帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第六 冬歌 (315)山里は冬ぞさびしさ(316)大空の月の光し

2017-11-03 20:24:26 | 古典

            

 

                        帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。

紀貫之は、「歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、大空の月を見るように、古を仰ぎて、今の歌を恋しくなるであろう」と仮名序の結びで述べたのである。原文は「うたのさまをしり、ことの心をえたらむ人は、おほそらの月を見るがごとくに、いにしへをあふぎて、いまをこひざらめかも」。この文を「歌の有様を知り,事の心を心得る人は」と詠み始めれば、歌論としての主旨は伝わらない。意味の希薄な文に貶めて無視して来たのである。

 

 

古今和歌集  巻第六 冬歌315

 

冬の歌とてよめる          源宗于朝臣

山里は冬ぞさびしさまさりける 人めも草もかれぬとおもへば

(冬の歌として、詠んだと思われる・歌……心寒いとて、詠んだらしい・歌)みなもとのむねゆき

(山里は、冬ぞ寂しさが増さることよ、人々の目も離れ、草も枯れてしまうと思えば……山ばの女は、男の厭き果てた後ぞ、寂しさ増さるのだなあ、男の目も離れてしまい、おんなも涸れてしまうと思えば)

 

「山…山ば」「里…里の言の心は女…さと…おんな」「冬…季節の冬(十月、十一月、十二月)…心も寒い厭きの果て」「人…人々…男」「草…言の心は女…若草の妻などと用いられる」「かれぬ…枯れぬ…枯れてしまう…涸れぬ…涸れてしまう…離れぬ…離れてしまう」。

 

山里の寂しい冬景色を思い遣って詠んだ――歌の清げな姿。

山ばの女は、厭きの果てた後ぞ、寂しさ増さるのだなあ、男はめ離れし、おんなも涸れてしまうと思えば――心におかしきところ。

 

 

古今和歌集  巻第六 冬歌316

 

題しらず                よみ人しらず

大空の月のひかりしきよければ 影見し水ぞまづこほりける

題知らず            (詠み人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(大空の月の光が澄んで清よらかなので、月影を見た水が、先ず、凍ったことよ……あの月人壮士の、恵みの光、清く澄んで淫らではないので、陰を見たをみなぞ、間づ、凍りついたことよ)

 

「月…大空の月…月人壮士…男…おとこ」「ひかり…光…輝き…栄光…威光」「きよ…清…澄んで居る…澄んで汚れがない…色情なく澄んでいる」「影…光…お蔭…恵み…陰…陰部」「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい」「水…水の言の心は女…をみな…おんな」「まづ…先ず…真っ先に…間づ…間津…おんな」「こほる…凍る…心も凍る…ものも凍りつく」。

 

月の光が澄んで清よらかなので、月影を見た水が、真っ先に凍ったことよ・初氷の景色――歌の清げな姿。

あの月人壮士の恵みの光、清く澄んで淫らではないので、陰を見たをみなぞ、間づ、凍りついたわ・こんな壮士もいたことよ――心におかしきところ。

 

両歌は、男と女の、心の冬を詠んだ歌のようである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)