宮城県の色麻町に磯良神社という神がある。「おかっぱ様」という河童を祭る神社でもある。西暦800年頃、あの征夷代将軍・坂上田村麻呂が建立したと言われている。時まさに蝦夷対朝廷軍の戦いの真っ最中である。史実レベルでいえば記録が不足していることも分かる。でも、この辺りの伝説がもう少し訴求力を持てば、この地は立派な観光地になったかもしれない。磯良神社を巡る「かっぱ伝説」は、大きく分けて二つである。
1)坂上田村麻呂の軍勢にいた男が、河童顔負けの泳ぎで数々の武勲を立てた。それを労うために「川童(かっぱ)」の姓を直々に与えられ、神社が建立された。驚くことに今でも神社の宮司は「川童」さんの子孫が務め、やはり「川童(かっぱ)」姓を名乗っている。
2)その後(多分)、ある殿様宅にエッチな河童が現れ、姫様のトイレを覗いたり、ちょっかいを出すようになった。家来の若い武士が退治を志願し、女装して河童を誘き寄せ、その腕を刀で切断した。河童は二度としないと命乞いをしたので命は取らず、腕を返した。河童はお礼に腕を接着することもできる軟膏を献上した。その軟膏は傷にもよく効き、とても重宝された。
他にも付随したマイナーな関連話があるが、この二つがメインの伝説だ。印象として二つの関連性が整理されていないのだと思う。1)の伝説は多少の脚色があっても、史実に基づいているだろう。実際、色麻町でもそういう掲示板などを作っている。問題は2)の方である。話としては面白い。神社と河童の因果関係、例えば河童の神社なので日本全国から集まったとか、田村麻呂軍勢に川童さんと一緒に付いてきた手下だったとか、そういう誰にも分かる話が欲しかった。2)の方は史実である必要はなく(そもそも河童だから)、誰かが考えたフィクションでも良いのだと思う。多少下駄を履かせても良かったのではないか。ここは色麻町が川童さんに相談し、架空と謳ってでもPR伝説を作るべきではなかっただろうか。行政は「ゆるキャラ」みたいなものに架空の伝説キャラを設定するのだから、おかっぱ様を何故活用できなかったのかと思う。これは僕の想像だが、もしかすると「麻」がネックになったのかもしれない。日本全国の「麻」がつく地名の多くは、「いけないアレ」と関連が深いという。河童軟膏は「〇麻のいけないワックス」だったと僕は想像している。太平洋戦争中にはヒロポンを兵士に使ったこともある。奈良、平安時代に大麻を使ったとしても不思議ではあるまい。その関連を指摘されるとイメージが悪いので躊躇した、とか?・・・・。辞めよう。これ以上は叱られそうなので、終わりにする。最後の考察は何の根拠もない妄想であることを明記しておく。すいませんでした。
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