二上山を背に、由緒と格式を持ったお寺です。そこからはまた農道をぶらぶらと帰ります。約4時間ぐらいの散策を終えて、猫のルルと留守番を代わるというわけです。
    
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詩  偏西風

2015-11-27 11:55:06 | 
   偏西風

夜になって母に微熱が出た
母の頭の上の時計を見ながら
熱が下がってくれるのを待っている

激しく窓をたたく風は
吹き出したら三日は荒れる
いつものように妹が来て母の夕食を済ませた
いつもより時間がかかった

妹が誰なのか
僕が誰なのか
わかっている時と
わかっていない時と
聞くとキョトンとしている
名前は呼んでくれなくなった

荒々しくさけび返したい
でも めいってはいけない
あしたも また吹くだろう
落ち着かない日が
あと三日は続く

風がおさまると
家のまわりのものの位置が変わっている
あしたは どんな機嫌でいてくれるのか
ふたりで冬を迎える


 今日は母の祥月命日。3歳で亡くした子供の命日に近いというのも何か奥深いものを感じる。今日は風が音を立てて走っている。母の介護は二人の妹と協力してやった。一人だったら無理だったと思う。一昨日急な腹痛で病院へ行ったが翌朝には治まった。母を送ってから11年。今、自分の好きな土地で生きていられることに感謝している。「偏西風」は詩集「スパイラル」所収(2013年)
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