「神の島 沖ノ島」 2013年 藤原 新也 (著), 安部 龍太郎 (著)
ともに福岡出身の藤原新也と阿部龍太郎。異色の組み合わせ。
まず、藤原新也の文と写真が生々しい。
藤原新也の子供のころに遡る、沖ノ島の御神宝との不思議な縁。
島全体が御神体であり、一般の人の入島は制限され、いまも一木一草一石たりとも持ち出してはならないという掟を守る沖ノ島。その島の「祟り」を思わせる藤原新也の思い出話が、沖ノ島の畏敬の領域に引き込んでいく。
そして現在へ。BISU2”という船で荒波を渡る。
その海上での描写に、多くのページがさかれている。孤島という地理的要件に加え、波を読むのも困難な海域であることが畏れとともに伝わる。藤原新也の気持ちの高ぶり。そして、ようやく荒波のむこうに姿を現した沖ノ島の写真に、圧倒される。
神職の方の背を追って島の山道を登る道中の写真も、神聖な域として撮っているだけではない。生身の人間が神の領域に踏み込む、空恐ろしさ。
それから、阿部龍太郎のいくつかの短い小説がおもしろい。
この地の豪族、宗像一族の視点で、日本史の有名な事件を見る。中央からの視点に一石を投じるような、宗像市ならではの地理観、世界観。新羅と大和政権との間を対等にわたる宗像氏。
「三韓征伐」の話では、妊娠中の神功皇后と竹内宿祢が登場。新羅人の妻を持つ宗像氏の苦悩が描かれる。沖ノ島に渡り神の声を聞く。
そして「白村江の戦い」「磐井の反乱」「壬申の乱」へと続く。「高市皇子」を生んだ大海人皇子の妃が、宗像徳善の娘だったとは。中央政府にも一定の影響があったということ。ただ高市の皇子の子、「長屋王」は長屋王の変で失脚。その後の宗像氏の存続についての阿部龍太郎の考察。
登場人物や当時の世界が生き生きと蘇り、興味と親しみがわく短編集だった。長編小説として発展させてほしいと思う。