どこに行っちゃうのかおれにもわかんねーよ!

とにかくいい加減なブログです。

上野動物園

2018-11-11 23:46:00 | 旅行
次は上野動物園へ。上野公園には何度も足を運んでますが、動物園は初めてなのだ。
上野動物園といえばパンダだが、待ち時間110分以上だと…。「そうだ、パンダでも見よう」と思いつきで見れるわけがない。考えがあまっちょろいんですわ。
しかし、この端っこから、パンダのおしりと食べてる笹だけ、チラリと見えた!残念だが、写真には写らんかった。
晴れ渡った日曜日、人出でにぎわう園内。
茅葺きの建物。
閑々亭です。客をもてなすために藤堂高虎が建てた家。東照宮を参拝した将軍家光公が、武士もたしなみを持つようになり、閑となった世にちなみ、閑々亭と名付けたとのことです。
水琴窟もありました。音色を聞くのは高輪の泉岳寺以来だな。
サルの後ろ姿。ちょっといじけてる?
シロテテナガザルです。アクティブじゃないのね。
ゴリラの後ろ姿。
後ろ姿ばっかりじゃん。
ついにお顔を拝見できず。親父みたいな背中は、なんだか哀愁を感じさせる。。
正面からの上野五重塔。東照宮側から見たのは裏側だったんだ。
トラが放し飼い?リアルな作り物でした。
これなんていう鳥?初めて見るわ。ハシビロコウという、とにかく「動かない」ので有名。顔はいかついが、見ているとだんだんユーモラスに思えてくる。
不忍池も園内の一つ。水鳥の姿を多く見ることができます。
食通を虜にする上野精養軒も、動物園を見下ろす位置にあります。
昼間見逃した清水観音堂の月の松。お堂がライトアップされているため、丸いかたちがくっきりと浮かび上がります。
弁天門から退園しました。さすがは上野動物園、動物の展示は多く、見応えありますね。写真はあまり撮りませんでした。だって撮り始めるとキリがないからね。

(記事:2018年11月 Update:2020年8月)
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ジャイアントパンダ:2018

2018-11-11 23:46:00 | 旅行
パンダ橋を渡って上野駅へ。
上野駅2階入り口のジャイアントパンダのぬいぐるみ。
お~、子パンダが増えている~!2014年に来たときからシャンシャンが生まれ、家族が増えたのだ。
上野動物園とパンダは切っても切れない関係。1972年の来園以来、日本じゅうを笑顔にさせてくれました。今日も愛らしいキャラクターで、観客をキュンキュンさせていただろうなー。

(記事:2018年11月 Update:2020年8月)
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上野公園社寺めぐり

2018-11-11 23:45:00 | 旅行
今回は上野公園を、いままでよりも、もう少しじっくり見て回ります。
東叡山、山内散策マップ。東叡山とは徳川将軍家の祈祷所・菩提寺のひとつ、寛永寺の山号で、上野のお山まるごとが境内だったんですね。ここは歴史的に重要な場所であることを再認識します。
清水観音堂。上野の山で、大火、戦火、震災を免れてきた建物の一つです。
構内に入ると、朱色の佇まいがまた雅かな。ご本尊は千手観世音菩薩。平安時代の作とのことで、毎年2月にご開帳されます。
京都清水寺の舞台を見立てて建てられたお堂であり、東叡山と不忍池は、比叡山と琵琶湖をモチーフとしています。ここからの不忍池と弁天堂の眺めは風光明媚です。
願い玉の運試し。
あそこの円に見事入ると、願い事が叶うと言われています。500円で5回チャレンジできます。清水の舞台から飛び降りるまでもなく、ひょいと投げてご利益頂戴しよう。
ここから見る月の松が有名だそうですが、人が多いのでパスします。(別記事に、夜に撮影した写真があります。)
秋色桜。
江戸時代、13歳の娘が花見で詠んだ句を、桜の枝に吊るして帰りましたが、寛永寺住職に称賛され、その後娘は俳人となり、菊后亭秋色と号しました。
博士王仁碑。
王仁博士は、古墳時代の応神天皇期に、百済国から日本に渡り、千字文、論語を広めた人とされています。その功績は図り知れないものがあり、日本での偉業を伝えるため、ここに記念碑が建立されています。
花園稲荷神社。
朱色の鳥居が鮮やかです。
鳥居は幾重にも連なります。フォトジェニックなポイントですが、ピンボケしてしまった。なにせ写真が下手なもんで。。
神社のお堂。こちらは縁結びの神様としてご利益があるといいます。
付近に穴蔵のようなお堂があります。こちらが当初の元宮で、お穴様と呼ばれています。中は暗くヒンヤリとしています。
パワースポットとして有名なこの神社ですが、参拝者が多く訪れる理由は、お隣の神社もお目当てとなっているためです。
五条天神社。医薬祖神として病気平癒を祈願する神社で、その歴史は1900年以上もさかのぼります。
上野大佛。
階段を登るとパゴダ(仏塔)があります。
大仏さまは、当初は粘土と漆喰で固められた如来像だったのですが、倒壊し、その後青銅化された大仏となりました。震災・火災により頭部が落ちたりして、幾度かの災難にも修復されてきました。
ところが現在は、大仏さまのお顔だけ残って社殿が建てられています。関東大震災で面部が落下し、その後胴体は、第二次世界大戦中、国に供出されたためです。合格祈願で訪れる人が多いのは、「もうこれ以上落ちない」ということからなんだとか。

次に上野東照宮を拝観します。
ぼたん苑もぜひ見てみたいのだ。
水舎門をくぐって境内へ。
目指すは社殿ですが、かなり奥まっており、時間をかけて参道を進みます。
右手には旧東叡山寛永寺五重塔。2代将軍秀忠の意による建造物。総和風造りの国指定重要文化財です。震災や戦火、明治時代の神仏分離令による破壊の危機も乗り越え、今ここに平和を見守ってます。
上野東照宮は、危篤であった徳川家康が、魂鎮まる場所をつくってほしいと要望し、建造されました。祀られているのは、家康、吉宗、慶喜の3人です。
銅灯籠群。
諸大名が奉納した48基が現存します。中でも唐門両側の6基は、紀伊、水戸、尾張御三家ものです。
参道を抜け金色の建物が見えてきました。
唐門。きらびやかな装飾とデザインが、徳川家の栄華を物語ります。
唐門で素晴らしいのは、柱内外の四額面の彫刻です。左甚五郎作の昇り龍・降り龍は、毎夜、不忍池に水を飲みにいくという、伝説があります。
見事な細工です。
極彩色で美しい。
柱の獅子もカラフル。
屋根の庇もなんと豪華な造りだこと。
日を受けて、ますます輝きます。
社殿を囲む透塀(すきべい)。
この造りは日光東照宮の造りに準じていますね。
赤い筐体に緑の格子が鮮やかです。
透塀は、上段に動植物、下段に海川の動物の彫刻が内外両面に施されており、その数は200枚以上にもなります。
ズラリと並ぶ石灯籠は、参道に200基以上も並びます。家光公が東照宮を造営替えした折り、全国の大名がこぞって奉納したものです。
巨大な御神木の大楠。
高さ25m、幹の太さ8m、樹齢約600年です。東照宮創建前から立っており、上野の山の祖木といわれています。
奥の社殿にやって来ました
金色殿ともいわれ、出世、勝利、健康長寿のご利益があり賑わってます。
家光公が建造した社殿は、武家風かつしなやかなラインが美しい。
こちらも、戦争・地震・火災を免れていることから、人々の信仰を集めています
壁のレリーフもチェック要です。
鳥の彫刻。
ネズミなど、十二支はもとより、様々な動物が彫りこまれています。
日光まで行かなくてもお参りができるようにと、江戸の人々に開放されました。心を安らかにさせることも、天下泰平の秘訣なのかも知れませんね。
唐門同様、屋根の軒下の造りも凝っています。緻密な造形と大胆な色使いですね。
裏側から見た唐門もまた見事。武家、仏教、神話、それぞれのエッセンスを融合させ、職人技術の粋を集めた建築美に感嘆するのでした。
栄誉権現社。通称お狸様と呼ばれます。「他を抜く」という意味から、強運開祖、受験合格、就職、必勝祈願のご利益があります。お狐様ではない理由があるのですね。
参道に戻り、ぼたん苑まで歩く間に、艶やかなあんどんが並びます。
こちらは桜。
色とりどりのデザインが楽しめます。夜は点灯するみたいなので、ぼんやりと灯るあんどんの列は、きれいなんだろうなー。
でかっ!ひときわデカイ石燈籠。
お化け燈籠と呼ばれ、高さ6.8mもあります。大名の佐久間勝之が奉納したものです。
さて、見たかったぼたん苑は、、あ~開いてないっす。。
ぼたんは12月から春までの間咲くので、今は閉館中なのでした。貼ってあるポスターのダリア展も、10月で終わっちゃってるし。
塀越しに見えたのは一輪の花のみ。11月はちょうど切り替わりの時期で、見頃シーズンを誤ったか。ああー、見たかったのになー。。

(記事:2018年11月 Update:2020年8
月)
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神田~上野

2018-11-11 23:41:00 | 旅行
さて、神田から山手線で、
上野に到着。
そして上野公園へ。久しぶりの西郷さんと愛犬ツンだー。
敬天愛人。西郷さんが好んだ言葉です。
王政復古や、江戸城無血開城の立役者としての偉業はもとより、西南戦争の総大将として、西郷さんはカリスマ的存在感を発揮しました。人望を集め、慕われ、それが人および歴史を動かすことにつながったのは、敬天愛人の心得からなのだと思います。
上野の森美術館ではフェルメール展開催中。
行列できてるなー。
美術館もいいが、こんなに天気がいいことだし、公園内を散策しましょう。

(記事:2018年11月 Update:2020年7
月)
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皇居外苑~東京駅

2018-11-11 23:22:00 | 旅行
皇居エリアを後にして、

行幸通りを東京駅方面へ向かいます。
突き当たり正面に東京駅がドーンと出現。
右側の南ドーム。
北ドームをチェック。木や街路灯がちょっと邪魔だな。
大正3年開業の建築は、優雅で落ち着いた雰囲気です。復原された天井のデザインを見たかったですが、もう、のどかわいて。。次いってみようかー!

(記事:2018年11月 Update:2020年7月)
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皇居

2018-11-11 22:47:00 | 旅行
さて、皇居外苑へやって来ました。東御苑を廻ってみます。
大手門前。正門として諸大名が登城していました。
では参るぞ、たのもう~。おお、入り口のボタンがきれいでござるよ。
大手門を含む多くの建物が、明暦の大火で焼失しました。
当時の写真とほぼ同じ姿で復元されています。
入り口詰所で入園票をもらいます。入園は無料です。
三の丸尚蔵館へ行ってみます。
絵画、書、工芸品などの美術品はもとより、皇族のご遺贈品、ご寄贈品が多数所蔵されています。
蒙古襲来絵詞や唐獅子図屏風など、歴史の教科書に出てくる絵画も所蔵しています。企画展示も随時開催しています。
三の丸尚蔵館を出てすぐ向かい側から、凄まじい気合いとともに、竹刀の打突音が響き渡っています。皇宮警察の武道場、済寧館での稽古が行われていました。それにしてハンパない気迫です。(一応、剣道経験者なもんですからね。)
外人さんが写真を撮っているのは、同心番所。警備の詰所で、三の丸から本丸に入る途中、大名のお供の監視にあたっていました。鬼瓦に葵の紋が刻まれているので、見つけてみよう。
巨石を高く組み上げた中之御門石垣。登城前、御三家を除く大名は駕篭から降りて、ここから徒歩で本丸へ登って行かねばならなかったそうです。
石垣の修復作業の解説図。築石は35t前後のものが使用されているとのことです。
そして本丸への道を厳重に守る百人番所。


鉄砲隊百人組が昼夜交替で勤務していました。
大番所。本丸までの最後の番所で、先述の番所より、位の高い与力や同心が、目を光らせていたようです。
植物もいっぱい。これはさざんかかな?
こっちはカンツバキ?
江戸城本丸図。さて、いよいよ本丸へ。
おっ、これか?
富士見櫓でした。天守が焼失したあと、代用天守となったそうです。
敵を攻撃する重要な防御施設です。
ここから品川沖や富士山、両国の花火も見えたそうです。
松之大廊下跡。
赤穂浪士討ち入りのきっかけとなった、刃傷事件があった現場です。広大なお屋敷があったようですが、今は跡形もありません。
ツワブキの畑。
白壁の長屋風建物は、
富士見多聞です。
中には屋敷跡図面がありました。今ではだだっ広い公園となっていますが、相当な規模の建造物があったようです。
窓格子は、物見と銃口を向けるのに適しています。
多聞は、櫓とともに築かれた設備です。緊急時以外は武器弾薬の貯蔵庫、女中の住居として利用され、襖があった形跡もあることから、様々な用途があったと考えられます。
江戸の太平の世にあって、実際には戦闘はなかったと思いますが、相当な用心深さがうかがえます。
石室。
抜け穴、金蔵とか諸説ありますが、大奥の非常用保管室であったと考えられています。
見事な竹林があります。
平成天皇のお考えで、吹上御所から移設整備されました。日本・中国のもので、笹を含め13種類が植林されています。
本丸御殿跡。現在は芝生公園で都民の憩いの場です。
おっ、石垣が台座のように組まれている。いよいよ天守台の登場じゃ。
ここまで大儀であった。では登るとしんぜよう。
まずは中段の石垣からの眺望。

お、なんだあの洒落た建物は、後で行ってみよう。


本丸より下方にある二の丸。城内一周コース上外せない。

巨石の方位盤。ベンチになりそうなほどでかい。
本丸は、表、中奥、大奥と御殿が建ち並ぶエリアであり、そのなかでも大広間は500畳もあったといいます。奥方やお女中方が暮らしていた大奥は、銅堀で遮られ、表および中奥からは1本(後に2本)の廊下しかなかったそうです。
太田道灌の設計した江戸城は、徳川家康が征夷大将軍になってから、天下普請により、何年にも渡って各大名に修復・建設させ、権力を誇示するべく巨大化し完成しました。しかし、こんな広大な敷地が江戸城の一部とは。。

60m近く高さがあったとされる天守閣。今は大火で焼けた跡の台座が残るのみです。
大火で焼失した天守は、当時の幕閣、保科正之らにより再建は中止になりました。それは、もう天守閣にお金をつぎ込む時代ではなく、城下の復興に充てよ、という理由からなのでした。
台座に立つこの松は、「そんな歴史があったから、こんなにお江戸は発展したんだよ。」と言うかのように見下ろしています。

桃華楽堂。
香淳皇后のご還暦を記念して建てられた音楽ホールです。外壁には華やかなタイルや、信楽焼、有田焼の陶片が用いられています。入口の屋根には、鬼瓦ではなく、金色の雛人形が飾られています。
北桔橋門。
「きたはねばしもん」といいます。橋の片側を跳ね上げて、敵の侵入を防ぐ北側の門です。通常は跳ね上げた状態で、いざという時脱出するためにおろしたそうです。
梅林坂。
太田道灌が多数の梅を植えたとされます。今は70本の紅白の梅が、冬場に楽しめます。
平川門。
当初は徳川御三家の登城口だったそうです。お局御門や不浄門との異名もあるそうですが、門を出ると太鼓橋の平川橋がかかっており、江戸時代にタイムスリップしたような、景観が楽しめるとのこと。見ないで通過。。
二の丸に入ります。
緑の庭園が広がります。各都道府県の木260本が植えられています。
東京都はいちょうの木。
あれれ、神奈川県もだわ。
北海道はえぞまつです。
諏訪の茶屋。ご休所として吹上御所で使われていたものを、こちらに移築しました。
小堀遠州が造ったこの庭園は、家光公が修復させたとあり、世継ぎの家綱公のために建てた御殿もありましたが、大火で焼失しています。池の位置は造ったときのままだそうです。
家光公と秀忠公が茶会を開いたという記録も残っています。池の中に能舞台も造られていました。
明暦の大火後は、将軍の隠居場所、生母の居場所となりましたが、幾度も焼失と再建を繰り返しました。しかし、これも復活せずです。
菖蒲田もあり、春から夏にかけては、花いっぱいの庭園ですね。それと松の木が素晴らしいです。
桜も280本植えられ、春はお花見の名所です。スポーツおよび飲酒は禁止なので、そんなに混雑しないそうですよ。
お池には錦鯉。日本のニシキゴイと、インドネシアのヒレナガゴイを交配させた、ヒレナガニシキゴイもいるそうです。
二の丸池には可憐なお花も見られ、準絶滅危惧種のアサザも生育しています。
明治には一時荒廃していたこの庭園も、家重公時代の絵図面をもとに造成され、復活しました。
青竹の竹林。これは北海道にはなかなかない風景です。涼やかな緑が目に心地よい。
園内でちょっと気になった、直角に曲がっている木の枝。なんでこんな形になったんだろうか、、しかも先になるほど太くなってる。。
そろそろ出発点の、三の丸に近づいてきました。
大手門から東御苑を出ました。けっこう疲れたわ。ほんとは、和気清麻呂公像、震災いちょうなども見たかった。外苑に至っては、二重橋や桜田門も有名だしね。
江戸城は、室町時代後期、扇谷上杉氏に仕える太田道灌が築城し、守護として治めました。道灌濠は、当時のまま皇居内に残されているそうです。(築城前は江戸氏の居館があったのが、城としての始まりでした。)
外堀を歩くと、手前の巽櫓、奥には富士見櫓が見えます。その間には桔梗門がチラッと見えています。外堀はジョガーがものすごく多くて、ロードレーサーも、車道を猛烈なスピードで駆け抜けます。皇居周辺は、もはやジョガー&サイクラーグッズの品評会会場ですね。
楠公駐車場前。観光バスの駐車場なんですが、相当広いです。
楠木正成像はこの広場内にあるらしいんだけど、
なんせ皇居は広いので、今日はちょっと無理だな。東御苑だけでも面積は21万㎡、東京ドームの4.5倍はあるのだ。くたびれるのも無理はない。
ビル群を背景とした、石垣と和田倉橋のアーチを見ながら、次のスポットへ。暑いしけっこう汗かいたから、しゃっこいビールでも飲みたいなあー。

(記事:2018年11月 Update:2020年7
月)
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入谷~茅場町~日本橋

2018-11-11 10:46:00 | 旅行
翌朝ホテルを出て、入谷から日比谷線で茅場町、
東西線に乗り換えて日本橋まできました。
地上に出ると、
向かいには複合テナントビル、COREDO日本橋がありました。

COREDO日本橋は、正式名称、日本橋一丁目三井ビルディング。早稲田大学の日本橋キャンパスとしても利用されています。
左に進み、お目当ては、
お江戸日本橋到着。なんと、首都高が真上を通っているのだ。
石造り二重アーチ橋の建設様式は、重要文化財指定。
橋を通るのは、日本の道100選の中央通り。道の起点としての日本橋でもあります。
日本橋由来記の碑があります。
徳川家康が幕府を開いた時から掛けられていたとされ、安藤広重の錦絵でも知られています。東海道をはじめとした五街道の起点であり、重要水路だった日本橋川と交差する点として、江戸経済の中心となっていました。隣には観光案内所もあるんですね。
西日本方面の里程標。鹿児島市まで1,469粁。米と千を合わせてキロメートルという漢字なんだ、知らなかった。
札幌市までは1,156粁。札幌ー稚内間は327kmなので、鉄道で行ける最北端までの距離は1,483粁か。
東京市道路元標。元々は橋中央にあったものを、レプリカとしてこちらに移設したものです。
日本国道路元標。
これも柱として橋中央にあったそうですが、都電の廃止の際の道路整備で、このプレートに移されました。文字は当時の総理大臣佐藤栄作さんのものです。
橋上の青銅の照明灯装飾品。東京市の守護を願って獅子が彫られています。上に乗っかっているガス灯がレトロですね。日本橋の文字は十五代将軍、徳川慶喜公の揮毫です。
こっちは翼を持った麒麟が彫られています。東京市の繁栄を願ってのものです。
こちらはひらがなで、同じく徳川慶喜公の揮毫です。
カタカナ文字ちょうちんの、和風レストラン・バーのお店。
ここぞ日本橋1丁目1-1。お店の名前も「ニホンバシ イチノイチノイチ」なんですよ。
橋を渡って、
橋の対岸は日本橋室町1丁目8。
そこに魚市場発祥の地碑がありました。
江戸時代に始まった魚市場のさきがけで、この一帯に多くの鮮魚運搬船が集まり、売場を開いていました。関東大震災後には築地に移り、中央卸売市場へと変わっていったのであります。
曲線が美しい建物は、日本橋三越新館。裏は重厚な造りの本店があります。日本銀行本店もそばにあり、日本経済発展のの歴史を感じさせる場所ですね。

(記事:2018年11月 Update:2020年6
月)
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ルーフ・トップ

2018-11-11 09:48:00 | 旅行
翌朝、ホテルの屋上に休憩スペースがあるというので、行ってみます。
確かに屋上だが、これはなんか工事現場みたいだけど、、
外に踏み出すと、おお、見晴らしがよいぞ。
眼下には国道4号線が見える。
いちおう屋根のある東屋チックなスペース。テーブルとイス、プラスチック人工芝でサロンを形成。
ちなみに屋根はこんな感じ。雨が当たんなきゃいいのよ。
酒類の自動販売機があるよ。
ひょー、眺めはバッチリ、こいつはいいぜ。
夜は夜景を見ながら涼めるな。

(記事:2018年11月 Update:2020年6
月)
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市場~新橋~浅草

2018-11-10 22:28:00 | 旅行
青果棟を見るのは、疲れてきたので断念し、豊洲市場を後にして、
初めてゆりかもめに乗ってみようと思います。
市場前駅から新橋へ向かいます。
新橋行きが来ました。
新橋駅到着。
都営浅草線に乗り換えて、
浅草到着です。
まっすぐ雷門へ。あー、やっぱり浅草は気持ちが華やぐなー。
夜も仲見世には人が途切れません。
宝蔵門のライトアップもきれいだな。
本堂でお参り。家族の健康と、どうか楽しい道中でありますように。
境内にある御神木、槐(えんじゅ)の木。
フラッシュが焚けなくて、暗くわかりづらいですが、漁の網にかかったご本尊を、槐の切り株に安置したことが、浅草寺の起源とされます。この木は何度枯れてもまた生えてくるので、その不思議な縁から神木として祀られています。
もう一本の御神木、いちょう。
源頼朝公が差した枝から発芽し、ここまで巨木となったと言われています。度重なる戦禍をくぐり抜け、今日に至っています。
旧五重塔跡。最初の建立は942年と古く、幾度か炎上するも再建され、徳川家光によって再建されたのを最後に、戦災で焼失しました。現在の塔は反対側の敷地に建っています。歴史と言い伝えが数多くあるのも、地元の人の信仰を得ている所以であります。
境内に近い土産物屋さんで、江戸文字で書いてある、浅草名前札が気に入り買いました。たくさんの中から、家族全員の名前をそろえることができたので、これは買うしかないと思ってね。もしかして大ラッキーなのかも?

(記事:2018年11月 Update:2020年6
月)
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豊洲市場

2018-11-10 22:27:00 | 旅行
これから豊洲市場に行ってみるのですが、青果と水産棟に分かれてて、さて、どこから入ろうかな?こっちは水産卸売市場棟だから、
向かいの水産仲卸売場棟に行ってみよう。
おー、ターレットトラックだ。札幌中央卸売市場でもちょろちょろ走ってるやつだ。
3階の豊洲市場ぐるめ街。39店舗入っており、寿司等海鮮が多いですが、他にも色々食べれます。市場では他に青果棟に少しと、管理棟に13店舗あります。
4階の魚がし横丁。専門的がたち並び、一般客もお買い物が楽しめます。ここには約70店集まってます。
既に16:00を過ぎており、閉まっているお店がほとんど。
半分開いているお店、海産珍味の山茂さん発見。三輪スクーターってのもあるんだねー。市場って広いし、荷物運ぶの大変だからね。
フロア図がありました。1階は仲卸売場で、さまざまな業者が買い付けに来ます。
この隙間から1階のフロアが見えるんだけど、細くて全然わからんので意味不明。
水産仲卸売場棟を出て、水産卸売市場棟へ行ってみます。右側はパッケージ棟。
豊洲大橋が見えます。物流トラヒック考慮のため、5つの橋と1本の陸道、首都高速料金所もあり、交通網が整備されています。築地と同じく、船による搬入・出も可能です。
手前は現在駐車場になっていますが、千客万来施設を建設予定だそうです。観光客向けショッピングモールや温浴施設もできるようです。
桟橋を渡って、まずは管理施設棟に入ります。
そして水産卸売市場に入ると、マグロの原寸大オブジェがお出迎え。
取り引きされたうち、最大級の国産クロマグロです。496kgあったそうです。
水産物取り扱い量と回遊ルート。豊洲市場に集まる水産物でナンバーワンは、冷凍めばちまぐろ21,692t。これは日本人のマグロ大好き度が、データでわかるというものです。次に、まあじ13,681t、ぎんざけ12,914tと続きます。
いろんなマグロが世界の国から届く豊洲。
マグロの種類と生息エリア図で、上から4つ目まではよく聞くマグロの名前ですが、5つ目をみるとビンナガマグロ?ビンチョウマグロなんでないの?で、調べてみると同じマグロでした。ツナ缶に使われるポピュラーなマグロですが、脂がのってとろけるようなビントロとして、人気がありますね。
ここからが水産卸売市場の見学者通路です。
ここからマグロの競りを見学できますが、人影がない。。
それもそのはず、午前6時過ぎには、競りは終わっちゃうんですから。
卸売場は1階から3階まであり、フロアごとに取り扱い品目を決めているそうです。
今後、1階に見学デッキを作り、名物のマグロの競りが、間近で見れるよう検討しているそうです。

卸売業者、関連業者、売買参加者、仲卸業者、買出人らが関わり、午前2時に荷おろし、4時に品物の下見、4時30分にセリ、7時に買出人への販売、午後1時からは翌朝まで順次入荷待ち。市場は眠らないのだ。

手やりの解説。一瞬で数量と金額を伝えることができるスゴ技なのだ。
日曜日はオール休市日で、水曜日も休市が多いですが、他の曜日に振り替えられている場合もあります。休市スケジュールを確認しておいた方がいいですね。
温度管理等の衛生面、機能性を整え、先月スタートした豊洲市場。これまでより、取り扱い量が増えるのを期待されています。

(記事:2018年11月 Update:2020年6
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豊洲へ

2018-11-10 22:26:00 | 旅行
築地を見たからには、移転先の豊洲も見なけりゃなるまいて。
築地川沿いの環状第2号線暫定道路が、遊歩道&サイクリング道路になっています。
振り返ると、離宮を見下ろすカレッタ汐留・電通本社ビルや、コンラッド東京ホテル等が林立し、東京湾岸沿いの近代的な景観を見せています。
築地市場横を通過。
環二通り沿いに橋を渡り、勝どきに入ります。
先ほどまでいた浜離宮。水上バスの出入口が見えます。
隅田川上流側は、橋のアーチの隙間から勝鬨橋が見えます。
勝どきから朝潮運河にかかる、れいめいおおはしを渡って、晴海に抜けます。
月島警察署前交差点を左折し、晴海通りに入り、有明通りに右折して行きます。
この先の晴海大橋を渡れば豊洲です。
晴海運河の東側は、ららぽーと豊洲。
全長580mの晴海大橋を、えっちらおっちら。
西側に夕日が差してきました。レインボーブリッジが見えます。
臨海埋め立て地帯の豊洲。運河沿いのマンション開発スピードがすごい。
橋を渡ると、コンサート会場の豊洲ピットがありました。待ち人は若者ばっかで、全体的に黒っぽいコスチュームなんで、誰のライブかなと思ったら、ビジュアルロックバンドのBUCK-TICKでした。東日本大震災復興のためチャリティーイベントの活動拠点として、2014年から設立されております。
有明通りから豊洲有明線へ右折、ゆりかもめの高架伝いに進みます。
豊洲市場エリアに入ってきました。
ゆりかもめの市場前駅到着。
現在位置はここ。豊洲といっても、市場えりあ、商業エリア、住居エリアと分かれててかなり広いです。

(記事:2018年11月 Update:2020年6
月)
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浜離宮恩賜庭園

2018-11-10 22:25:00 | 旅行
築地から、相変わらずのノープラン・行き当たりばったりで、浜離宮恩賜庭園入り口にきました。築地川をわたり大手門へ向かいます。
浜離宮恩賜庭園は、徳川将軍家の別邸・庭園として造成され、浜御殿と呼ばれていましたが、明治維新後、皇室の離宮となり、東京都に下賜され今日に至ります。
元々は将軍家鷹狩りの場所だったんですね。
早速、園内を散策しましょう。歴史の生き証人である離宮を、高層ビル群は見下ろします。
内堀。船で物資を運び、江戸城へ入れるための中継ポイントでした。
これは見事な松だなー。
三百年の松。六代将軍徳川家宣が庭園を大改修したときに植えられたと伝えられます。これほど見事な松は見たことがないです。
水上バス乗り場がありました。
東京クルーズと東京水辺ラインの2社が運航しています。
そういや、この庭園って入場料かかるんだけど、ここで乗り降りするのって、水上バスの他に料金かかるのかな?
出航しました。この時間だと浅草行きだな。
なんでもない芝生も、松の木があると和の景観になってしまう。木の配置や曲がり具合も、計算されているのだろうか。
灯台跡。一時、木造の灯台が設置されていたそうです。礎石だけが残っています。
ここに菰巻された木があります。
寒さを防ぐためかと思ったら、害虫を駆除するためのものなんですね。
新樋の口山。展望台として見晴らしのいいところですが、江戸時代には、水軍施設もあったらしいので、見張り台の役割もあったのではと思います。
登ってみました。ここは隅田川と東京湾の海水が、ちょうど入り交じるところです。レインボーブリッジが見えますね。
将軍お上り場。ここで徳川の将軍は船に乗り降りしていました。江戸城までの船の行き来や、京都大阪方面からの帰還時に、ここを使ったそうです。
どんどん見ていこう。海出の茶屋跡。
横堀にかかる海手お伝い橋。かけ方が互い違いですが、遊び心なんだと思います。
水面にビルの影が映っている。昔と変わってないのは、同じく映ってる青空と雲。
富士見山。
築地方面。うーんいい景色。
潮入の池。海水が潮位により流入し、景観の変化を楽しめる、回遊式庭園なんです。周りのビルは庭園をいつでも見れていいなあ。
お伝い橋を渡ります。
鴨が羽を休めています。
中島の御茶屋。
カフェになっていて休憩できるようです。
小の字島に渡り、対岸に行きましょう。
今渡ってきたお伝い橋は、長さ118mの総檜作りです。
馬場跡。ここでは馬術の訓練が行われていたそうです。暴れん坊将軍吉宗も、ここで腕を磨いていたのでしょうか?
こちらは、復元された見事な茅葺きの鷹の御茶屋。
鷹狩りは将軍家の権威象徴。ここでも盛んに行われていました。
そして燕の御茶屋。
名称の由来は、燕形の釘隠金物が使われていたことや、燕子花(かきつばた)から来ていると言われています。
松の御茶屋。
関東大震災や戦災で焼失したものを復元する。発掘や文献調査の細かい作業があってこそです。
庚申堂鴨場。これは小覗という捕獲設備。
ここに鷹匠が潜んで鴨をおびき寄せるのだ。
鷹狩り時の配置や方法が書かれてます。鴨を呼び寄せるため、アヒルを囮として飼育していたそうです。
鴨を捕獲するための道具、叉手網です。これに掛からなかった鴨は、訓練された鷹によって捕まっちゃいます。
浦の池の鴨。昔はさっきの小覗から、狙われていたんだろうな。
ぐるりめぐって、
スタート地点の大手門到着。江戸時代の地図が掲示されており、江戸城のお堀から水路でつながっていたのがわかります。東京湾直結のロケーションだったため、出城としての機能も備えていたんですね。

(記事:2018年11月 Update:2020年6
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築地本願寺

2018-11-10 22:20:00 | 旅行
築地場外市場から、晴海通りをはさんで見えた建物が気になり、
来てみると築地本願寺でした。
海外の様式を取り入れた建築は、まさに
宮殿のようです。お食事処やカフェ、ブックセンター、オフィシャルショップもあり、法要以外でもゆっくりできます。ホールには巨大なパイプオルガンもあり、金曜日にはランチタイムコンサートも開かれています。
この銅像は、
浄土真宗の宗祖、親鸞聖人でした。築地本願寺の本山は京都西本願寺です。
こちらは、文化財となっているお墓が多数あります。画家として高名な酒井抱一のお墓。
間新六供養塔。赤穂義士に加わり、吉良上野介仇討ちを成し遂げたあと切腹。他の義士は高輪泉岳寺にお墓がありますが、なぜかこちらに葬られています。
森孫右衛門供養塔。江戸幕府に漁猟の許可を得て、拝領した土地(海)に佃島を築き、将軍に魚を献上していたことで知られています。
他にも多数あります。モダンなお寺ですが、歴史に触れられるのもいいですね。

(記事:2018年11月 Update:2020年6
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築地市場その後

2018-11-10 22:18:00 | 旅行
新大橋通りに出て、築地市場前まできました。
正門前には、人だかりがありました。移転に反対する業者さんが、俺んとこの店はまだここで営業してるんだと、メガホンもって露天販売しています。

そうはいっても、施設の老朽化はねぇ、どうしようもないっすよ。
解体後は、暫定的にオリン・パラリンピックの輸送拠点ととして、活用される予定とか。
今は解体されるのを待つ築地市場です。

しかし地図でみると、相当広い敷地です。築地の町の面積約半分ですからね。隣に東京国税局や朝日新聞本社、国立がん研究センターもあり、銀座も近く、ほんとに花の都、東京の真ん中なのだ。
おや、このマッチ箱大の出っぱりは何だ?
機械のネジ部分を隠すカバーでした。うまく細工してあるなー。


(記事:2018年11月 Update:2020年6
月)
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築地場外市場

2018-11-10 22:15:00 | 旅行
さあ、いよいよ築地場外市場探査です。
軒下アーケード街があります。韓国やタイのストリートを思い出します。
築地魚河岸にきました。
隅田川淵に構える魚市場。仲卸しを母体とした約60の小売り店舗が入っています。新築して明るいイメージになり、道の駅かショッピングモールみたいです。
もちろん、新鮮な魚を使った“市場飯”を味わうことができます。
魚河岸の屋上に上がりました。こちらは海幸橋棟の広場。
棟が分かれており、橋を渡って隣の棟へ。真下は賑わう波除通り。
小田原橋棟へきました。
小田原橋棟の屋上広場も、こんなに広いんですよー。
魚河岸でショッピングを楽しんだ後、場外市場内をめぐります。一角のあじだしのお店。ポットに入ったアゴだしをテイスティングし、だしの底力を再発見。だしパックを即お買い上げ。
海鮮丼のお店のド迫力ディスプレイ。マグロとカニの闘い?
解体ショーは終わったばかりでした。
これ、テリー伊藤さんの実家のお店、厚焼玉子の丸武さん。
市場は豊洲に移転したけど、場外市場はそのままなので、観光客も大勢やって来ます。
晴海通りと新大橋通りに挟まれた、わずか数百mの区画にお店がひしめきあっており、ここはまさに食のラビリンス。
そして熱気とパワーに圧倒されるのでした。


(記事:2018年11月 Update:2020年6
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