帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第六 冬歌 (329)ゆきふりて人も(330)冬ながら空より

2017-11-13 20:12:36 | 古典

            

 

                       帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。

公任は、歌の様(歌の表現様式)を捉えて「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりと言ふべし(新撰髄脳)」と優れた歌の定義を述べた。和歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等が、表現されてあったが、エロスは中世に歌の家の秘事・秘伝となって埋もれたままである。今は、歌の「清げな姿」だけが見えている。

 

 

古今和歌集  巻第六 冬歌329

 

雪のふれるを見てよめる      凡河内躬恒

ゆきふりて人も通はぬ道なれや あとはかもなく思きゆらむ

(雪が降るのを見て詠んだと思われる・歌……おとこ白ゆきが降るのを見ていて詠んだらしい・歌)(おほしかふちのみつね)

(雪が降って、人も通わない道なのか、跡かたもなく、貴女も我への・思い火、消えているだろう……おとこ白ゆき降って、だれも通わない路になったかな、後、頼りなくて、貴女は我への・思い火、消えているのだろう)。

 

「ゆき…雪…逝き…おとこ白ゆき」「人…人々…男」「道…路…通い路…おんな」「や…疑いの意を表す…感嘆・詠嘆の意を表す」「あとはかもなく…跡かたもなく…行方もわからず…頼りなくも」「思…思ひ…思火…熱い思い」「らむ…推量…原因の推量」(これらが言の心であり、戯れの意味である)。

 

雪降って人も通わない道なのかな、跡かたもなく・あの後、行く方も知らず、貴女も我への・思い火、消えているだろう――歌の清げな姿。

おとこ白ゆき降って、だれも通わない路になったかな、後、頼りなくて、貴女は我への・思い火、消えているのだろう――心におかしきところ。

 

その後を、うしろめたく思う、おとこの心を詠んだ歌のようである。

 

 

古今和歌集  巻第六 冬歌330

 

雪の降りけるをよみける       清原深養父

冬ながら空より花の降りくるは 雲のあなたは春にやあるらん

(雪が降ったのを詠んだ・歌……おとこ白ゆき降ったのを詠んだ・歌)(きよはらのふかやぶ)

(冬なのに、空より、花が降りくるのは、雲の彼方は、春であろうか……もの揺れながら、そのような・み空より、おとこ花が降り繰り返すのは、わが・心雲の彼方には、春の情があるのだろうか)。

 

「冬…季節の冬…ふゆ…振ゆ…揺れうごく」「空…天空…(旅の)そら…境遇…うわの空…気もそぞろなさま」「花…雪…この花…おとこ花」「来る…来る…繰る」「雲…心雲…煩わしくも心に湧き立つもの」「春…季節の春…心の春…春の情」。

 

冬なのに天空より、白い花が降りくるのは、雲の彼方の季節は、春であろうか――歌の清げな姿。

揺れ動くのみになったみ空より、白いお花が降りくるのは、わが・心雲の彼方には、次なる・春の情があるのだろうか――心におかしきところ。

 

揺れ動くのみのおとこの将来、希望的に推量した歌のようである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)