帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第六 冬歌 (314)龍田河錦をりかく神な月 

2017-11-02 19:17:39 | 古典

            

 

                      帯とけの「古今和歌集」

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。

紀貫之は、「歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、大空の月を見るように、古を仰ぎて、今の歌を恋しくなるであろう」と仮名序の結びで述べたのである。原文は「うたのさまをしり、ことの心をえたらむ人は、おほそらの月を見るがごとくに、いにしへをあふぎて、いまをこひざらめかも」。「歌の有様を知り,事の心を心得る人は」と詠み始めれば、歌論としての主旨は伝わらない。 

 

古今和歌集  巻第六 冬歌314

 

題しらず                よみ人しらず

龍田河錦をりかく神な月 しぐれの雨をたてぬきにして

題知らず            (詠み人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(龍田川、色彩豊かな錦織が掛けてある、かんな月・十月、しぐれの雨を、たて糸、よこ糸にして……多つ多おんな・断ったかは? 色情豊かな情態折り欠ける、かみな尽き、その時のおとこ雨を、立て、抜き差しにして)。

 

 

「錦…色彩豊かな織物…色情豊かに両人がおり成した情態」「かく…掛ける…欠ける…欠く」「神なつき…神無月…初冬十月…かみなつき…おんなの尽き」「しぐれ…時雨…心に寒い初冬のお雨…その時のおとこ雨」「たて…たて糸…立て」「ぬき…よこ糸…抜き…抜き差し」。

「たてぬき」や「おり…をり」という言葉が「浮言綺語のように戯れている」ことを知れば、「乱れてぞ思ふ恋しさを、たてぬきにして、おれる、わが身か」という貫之集の歌が、平安時代の大人たちと同じレベルでわかるだろう。

 

龍田川に、色彩豊かな錦織が掛けてある、十月、しぐれの雨を、たて糸、よこ糸にして――歌の清げな姿。

多つ多情おんな、色情豊かな情態、折り欠ける、おんなの尽き、その時のおとこ雨を、立て、抜き差しにして――心におかしきところ。

 

立て、抜き、さしにして、ことの果て、心も寒いおとこ雨、多情おんなの尽きはてを、自嘲的に詠んだ女歌のようである。

 

季節の冬歌、同時に、心も寒い冬歌の、巻第六冬歌の巻頭の一首である。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)