帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第六 冬歌 (331)冬ごもり思ひかけぬを木の間より

2017-11-14 19:29:39 | 古典

            

 

                       帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様を知り」とは、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と、先ず知ることだという。

 

 

古今和歌集  巻第六 冬歌331

 

雪の木に降りかかれりけるをよめる    貫 之

冬ごもり思ひかけぬを木の間より 花と見るまで雪ぞふりける

(雪が木に降り掛かっていたのを詠んだと思われる・歌……白ゆきが、男木に降り掛かっていたのを詠んだらしい・歌)つらゆき

(冬ごもりに、思いがけず、木の間より、花かと見るほどに雪が降ったことよ……身も心も・冬ごもりなのに、思いがけず、この間より、お花かと見るほどに、白ゆきが、降ったことあったなあ)。

 

「ふゆごもり…冬籠り…草も木も人も活動を止めること」「を…感嘆・詠嘆を表す…お…おとこ」「木…木の言の心は男…こ…小…股…此れ」「花…木の花は男花…梅花など…おとこ花…おとこ白ゆき」「ける…けり…過去回想…であった…詠嘆…だったことよ」。

 

里で冬籠りしていると、思いがけないことに、木の間より、花かと見えるほどに、白雪降ったことよ――歌の清げな姿。

冬籠りでも・眠っている時でも、思いもしないのに、此の間より、花と思えるほどに、白ゆき降ったことがあったなあ――心におかしきところ。

 

これも、はかないおとこのさがの一つだろう。

 

 

仮名序」を読むと、柿本人麿と山部赤人を仰ぎ見て褒め讃えている。ならの帝の御時「正三位柿本人麿なむ歌のひじりなりける」、「山部赤人という人ありけり。歌に、あやしく、たへなりけり」などとある。貫之、公任、俊成らの解く和歌の表現様式は、
人麿と赤人が確立し実践しからだろう。その歌の例を、仮名序より選んで聞く。


                                              柿本人麿

ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島かくれゆく舟をしぞ思ふ

(ほのぼのと明けゆく、明石の浦の朝霧どきに、島隠れゆく舟を惜しいと見て思う……ほのかに夜が明けゆく、厭かしの心の浅限りに、肢間かげに隠れ逝く夫根を、惜しいとぞ、思う)。

 

「あかし…明石…地名…名は戯れる。夜を明かし、飽きし、厭きし」「浦…言の心は女…うら…裏…心」「朝霧…浅切り…浅限り…薄情な終わり」「島…しま…肢間…股間」「かくれゆく…隠れて行く…隠れ逝く…死にゆく」「舟…ふね…夫根…おとこ」「をしぞ…お肢ぞ…惜しいぞ…愛着あるぞ…執着あるぞ」。

 

流されゆく人の舟より見た、明石の浦の朝霧の中、島陰に隠れゆく舟の景色――歌の清げな姿。

性愛の果ての惜しまれる情況――心におかしきところ。

流人の、己の命、都に残した妻、歌詠みとしての地位などに対する愛着・執着が歌の心のようである。

 

山部赤人

和歌の浦に潮みちくれば潟をなみ 芦べをさして鶴鳴きわたる

(和歌の浦に、潮満ち来れば,干潟が無くなるので、芦辺をさして、たづ・鶴、鳴き渡る……わかい女のうらに、肢お満ちきたのに、片男波・片お並み、肢部を指して、たづ・多津、泣きつづける)。

 

「わかのうら…和歌の浦…若の浦…若い女の心…若い女の裏」「浦…言の心は女…うら…心…裏…見えないところ」「潮…しほ…肢お」「ば…ので…のに」「潟をなみ…干潟が無くなるため…片男波…片男汝身…片お並み」「片…中途半端な…不完全な」「波…なみ…汝身…並み」「な…汝…親しきもの」「芦辺…あしべ…脚部…肢部…悪し部」「さして…目指して…指さして」「たづ…鶴…鳥の言の心は女…多津…多情なおんな」「鳴き…泣き」「わたる…渡る…つづく」。

 

和歌の浦、潮と干潟と鶴の風景――歌の清げな姿。

わかのうらに、肢お満ち来たのに、はかない並みのおとこ、あし部をさして多づ啼きつづく――心におかしきところ。

エロスには生々しさと、滑稽さもありそう。

 

人麿・赤人において、公任のいう「心深く、姿清げに、心におかしきところ」のある、表現様式は確立されてあった、かつ最高峰に達していた。

仮名序は、人麿を、歌のひじり(歌の達人・歌の道を教える高徳の人)と称し、赤人の歌を、あやし(妖しい・なまめかしい・妖艶)とか、たへ(妙・細部まで巧み・絶妙)とか評したのである。