新・エンゲル係数

肥満と痛風に悩まされながらも新鮮な食ネタを捜し求めて・・・

世界緑茶コンテストで・・・

2014年10月09日 | おいしんぼうネタ

聖一国師の生家で手摘みした茶葉を細く「よれた」形状と浅蒸しで仕上げた作品が最高金賞を受賞

6月の博多・祇園の旅にも行かれた方です。

森田製茶さん、頑張りましたね~嬉しい報告じゃあないですか

 

地元新聞の夕刊の片隅の記事だったので見過ごすところでした。

偶然ってあるんですねぇ~自宅でも取ってない新聞だったし


奥様はお勧め定食を☆

2014年10月09日 | おいしんぼうネタ

このお店のスペシャル定食だとかで・・・

いろんな品がずらりぃぃ~

いろんな料理がありますねえ~冬瓜を少し頂いて食べました。

美味しかったよ

ただ・・・

そぼろご飯は少し甘めだったとか・・・ 

私はピッチが早いのでぇ~早くも半分完了です。

次回は刺し身定食にしたいもんだねぇ


NHK朝の連続テレビ小説『マッサン』

2014年10月09日 | 気になるネタ

929日に放送を開始したNHK朝の連続テレビ小説『マッサン』。初回は、平均視聴率21.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)をマークし、好調なスタートとなった。

『マッサン』は、大正時代にウイスキー作りへ情熱を向ける“マッサン”こと亀山政春(玉山鉄二)とその妻・エリー(シャーロット・ケイト・フォックス)の半生を描いた物語。ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝と、妻のリタがモデルとなっている。

注目すべきは、やはり朝ドラとして史上初となる“外国人ヒロイン”の亀山エリーだ。演じるシャーロット・ケイト・フォックスは、役柄と同じくスコットランド出身。日本語が全く話せないままオーディションに挑み、見事ヒロインの座を射止めたという。

これまでにない朝ドラとなりそうな『マッサン』だが、ネット上での評判は上々だ。初回放送後のツイッターでは、
「マッサンは初回から波乱の予感… エリーさんがかわいい(´∀`)
「広島弁ええの~『マッサン』お試し試聴、今週一杯に延長決定」
「わかりやすさ優先のドラマ、そうではないドラマ、どちらがいいというのではない。面白ければいい。面白ければどんどん次が見たくなるし、それに、エリーの表情は一瞬たりとも見逃したくないのは確か(笑)」
などと、すでに多くの視聴者の心をつかんだようだ。

ヒロイン・エリーのかわいらしさに注目が集まる一方で、エリーをいびる姑・早苗を演じる泉ピン子に対する意見も多い。少々意地悪な役柄ということもあり、ツイッターでは、
「ピン子が朝から怖いです…」
「ピン子の嫁いびり編は長くても3週ぐらいでどうにかしてもらいたい」
などと、その怖さにおののく声もあった。しかし、
「ヒロインがなじみの無い外国人女優さんでも泉ピン子さんが姑と言う時点で全国津々浦々一瞬でエリーの味方!絶妙に上手いキャスト!」
「ピン子が出たら『あ、この人は意地悪な姑だ、イヤなことを言うぞ』と自動で日本中の人が身構える。すごい記号性だと思う」

と、姑役のキャスティングは実に絶妙だという意見も多い。視聴者に“怖い”と思わせたのは、ある意味狙い通りということなのかもしれない。

大ブームとなった『あまちゃん』や、過去10年で最高となる平均視聴率22.6%を記録した『花子とアン』など、好調が続く最近のNHK朝ドラ。高評価の『マッサン』も、どうやらこの好調の流れに続くことなりそうだ

 


不可能を可能に☆

2014年10月09日 | 気になるネタ

ノーベル物理学賞の授賞対象となった青色LEDは「20世紀中の実現は困難」とされた夢の技術だった。しかし、赤崎勇氏と天野浩氏が共同で基盤技術を開発、中村修二氏が実用化への道を切り開き、「青の革命」を成し遂げた。

 LEDの光の三原色のうち、赤色と緑色のLEDは1960年代に実現。残る青色がそろえば、どんな色でも合成が可能になるが、実用的な輝度の青色を放つ高品質な半導体結晶を作るのは困難を極めていた。

 赤崎氏は85年に無色透明な窒化ガリウム結晶を作製。89年には青色LEDの発光に成功した。大学院生だった天野氏は名古屋大の赤崎氏の研究室で実験に参加。高品質の窒化ガリウム結晶作製に貢献した。

 量産技術を開発し、実用化への道筋をつけたのは中村修二氏。基板の上から窒素ガスを、横からはガリウムと窒素、水素の高温ガスを吹き付ける「ツーフロー」と呼ばれる手法を考案。窒化ガリウム膜の結晶性は飛躍的に向上した。

                      

大量生産できるこの技術を開発した中村氏は、3人の中でも型破りな経歴で知られる。

 徳島大の大学院修士課程を修了後、入社した日亜化学工業(徳島)では「会社の指示で研究に取り組み開発した製品が売れず、白い目で見られ続けた」と振り返る。

 「この仕事をしたら、会社を辞めてやる」。そんな気持ちで最後に取り組んだのが青色LEDの研究だった。1年半も社内の誰とも口をきかず、研究に没頭。1993年、当時は不可能といわれた青色LEDの実用化に成功した。世界初の偉業は米国の学会で脚光を浴びる。そこで知ったのが、日米の研究者の待遇の差だった。

 2000年に渡米。研究環境が自由で「共産主義の国から、自由主義の国に引っ越した感じだった」と振り返る。

 一方、日亜化学とは青色LEDの特許権や研究成果の対価をめぐって訴訟合戦に。日亜側に200億円の支払いを命じた判決が話題になり、一時は“200億円男”とも呼ばれた。だが、控訴審で約8億4000万円に減額され、和解が成立。「日本の司法は腐っている」と吐き捨てた。強烈な個性は米国向きとも評されるが、“闘争”を離れた普段の様子は穏やかで気さくな人柄だ。

中村修二氏(なかむら・しゅうじ)1954年5月22日、愛媛県瀬戸町(現・伊方町)生まれ。徳島大工学部を経て同大学院修士課程修了。79年徳島県阿南市の日亜化学工業入社。94年に徳島大から博士号取得。99年日亜化学退社。00年2月から米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授。愛媛大と東京農工大の客員教授も務める。米国籍。