帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第六 冬歌 (325))みよしのゝ山の白雪つもるらし

2017-11-09 20:23:52 | 古典

            

 

                       帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。

公任は、歌の様(歌の表現様式)を捉えて「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりと言ふべし(新撰髄脳)」と優れた歌の定義を述べた。歌には多重の意味があり、エロス(生の本能・性愛)が表現されてあったのである。

 

古今和歌集  巻第六 冬歌325

 

ならの京にまかれりける時に、宿れりける所にて

よみける              坂上是則

みよしのゝ山の白雪つもるらし ふるさとさむくなりまさるなり

(奈良の京に出かけた時に、宿った所で詠んだと思われる・歌……寧楽の京にまいった時に、宿ったところにて、詠んだらしい・歌)さかのうへのこれのり

(み吉野の山の白雪、積もっているにちがいない、古里、ますます寒くなりゆくのである……見好しのの好しのの山ばの、おとこ白ゆき、つもっているにちがいない、触るさ門、さむく冷えてきたようだ)。

 

「なら…奈良…寧楽(万葉集の表記)」「京…都…宮こ…山の頂上…絶頂」「やど…宿…女…や門…おんな」。

「みとしの…見好しの…身好しの」「山…山ば」「白雪…白逝き…おとこ白ゆき」「さむくなりまさる…(気候が)寒くなり増さる…(情熱が冷め心も身も)寒くなりまさる」「なり…(情態に)いる…所在を表す…推定の意を表す」。

 

あの吉野の山に白雪積もっているに違いない、ふるさとの奈良の都に、寒さ増す頃が来た――歌の清げな姿。

見好しのの、好しのの山ばに、おとこ白ゆき、つもるらしい、寧楽の・触るさ門、冷え冷えして来たようだ――心におかしきところ。

 

 原点に返って、仮名序の冒頭を読む、「やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とどなれりける」とある。「人の心」は、煩悩に根ざすとすれば、満たされない鬱憤が表出されるだろう。表現方法は「心に思ふことを、見るもの聞くものに付けて、言い出せるなり」。「なま心」をそのまま言葉にすることは出来ないからだろう。「花になくうぐひす(花にて鳴く鶯…おとこ花になげくおんな)、みずにすむかはずづのこゑ(水に住む蛙の声…見ずに澄むおんなの声)を聞けば、「いきとしいけるもの(生きとし生けるもの…活きとし活けるもの…逝きとし逝けるもの)、いづれか(どちらか…おんなかおとこかどちらか)歌を詠まざりける。「ちからをもいれずして、あめつちをうごかし(天地を動かし…雨土を動かし…おとこ雨津路を動かし)、おに神(鬼神…鬼のような女)をもあはれと思わせ、男女の仲をも和らげ、たけきもののふ(猛々し武人…猛きものの夫…多気きものの婦)の心をも慰むるは歌なり」。

 

仮名序の言葉も「歌の言葉」と同じように戯れているとすれば、上のように読むことができ、歌の内容と矛盾しない。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)