仙台市内に聳える大観音。高さ100mという大きな観音さまだ。近くを通過する機会があったので、遠目から拝んだ。畏怖の念を抱くほど大きかった。次の機会には観音様の内部を拝観したい。
(備忘録④)
諸事情で中々写真を撮ることが出来ない。でも一般的にはこれが当たり前で、僕は何かというと写真撮影ばかりで、大人としての成熟が足りないと思った。
X-H2 / XF16-80mmF4 R OIS WR
この町は決して過疎化した町ではない。少し離れた所には比較的大きな繁華街(飲み屋街)もあるし、商店が集まった他の場所もある。クルマの往来だって多い。でもこの一角だけは様子が違う。結構大きな規模の商店街である。数百メートルもある大通りに沿って、数多くの商店が軒を連ねる。だが・・・。その殆どが廃業しているのである。多分8割以上の店が廃業している。営業している店は数える程しかない。地方のアーケード商店街では、シャッター通りとなっていることは珍しくない。でもこのように大通りに沿って展開する商店街では稀有なパターンである。あたかも商店街の幻を見るようだった。狐に摘まれたような気分で町を後にした。後日、どうしてこうなったのか、調べてみたい。
LEICA M10 MONOCHROME / T artisan 28mm F5.6
久しぶりに東北コンプリートの話である。次の目標は「宮城コンプリート」で、年内は無理でも来春までには達成しようと思っている。宮城県の旧市町村数(平成の大合併前)は、71市町村である。このうち既に写真を撮った市町村は52で、進捗率は70%を超えた。残りは19市町村である。最大の難関は4市(石巻市、登米市、栗原市、大崎市)の攻略だった。この4市だけで旧市町村数が33もある。最近はかなり進み、残るは石巻市と登米市の7町のみとなった。宮城県は東北の他の県よりも都市型であり、強烈な個性を持った町はどうしても少ない。それでも何度となく徘徊していると発見もある。今回の写真は栗原市の旧・若柳町である。廃線となった栗原電鉄の駅舎を訪ねて割と初期に訪問済みだった。それで分かった気になっていた。多分写真の場所が中心部だと思うけど、初めて歩いた。印象的な飲食店が多かった。いつかここでランチを食べてみたい。
X-PRO3 / XF23mm F2R WR
宮城方面に遠征(写真撮影)し、帰路の途中に鳴子温泉に立ち寄った。夕刻近い時刻である。宿は客を受け入れて賑わっているだろうが、温泉街の商店は早々に店じまいを始めていた。通りから何気なく見ると、店の中で一人の男性が黙々と作業をしていた。こけしの販売や作製体験などをする店だった。店舗の灯りは消えていた。声を掛けて正面から撮らせて貰おうとも思ったが、ここはひっそりと撮るべき場面だった。少し残念だったのは28mmのレンズが付いていたことだ。でもそれも必然かもしれない。長年の作業態勢に合わせるかのように湾曲した職人の背中が、まるで何かを語っているように感じた。
LEICA M10 MONOCHROME / T artisan 28mm F5.6
カラーで撮ろうと、モノクロで撮ろうと、眼の前にある現実は何も変わらない。カラーで撮った方が余計に廃れた感が強くなるのは事実だ。この王将ビル(及び隣の飲食店)が何時解体されるのかは分からない。権利とか所有者とか、そういう問題ですぐには解体できない可能性もある。それでも遅かれ早かれ建物の入り口は封鎖されるだろう。例え封鎖されないとしても、僕はもうここには来ないと思う。夢の跡は、夢の跡のままにしておこう。
GRⅢ
宮城県気仙沼市、太田地区にある王将飲食店街。誰が呼んだのか、ここを太田租界というらしい。港から陸に上がった海の男たちの特区、そんな位置付けの町だった。もちろん正確にいえば、ここには治外法権も行政自治権も存在しない。だから租界ではない。彼らの主戦場である大海原では板一枚下は深い海で、地獄に直結していた。その日常から解き放たれるという意味で、租界的な意味を持っていたのかもしれない。
下記リンクを参照頂ければ幸いだが、ここに初めて来たのは2017年のことだった。その時点で廃墟同然の佇まいだった。それでも営業を続けている店が2軒ほど存在していたし、実際にその店主と話をすることも出来た。それが数年前には営業を継続する店舗は消滅し、王将飲食店街の歴史は幕を閉じた。当時の写真を改めて見ると、営業していた店が存在していたことに驚きを覚える。もう解体されてしまったのか気になって、今回訪問したわけである。建物はまだ残っていた。それを幸いといえるのかは疑問だ。これ以上朽ちた姿を見るのは忍びない。もう記憶の中の租界ではなく、そこは単なる廃墟になってしまった。タイミングといい、状態といい、青森の第三振興街と同じような状況となっている。今回の訪問で最後にしようと思った。次回、記録も兼ねて撮ったカラー写真で幕を閉じようと思う。
LEICA M10 MONOCHROME / Summicron M35mm ASPH
宮城県の大きな港町。その高台にあった床屋さん。廃業してから、それなりの時間が経っている。港町は東日本大震災によって壊滅的な打撃を受けた。この地区は港から真っ直ぐに坂道を登った高台にある。その急な坂道が津波を遮り、殆ど被害はなかった。だから地区の様子は何も変わっていない。一方で壊滅的な被害を受けた港町は、復旧から復興、そして再開発へ向かい、大きく変貌を遂げた。今では近代的な町並みとなって復活している。清潔でお洒落な商店が並び、人の流れも活発になった。坂の上では時間が止まったままであり、その対比は哀しいほどだ。
その昔。大型漁船が大挙入港し、ぞろぞろと海の男たちが坂の下の銭湯に身を清めに来た。そしてこのBARBERでさっぱりと整髪したのだろう。かなり古い建物にBARBERの文字。そこからそんな想像ができる。男たちはその後、久しぶりの陸地での夜の饗宴を楽しむのである。その楽しみの場所が明日の写真となる。
LEICA M10 MONOCHROME / Summicron M35mm ASPH
川崎町は宮城県南西部にある町である。町の多くが蔵王連峯の山岳部であり、青根温泉などの秘湯でも有名だ。仙台市の中心部からクルマで40分ほど掛かるのに対し、山形市の中心部からは30分ほどで往来できる。つまり県境の町である。何となく孤立した町で、交通の便が悪いイメージがあった。また冬季は道路状況も厳しいと想像していた。実際は山形自動車道を利用すれば、特に不自由することもなかった。福島旅からの帰路、蔵王町を経由して川崎町に来た。
僕が行ったのは町役場周辺の中心地だ。思ったより町らしい町だった。2枚目の真っ直ぐな道路が国道286号線であり、山形宮城間の物流道路である。その主役は山形自動車道に譲ったものの、宿場町としての面影が残っている。キリスト看板も多い。そういう町なので初めて来たとは思えない(笑)。こういう町は脳で思考しなくても身体が勝手に反応する。ほぼ自動的に写真を撮る。一人チャットGPT状態である。
X-PRO3 / XF23mm F2R WR
GW期間中は前半に長野方面(渋温泉)に行った。戻ってからは所用が重なり、遠出も写真撮影も殆どできなかった。これは4月前半に行った宮城県の旧・鹿島台町(大崎市)の写真である。掲載し忘れたことを後で気付いていたけど、まあ大した写真でもないので、そのまま放置していた。それを改めて眺めてみた。GWには殆ど町歩きをできなかったので、嗚呼歩きたいと心の底から思った。
LEICA M10 MONOCHROME / Summicron M35mm ASPH