先週木曜日、この癒浦等宮に詩人水橋斉氏を迎えた。伊豆高原に居を構えている水橋さんは詩人のみならず感覚的にアーチストであると僕は思っている。水橋さんが静岡県詩人会の会長をされているときにぼくは理事としていろいろお世話になった。
沼津市でぼくが企画したイベント「Poem Garden」にもご参加いただき、終わった後「またやろうよ」という言葉もかけて頂いた。
懐かしいので今、そのときに作った「2014年3月9日の詩集」を開いた。水橋さんが朗読された詩「妄想の街ーサプリの君に捧ぐー」の一部です。
ここはキナ臭いシナイ半島ではなくシブヤ駅
打ち上げられたノアの箱舟のように
動かなくなった都電が一台
ハチ公前広場で公開処刑に晒されている
(中略)
コートの下にしなやかな鞭を忍ばせて
変わる信号機に不安で目を真赤にしながら
自分が迷える一匹の羊であることも忘れて
ガンジスより罪深いほとりに立ち止まると
引きも切らず潮のように目の前を車が渦を巻いて流れゆく
(中略)
巷に溺れる貧乏絵描きのように
僕は必死で美しい夢を描こうともがくのだが
(中略)
自由の女神のように勇ましいあの時の人が
「誰がために鐘は鳴る」のバーグマンよろしく
総天然色シネマのヒロインとなって
再び落日の前で救世主のように復活する 「詩と思想」14年3月号掲載
この濃いレトロ感覚とそれに対する彩色の技巧が水橋詩の特徴ではないかとぼくは思っている。
夕方、二上神社口駅のホームで水橋さんを迎えた。6年ぶりの再会、少し前屈みに歩く姿に懐かしさを覚えた。
我が家に荷物をおいて早速、我がふたかみ當麻の道へ誘った。まず、ぼくの自慢の「居酒屋ナナコ」で再会の乾杯、目の前の二上山の姿を堪能していただいた。それから黒瓦の歴史の匂いがそのまま残っている在家の道を歩いて、またまた自慢の自称別荘「葛城市ゆうあいセンター」へご案内。二階の「たいま温泉」で文字通り裸の付き合いとなった。
やや薄暗くなったが、明日が雨の予報なので當麻寺へ参拝、暗がりに建つ東西両塔の在るがままの姿は昼間よりも一層重厚さを帯びていた。ちょうど本堂の屋根の上におぼろの三日月がかかっていて幽冥な世界に導かれた。
夜は例によって酒宴、水橋さんの万葉集論、お互いの詩論など酔いにまかせて大いに語り合った。
二日酔いの朝は天気予報通り雨、水橋さんのお土産のお寿司とぼくが作った簡単なおかずを持ってコミュニティーバスで我が別荘へ。雨に濡れて緑が美しい庭園を眺めながら、我がだだっ広い執務室でゆっくりと朝食を楽しむ。
あっという間の時間であったが水橋さんには広い空の下のこのふたかみ當麻をたっぷり楽しんでいただけたと思う。
橿原神宮前駅でお送りした後ぼくは一瞬自分をどっちに向けていいのかわからなくなった。
水橋さん遠路を有難うございました。今度は伊豆高原で会いましょう。