家庭内看護の壁
家事は(自分の事も有)当たり前
自分が不調でも、1日の内にはマシな時間帯がある
時間制限が無ければ、24時間の内に洗濯をすれば良い
買い物も、安売りの時に幾つかをまとめ買いすれば事を足りる
看護は家族だから出来る限りは当たり前
紙オムツも平成28年からだから慣れてきた
手が利きぬくい妻がゴソゴソしてれば十数秒で身支度も完備させられる
老老介護は、自分の衰えとの闘い
気力、体力の衰えは自分の我慢が利かない
自分が不調な時は心も荒んで、温かく妻に接し難い
イライラしてるから、妻にあたる言葉になり勝ち、、
認知症学習会も、2人の母親の寄り添いや介護も経験したが、あの頃は若さがあった
今はデイサービスへ行っても立ち座りにスタッフが手を添えるような私の現状、、
炊事は食事時間に合わせねばならないから、料理時間帯に「体調をピークに合わす」
ビフォー、アフターの身体を横たえながら、、夕食後には妻の薬を忘れないようにするが、自分は後でと思って横になるから飲み忘れをする、、
病気のせいで動き回り、頻繁な転倒は続いている
骨折やくも膜下出血は危惧して気を使ったが、以後は「次は終わり」と言う引導のような心境、、
認知症のテーマの放送があると予告してたから録画予約した
我々が見る景色と、認知症の見る景色は違う
こんな事は知ってる積もりだが
91歳の旦那が奥さんを介護する映像は、あたかも我が家庭を見てるよう、、
認知症から普通の物差しで測れない患者の心を「解らせよう」とする気持ちのズレ、、この壁に当たるから怒りや失望感、、
過去に三崎のご夫婦の話があった
3月放送の「記憶の葉っぱ」
振り返り見直してみるが、あの旦那さんの「相手に合わす」事なんかは至難の業
心の狭い私にはムリ
不調に事寄せるが、自分への甘えかも知れない
今回の「演じて看る」
似たような立場で、奥さんの動向も旦那さんの心理も分かるから同じような人達は居ると言う心理になり、少し肩の荷が軽くなったかも、、
認知症は喜怒哀楽の怒はダントツになる 自分の景色を否定されるから反抗する
(間違った事を理解出来ない症状)
妻の喜は僅かに表れる
その僅かを見たいから、今年も干柿を作り中
「干し柿作りよるけんね」
「いつの間に?」
「ショートスティに行ってる間に」
「どこで手に入れたん?」
「◯◯よ」
釣