はなナ

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●山種美術館 「日本画の教科書ー東京編」

2017-04-08 | Art

山種美術館 「日本画の教科書ー東京編」 2017.2.16~4.16

先日ですが、京都編に続き、行ってきました。

京都編では、伝統と文化を大切に思う民間人の心意気を感じました。産業としても振興させたいという現実味も印象深い。

今回の東京編は、絵が素晴らしいのとはまた別に、近代国家を目指す首都ならでの多少きな臭い面もにじみ出ていました。画家たちはどう活躍の場を得たのか、二大潮流の日展系と院展系に分けて展示してありました

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1887年に岡倉天心らの尽力で開校された東京美術学校(現藝大)は、天心のゴタゴタにより98年には在野の日本美術院(院展)へとつながる。この辺りは映画「天心」にも描かれたけれど、天心よりも彼を取り巻く画家のほうがたいへんだったんじゃないかと思ったり。

一方、1907年に「文部省美術展覧会」として出発した官営の文展は、フランスの官設サロンに倣い始まる。その後帝展、新文展と変遷、そして今の日展に至る。

そして、二大潮流に属さず、「孤高」と呼ばれたり、新しい美術団体を立ち上げたりする画家も、存在感があった。

 

渡辺省亭(1851~1918)も、そんな一人なんでしょう。どこにも属さない。展覧会への出品もやめてしまう。だからこんなに画力があって、当時売れっ子でも海外でも評価されていたとしても、時がたつにつれて、観られる機会がなくなっていく。mottainai。

昨年東博で「赤坂離宮花鳥図下絵」に出会ったのは、偶然じゃなくて、没後100年という節目で仕掛けていた人たちがいたからこそ。ありがたいです。
加島美術さんでも、省亭の一枚の絵に出会った方の熱意から始まり、加島美術さんの回顧展はじめ関連展示が開催中。

山種美術館でも、省亭が二点。

渡辺省亭「葡萄」 省亭の鳥ばかり見ていたので、ねずみは初めて。

葡萄はうすく描かれ、枯れた枝と欠けた葉、それでよけいにねずみの生々しさが際立ってしまう。その(苦手な)ねずみときたらこっちを向いているし、その足が今にも駆け寄ってきそうだしで戦慄がはしり、退散。お餅なんかといっしょに描かないところがいいんだけれども。


渡辺省亭「月に千鳥」は掛け軸。この筆の速さ。”日本的らしい絵”というと私にはよくわからないけれど、この線のキレ、無駄のなさは、日本の魅力では。

穏やかな菱田春草のあとに観たので、省亭の線の速さがよけいに際立って感じられる。そして画面も急に外へ広がっていく。墨でざっとひかれた岩や草も、書道のように一気呵成。どちらも一瞬に、省亭によって絹本の上に生みおとされている。

千鳥は、三羽。画面の外へと羽ばたいている。それぞれの体のひねりと動きを、省亭はとてもよく見てとらえているみたい。千鳥の眼はなにかを伝えてきて、しみじみ寂寥感もあるのだけれども、べたつかない。やっぱり孤高という言葉がしっくりくる。

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山種美術館では、入ってすぐの壁にどの絵を持ってきているかが、小さな楽しみだったりする。

今回は、松岡 映丘(1881~1839)「春光春衣」。やまと絵風の雅な絵から始まっていた。

映丘は柳田国男の弟、やまと絵を近代に復興させた。文展に入選して以来官展系で活躍した、と。本流なんでしょう。彼の弟子(高山辰夫、橋本明治、山口縫春、山本丘人)も個性的な画家がそろっている。


でも二枚目の、橋本雅邦「ヤマトタケルの尊」を観ると、東京編の冒頭は、こちらでもよかったのかも?とふとよぎる。いえこれじゃ重厚すぎ?。もしかしたら今回はこれら正反対の二枚で、冒頭セットなのもありかも。

ふんㇴっ。手にもぐぐっと力がこもっている。

明治の西洋化の反動によって、洋画家が歴史の主題を取り入れ始めたなか、日本画界でも歴史画は重要な位置をしめたそう。


心に残った絵。

菱田春草「釣帰」、1901頃の、煙雨が淡くなんともいえないほど。蓑の漁師の人影も丸みがあり、心にしみわたるようで、大好きな絵になった。 

春草の「月四題」は、この日は秋と春の二幅。1910年、亡くなる1,2年前。

月の姿は、秋と春でこんなに違う。秋は明瞭に澄んでいた。それに対して、春はおぼろ月でほのかなのだった。

秋の葡萄の葉は、ところどころの濃い墨が空の暗さのようでとても美しかったのだけれど、桜は、花影のなかに光を照らすように、胡粉が点々と重ねられていた。

はらはらと高いところから舞い落ちる花びらが、心もとない感じ。

こんなに繊細な春草の感性に触れてしまうと、若くして亡くなってしまったのが悲しくなってしまう。


西郷孤月(1873~1912)「台湾風景」1912 は、遠目にも目に飛び込んできた、異国の印象的な絵。孤月の絵を岡田美術館で見て以来、絶筆ともいえるこの作品を観たかったところだった。

ヤシの木は頭で切り取り、横長にトリミングされた画面。そこへ垂直な線。風景のむこうに、煙突工場。さらに遠景に山並み。よく見ると水牛も歩いて、なんだか望郷のような。

雅邦の娘婿でありながら、転落?人生。再起をかけた、斬新な意欲作なのだけれども、焦っている気もせず非凡な才が際立っているような。放埓がたたったとか言われているけれども、なんで日本でうまくやれなかったかなあと、長い事情を聴いてみたくなる。

 

下村観山「不動明王」1904 31歳、留学中の作。陰影など西洋画の影響を受けたと解説にあった。彫像も見たのだとしたら、何をみたのだろう?。痩せマッチョ。筋肉美の絵では日本初だったりするかな?

細密な線で描かれた顔、眼力がすごい。


観山の「老松白藤」1921年 は二度目。前回も胸がいっぱいになるほどだった。でも今回は感動とともに、観山はこんなに色気のある絵を描くのかと意外に思えた。以前に観た寿星と鹿の表情も、もしかしたら情愛だったのかなと思い返す。


松の力強さ。目にしみるような青々とした松葉は、生気あふれている。したらせた藤の花は、女性がやわらかな透けるショールを、ふわりと松の背後からかけるような。藤の枝もまるで両腕を松にからませ抱き着くようで、官能的にすら見えてくる。

 

石井林響(1884~1934)「総南の旅からー隧道口」1921、初めて知る画家、そして大好きになった絵。

林響は、雅邦の弟子。「歴史画を描いていたが、大正には新南画や琳派をへて風景、自由実あふれる絵を描いた」。

文人画みたいな、岩のむこうにいっちゃった岩。自由で、池大雅を思い出す。形にとらわれずに意を描いてるよう。

トンネルのむこうに明るい村、輝く海が!手ぬぐいの女性もいい顔していて、平和。

三幅対で、他の二幅は、千葉の「仁右衛門島の朝」と「砂丘の夕」という。画像で見る限り、文人画のようなとてもひかれる絵。セットで見たいもの。

 

小林古径「清姫」1930、初めて本物をみることができた。

古径は、過去の文学や絵に依ったものでなく、「伝説を意識に浮かべながら絵画化したもので、いわば私のでたらめにすぎない」と。

「寝所」 そおっと屏風を押して安珍を見る、なんだか子供みたいな恋心がいじらしい。でも不穏に漂う空気、清姫の一筋乱れた髪。

「日高川」 まっすぐになびく髪が、とめられない気持ちのようで、一度見たら忘れられないシーン。

「鐘巻」 安珍が隠れた鐘を焼き尽くそうとするシーン。白い身体に赤い舌が印象的。でも力の強くはない女性っぽくて、そんなに怖くなくて。恐ろしい大蛇に変貌しても、精いっぱいの姿がこれかと思うと、なんだかかわいそうになる。焼こうとしているのではなくて、安珍に出てきてほしくて鐘に手をかけて懇願しているのかもしれない。

「入相桜」 古径は、8枚組のこのシリーズの最後をはらはらと散る桜でしめていた。花も蕾も、今はもうかわいらしく描いていた。

清姫によりそう古径の気持ちが、やさしいなあと思う。

 

落合朗風(1896~1937)「エバ」1919 再興院展に出品された。

圧倒的な緑に、ほろほろ鳥、ケシ。エバがヒンズー風の女性なら、禁断の実は桃に。眼を見張る大きな屏風。

こんな大作なのに、この人の他の絵を観たことがない。この時にまだ23歳。若気の至りと情熱の持ち主に、神が落とした絵なのかもしれない。

朗風は、働きながら川端画学校に学び、のち小村大雲に師事。院展、帝展に出品したが、青龍社に参加。のち脱退し、自由で明朗な芸術を目指したそう。

 

そして、後半は戦後の画家たち。

官展は、戦後1946年に日展に改名。特徴を「厚塗り・抽象・内省的」と解説していたけれど、なるほど。高山辰夫、東山魁夷、杉山寧らの展示だった。

一方院展は、「院展らしい清澄な画風」と。土牛、安田靫彦、前田青邨、小倉遊亀、これもなるほど納得。

高山辰夫「座すひと」1972

蓼科で山を見ていると、人がいるような感じをうけたと。

 

安田靫彦「出陣の舞」は、信長の狂気と、行く末まで暗示している。

 

前田青邨(1885~1977)は「腑分け」1970と「大物浦」1968。この日はとくに「大物浦」が心に残った。

前田青邨では同じく平家物語を描いた「知盛幻生」の海も忘れられないけれども、この嵐の波と、海の碧さとにも見入ってしまった。83歳の作とは。

なすすべもない小舟には、弁慶と義経の姿も見える。

青邨の婚礼の媒酌は下村観山とか。前田青邨展もあるといいなあ。

 

前田青邨の弟子、岐阜で同郷の、守屋 多々志(1912-2003)「慶長使節支倉常長」1981


パウロ五世に謁見した常長。守屋 多々志も1954から二年、政府留学生としてローマに留学していた。その自分の実感を重ねたような、常長のたたずまい。サンピエトロ大聖堂や遺跡も詳細に描かれていて、白い柱は長い時間も描きだしていた。

黄色い風景や白黒タイルが現代風なのに、お侍さん。ロマンあふれてて、海みたいな大風景も時間軸も広やかで、ゆったりした気持ちになれてよい。


小倉遊亀「涼」1977 も気持ちがゆったりした絵。

先斗町の料亭の女将。これだけの存在感なのに、おおらかで涼やか。人物の器の大きさ哉。遊亀は「写実に徹して、写実にとらわれず、虚にして真実をつかみたし。大市さんの顔はむつかしきかな」と言っている。

朱塗のお盆のつややかさ、九谷の器の質感も、見とれた。


ここで閉館の時間になってしまい、残りは3分くらいで駆け足で見ました。お楽しみの和菓子もいただけずに残念。