松岡美術館 「館蔵日本画展」 2016年2月23日~4月16日
前期展に続き、後期展に行ってきました。約半分が展示替えになっていました。
下村観山が5点。
下村観山 「富士」 1918~1919
下村観山 「隠士」 1916
俗世間を離れて静かに暮らす人はこんなにストレスフリーな表情になるんだろうか。
観山は顔をいつも丁寧に描く。人柄、人生、境遇といったものを微妙に語るような眼がじんわりくる。
下村観山 「臨済」 1914
臨済宗の祖。禅宗の中でも、激しい修行の宗派。静かなのに、圧倒的な威厳。握った手から放たれるパワーに、私の手もぐぐっと。
下村観山 「山寺の春」 1915
穏やかな山中ながら、寂寥感漂う。
解説では、鞍馬山で修行中の源義経とのこと。登って行くその先には、満開の桜。
でもその樹の下には、卒婆塔が。義経の行く末を暗示しているよう。
歩く義経も明るい様子ではありません。予感がしているのに進むのをやめられないのがせつない。
ここまでの4点、どれも少し青色を用いていた。
「富士」では爽やかに。
「隠士」では、差し色のように下げひもにポイント使いするとともに、梅にもわずかに青が入っているようです。
欲から脱している感じ。
「臨済」では、布地の模様に青。
仏画の文様によく出る象だけど、パステル色だと臨済がちょっとかわいくなってしまった。
「山寺の春」では、敷石に青が。心もとげな物寂しさ。
一色でいろいろな雰囲気を生み出すものです。
横山大観「梅花」1929
古木が印象的。透けるような梅の花もちょっと幻想的。
小林古径「丹頂」1942
梅の枝の向きと鶴の身体とがともに、上に伸びあがるような。ラインはどれも命をもち、連動してつながる。
よくわからないなりに、古径すばらしい。
戦時中の作。「軍用飛行機献納 日本美術院同人作品陳列会」と目録にある。日本美術院が軍用機の寄付のための即売会を開催した時に出された作品のよう。
小林古径「茄子」1940
最初はちょっと見てすぐ次に行ってしまった絵なのですが、二周目にもう一度見ると、足がつかまってしまう。
なぜか?。このシンプルな絵が放つオーラに、二週目の瞬間、波長が合ってしまったからでしょうか。
さらっと黒く一本で描かれた枝は、細くともしっかり、そして自由。
四方に好きに広がる葉も、小さくとも意志ありげな紫の花も、生命を謳歌しているような。
ぽってりした茄子の実も、見れば見るほどよくて。黒のあいだの黄色がいい分量。
帰り際に三度目、また戻って、またつかまる。
二度三度と見るたびに存在を増す、このシンプルな絵のパワーはなんなんでしょう。
安田靫彦「羅浮仙女」
かなり描きこんだ靫彦の絵。制作年が不明のようですが、わりに初期の作品では。
魅惑のほほえみ。目線には、後年の顔独特のくせはまだない
羅浮仙女とは、広東省の羅浮山で、美しい女性に酒席に誘われて飲んでいた男が、朝に目覚めたのは梅の木の下。昨夜の女性は梅の精だと気付く、というお話。
羅浮山は、今でも景色が良い観光地らしく、お手軽トレッキングによさそうです。
前田青邨「紅白梅」1965
書道のような。ポロックの抽象のような。
奥村土牛「孤猿」1933
こんなに小さいのに、しっぽの先までぴんと張りつめた子ざる。
岩を超えてしまいそうな川の水
だれも助けてくれない、小さい体でがんばっている。こういうの弱い。。
土牛は、孤児のこざるに愛情を感じて描いたそう。川は昇仙峡での写生、さるは動物園に出かけ写生をした。
梶田半古の画塾で、塾頭の古径から写生の重要性を教え込まれた。岩や水を見ると、わかるような気がしました。
優しく真剣な人柄を感じるようで、ますます山種の土牛展に早く行きたくなります。
小笠原光「早春」1982
三毛猫にふにゃふにゃになってしまう~。
どことなくワイエスっぽい色彩。
ねこの影が、ちゃんと描かれているのが妙に嬉しい。
ねこの影にも、枯草の影にも、陽のあたたかさを感じるような。
戸の木肌や、コンクリ土台も、ずいぶん前に枯れてかさついた草も、それぞれの質感が触感として伝わりました。
そしてねこの体温のほのあたたかさ。
小笠原光さん(1948~)という方は、初めて知りましたが、秋田県の高校の先生や県立美術館で勤務しながら、制作を続けたそう。これは34歳の時の作品で院展に出品されたもの。
今回もほぼ貸切状態で、ゆっくりとした時間をすごせました。
ここはカフェはないので、近くのオスロコーヒーでお茶。
歩道で中の白金マダムを待ってると思しきワンコが、オタオタしていましたよ。