帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第六 冬歌 (319)ふる雪はかつぞ消ぬ (320)この河にもみぢ葉

2017-11-06 19:08:36 | 古典

            

 

                       帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。

公任は、歌の様(歌の表現様式)を捉えて「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりと言ふべし(新撰髄脳)」と優れた歌の定義を述べた。歌には多重の意味があり、エロス(生の本能・性愛)が表現されてあったのである。「心におかしきところ」が、中世に「古今伝授」と称して歌の家々では、門外不出、一子相伝の秘事・秘伝となった。

江戸の国学も近代から現代にいたる国文学も、秘伝を明らかにできないまま捨て置いた。今や埋もれ木の如くなっているが、図らずも、その秘伝が顕わになりつつあるように思う。公任のいう「心におかしきところ」こそ、和歌の真髄である。

 

 

古今和歌集  巻第六 冬歌319

 

(題しらず)               (よみ人知らず)

ふる雪はかつぞ消ぬらしあしひきの 山のたぎつ瀬をとまさるなり

(詠み人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(降る雪は、一方で消えてしまうらしい、あの山の川、たぎる瀬音、増さっているようね……ふる白いおゆきは、すぐさま消えてしまうにちがいない、あの山ばの、わきかえる、おんなの音、ますます増さるのよ)

 

  「雪…逝き…おとこ白ゆき」「あしひきの…枕詞」「山…山ば」「瀬…川の瀬…津・汀などと共に、言の心は女」「たぎつ…激つ…わきかえる…たきつ…滝つ…多気つ」「をと…音…ね…声」「なり…音がするようだ…推量の意を表す…である…断定の意を表す」

 

降る雪は、すぐに消えてしまうにちがい、あの山の川、たぎる瀬音、増しているようね――歌の清げな姿。

ふる白いおゆきは、すぐ消えてしまったにちがいない、あの山ばの、にえくりかえる、おんなの声、ますます増さる――心におかしきところ。

 

 

古今和歌集  巻第六 冬歌320

 

(題しらず)          (よみ人知らず)

この河にもみぢ葉ながる奥山の 雪げの水ぞ今まさるらし 

                      (詠み人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(目の前の・この河に、もみぢ葉流れている、奥山の雪消えの水ぞ、今、嵩増しているにちがいない……めの前の・この川に、も見じ端流れている、奥深い山ばの、白ゆきらしきもの消えた女ぞ、今・井間、情が増すようよ)。

 

「河…川…言の心は女…川…おんな」「げ…らしく見える…気配がする…け…消え」「水…言の心は女」「今…井間…おんな」「まさる…増える…多くなる…多情になる」。

 

河にもみぢ葉が流れている、みなもとの奥山の、雪消えの水、かさ増しているにちがいない――歌の清げな姿。

わが川に、も見じ端流れる、奥深い山ばの、貴身の逝きのけの、女ぞ、井間、情増すらしい――心におかしきところ。

 

両歌は、初冬の雪のように消えやすい男のさがに、女の不満の本音のようである。このままでは、本能丸出しで生々しい。清少納言の言うように、清げな姿に「包んで」ある。そして、和歌となる。

 

 (古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)