聖路加国際病院から隅田川沿いに、勝鬨橋方向へ進むと、

傍らにあった電信創業之地碑。明治2年に開業した東京電信局跡です。「紀元二千六百年逓信省」となっていますので、和暦で昭和15年に業務開始しています。

横浜までの約32km区間に電信線が架設され、日本で最初の公衆電気通信が始まりました。石碑は、昭和53年に40m離れたこの場所に移動したとあります。

月島の渡し跡。月島の埋め立てが完成した明治期に、築地~月島間を、手漕ぎの渡し船で民間運航が開始しました。その後、月島が臨海工業地として発展していく上で、重要な交通の役割を果たすことから、市営・汽船化と、無料となることでさらに乗客が増加しました。昭和15年の勝鬨橋完成により、その役目を終えました。

堤防上にある、はとば公園に行ってみよう。

ピカピカの玉が転がってます。ポケモンボールみたいで子供に人気がありそうですが、モニュメントで「水の情景」と名前があります。ここは夜景スポットで、ライトアップされた勝鬨橋を見ることができます。

ここから見た勝鬨橋のアーチ。これがグリーンに灯るのだ。

対岸には林立する高層アパート群。夜のライトアップは、ビルの窓明かりも手伝い、水面に反射してすばらしい景観を演出します。

築地六丁目の名所・旧跡案内。まだまだたくさんあって見きれないよ。

地域案内図。築地市場まではもうすぐです。

築地市場前にやって来ました。巨大な駐車場ビルが、その規模を推し量ることができます。先日お役目を果たしたことから、解体作業準備中です。

勝鬨橋はすぐ近くにあります。月島、豊海、晴海、豊洲、有明、お台場と、埋め立て地帯へと続く入り口です。「はね橋」として作られましたが、開かなくなって50年近くになります。

波除稲荷神社にきました。

江戸時代から続く神社。築地の埋め立て工事は、荒波のため難航していました。ある日の夜、光を放ちながら海面を漂う御神体が見つかり、社殿を建て祀ったところ、荒波がおさまり、工事が順調にすすんだことから、波除稲荷と呼ばれ信仰されているとのことです。

いろんな塚が脇にあります。すし塚。

海老塚。

活魚塚。

鮟鱇(あんこう)塚。

玉子塚など。

え、吉野家って?

吉野家の発祥は築地で、昭和34年に築地一号店創業から始まりました。感謝の意を込めて、ここに碑を奉納したのだそうです。

獅子殿の厄除天井大獅子。願い事が通じるといわれています。

対座するように弁財天社・お歯黒大獅子が納められています。

現在も、大獅子を担いで祭礼が行われています。他にも「青龍」「白虎」の頭も奉納されています。波を立てるのは、雲を従える龍と、風を従える虎の仕業とされ、それをひれ伏すのが獅子なんです。

(記事:2018年11月 Update:2020年6
月)