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急速充電の旅:神居古潭

2019-06-30 09:00:00 | 日記
これよりブログ復活します。
果てしなき我が「どこおれ」好奇心と道程に導きあれ。

旭川市街から国道12号線を深川方面へ進み、石狩川の渓谷沿いにある、神居古潭へ立ち寄りました。
入口には夢殿観音像の看板があり、ちょっと見てみます。

渓谷の深緑をバックに夢殿観音像があります。
奈良法隆寺の秘蔵、夢殿救世観世音菩薩立像を由来とし、大正13年に鋳造されたもので、高さ約5.2m,重さ約4tの銅像であります。
ここは交通量が多く、冬場の積雪とアイスバーンで、事故が多発する要注意ポイントなので、安全を祈るべく見守っています。
神居古潭へ進む途中、川の対岸先に神居岩が見えました。

神居岩は、アイヌの伝説によれば、英雄神サマイクルの砦と言われているそうです。

神居古潭到着。
古くからアイヌの方々より、舟による移動を阻む難所として、神の祟りがあるとされた畏れ多き所といいます。
悪神と、善神、そして英雄サマイクルの戦いがあったとの伝説もあります。

神居大橋があります。

旭川八景の1つで、峡谷を流れる石狩川の急流に渡されています。




橋を渡る前の左手に売店がありました。
パワースポットとして訪れる人も多く、自然石も採掘されることから、パワーストーンとして販売されているそうです。朝早いのでまだ開店してませんでした。
このあたりは、
パラ・モイ=広い湾
という地名となっており、確かに見通しはよく、穏やかな水流となっています。
が、それは普段のこと。
大雨では水かさが増し、渦を巻くほど大荒れになるそう。
急流部は、白波がたつくらいの暴れ川。
身投げする人もいるらしく、流れの速さと深さで2度と上がってこないとか。
なんでも、水深70mもある場所もあるらしいです。
橋を渡ったところにある電話ボックスには、出るらしいですよ〜。
橋から岸を見るとごつごつした岩肌がむき出してます。
シュポロ=激流と呼ばれていたこの地域は、この岩にあたると怪我はおろか一命にも関わる、危険な場所だったんですね。

そのような土地柄を知り、「一度に100人以上は渡れません」「自転車での走行禁止」といった注意書きに、余計緊張しながらも渡りきり、森の中へ入っていきます。

途中、廃線となった神居古潭区間に走っていた線路を見れました。
鉄線のみで土盛部は無くなっていて、岩肌が見えています。かなりの難所で敷設工事が行われたことを物語っています。

蒸気機関車が見えてきました。
3台の展示がありますので、鉄道ファンの方はどうぞ。



旧神居古潭駅到着。

プラットフォームがそのままになっています。



復元されている駅舎。

明治34年開業で、昭和44年の旭川駅〜滝川駅間の電化・複線化と、神居トンネルおよび新線開通により、旧路線とともに廃駅となリました。

サイクリングロードの休憩地点にもなっています。
鳥のさえずりと森林浴が心地よいなぁ。

昭和7年に貨物列車が崖崩れで川に転落するという、いたましい事故があったのが発端かわかりませんが、駅舎と近くにあるトンネルは、有名な心霊スポットらしいです。
さっきの電話ボックスと合わせて回ると、とても怖いそうです。
怪奇現象とマムシ、クマに注意ですよ。
国道に戻る途中、河原に「神居古潭おう穴群」がありました。
おう穴とは、川岸の岩が激流によって長い間浸食され作られた穴のことをいいます。
アイヌの人たちの伝承で英雄サマイクルと戦った悪い神のニッカムイが逃げる時に足を取られた跡といわれてることから「魔人の足跡」とも呼ばれています。
今回は行っていませんが、付近の神居山中腹にはストーンサークルもあり、神居古潭(神の住む場所)の名のとおり神聖な土地なんですね。
また、下流域には「神居古潭竪穴住居遺跡」もあり、奈良時代末期から平安時代にかけて存在した村だと憶測されています。
現在も219軒の住居跡が残っていて、当時の生活をうかがえ知ることができます。
渓谷は秋の紅葉が素晴らしいと評判の神居古潭。
景勝地として楽しめただけではなく、自然への畏怖と、いにしえの物語から現在までの歴史に、思いを馳せることができたひとときでした。

しかしオカルトはヤバいよねー。

(記事:2019年6月 Update:2023年2月)
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