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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。
貫之の云う「歌の様を知り」とは、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と、先ず知ることだという。
古今和歌集 巻第六 冬歌 (331)
雪の木に降りかかれりけるをよめる 貫 之
冬ごもり思ひかけぬを木の間より 花と見るまで雪ぞふりける
(雪が木に降り掛かっていたのを詠んだと思われる・歌……白ゆきが、男木に降り掛かっていたのを詠んだらしい・歌)つらゆき
(冬ごもりに、思いがけず、木の間より、花かと見るほどに雪が降ったことよ……身も心も・冬ごもりなのに、思いがけず、この間より、お花かと見るほどに、白ゆきが、降ったことあったなあ)。
「ふゆごもり…冬籠り…草も木も人も活動を止めること」「を…感嘆・詠嘆を表す…お…おとこ」「木…木の言の心は男…こ…小…股…此れ」「花…木の花は男花…梅花など…おとこ花…おとこ白ゆき」「ける…けり…過去回想…であった…詠嘆…だったことよ」。
里で冬籠りしていると、思いがけないことに、木の間より、花かと見えるほどに、白雪降ったことよ――歌の清げな姿。
冬籠りでも・眠っている時でも、思いもしないのに、此の間より、花と思えるほどに、白ゆき降ったことがあったなあ――心におかしきところ。
これも、はかないおとこのさがの一つだろう。
仮名序」を読むと、柿本人麿と山部赤人を仰ぎ見て褒め讃えている。ならの帝の御時「正三位柿本人麿なむ歌のひじりなりける」、「山部赤人という人ありけり。歌に、あやしく、たへなりけり」などとある。貫之、公任、俊成らの解く和歌の表現様式は、
人麿と赤人が確立し実践しからだろう。その歌の例を、仮名序より選んで聞く。
柿本人麿
ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島かくれゆく舟をしぞ思ふ
(ほのぼのと明けゆく、明石の浦の朝霧どきに、島隠れゆく舟を惜しいと見て思う……ほのかに夜が明けゆく、厭かしの心の浅限りに、肢間かげに隠れ逝く夫根を、惜しいとぞ、思う)。
「あかし…明石…地名…名は戯れる。夜を明かし、飽きし、厭きし」「浦…言の心は女…うら…裏…心」「朝霧…浅切り…浅限り…薄情な終わり」「島…しま…肢間…股間」「かくれゆく…隠れて行く…隠れ逝く…死にゆく」「舟…ふね…夫根…おとこ」「をしぞ…お肢ぞ…惜しいぞ…愛着あるぞ…執着あるぞ」。
流されゆく人の舟より見た、明石の浦の朝霧の中、島陰に隠れゆく舟の景色――歌の清げな姿。
性愛の果ての惜しまれる情況――心におかしきところ。
流人の、己の命、都に残した妻、歌詠みとしての地位などに対する愛着・執着が歌の心のようである。
山部赤人
和歌の浦に潮みちくれば潟をなみ 芦べをさして鶴鳴きわたる
(和歌の浦に、潮満ち来れば,干潟が無くなるので、芦辺をさして、たづ・鶴、鳴き渡る……わかい女のうらに、肢お満ちきたのに、片男波・片お並み、肢部を指して、たづ・多津、泣きつづける)。
「わかのうら…和歌の浦…若の浦…若い女の心…若い女の裏」「浦…言の心は女…うら…心…裏…見えないところ」「潮…しほ…肢お」「ば…ので…のに」「潟をなみ…干潟が無くなるため…片男波…片男汝身…片お並み」「片…中途半端な…不完全な」「波…なみ…汝身…並み」「な…汝…親しきもの」「芦辺…あしべ…脚部…肢部…悪し部」「さして…目指して…指さして」「たづ…鶴…鳥の言の心は女…多津…多情なおんな」「鳴き…泣き」「わたる…渡る…つづく」。
和歌の浦、潮と干潟と鶴の風景――歌の清げな姿。
わかのうらに、肢お満ち来たのに、はかない並みのおとこ、あし部をさして多づ啼きつづく――心におかしきところ。
エロスには生々しさと、滑稽さもありそう。
人麿・赤人において、公任のいう「心深く、姿清げに、心におかしきところ」のある、表現様式は確立されてあった、かつ最高峰に達していた。
仮名序は、人麿を、歌のひじり(歌の達人・歌の道を教える高徳の人)と称し、赤人の歌を、あやし(妖しい・なまめかしい・妖艶)とか、たへ(妙・細部まで巧み・絶妙)とか評したのである。