少し前に行ってきました。その時は待ち時間はありませんでしたが、今週は入場に40分待ちの時間帯もあるようです。
10年以上前に「アダンの海辺」を見て以来、千葉市美術館と佐川美術館の回顧展、奄美の田中一村美術館でも見てきましたが、今回は特に、南画時代、千葉時代の絵も多く展示されていました。
東京都美術館の構造上、1階2階と時期を追ってきて、奄美の作品は3階に詰め込んでいたので、かなり間隔が狭くなっていました。奄美の空気が充満していたかもしれません。
今回は、これまで知らなかった視点もいくつか紹介されていて、新しい発見がありました。
一村の回顧展に行くたびに、どんな人だったのかなと想像をめぐらすわけですが、どんなに想像しても、もう亡き人であれば本人に直接会えないのだけはなんともしがたい。
それでも、展覧会のたびに知らない一面に出会え、自分の中の一村像がアップデートされます。これからも自分の変化も重ねながら、一村像は変貌していくかもしれません。
さて、一階には大正時代、一村が子供のころからの南画が展示されていました。
描かれた植物の生気を感じ取りながら、それにゆだねるような筆の強さと巧みさには、子供なのにと驚きます。
八大山人にも関心を抱いたとのこと。
18歳の激しく踊るような、濃密に息を吐く藤は圧巻でした。
一本の木なのですが、前に立つと奥行には凄みがあり、奥へ奥へ引き込まれる感じです。奄美時代の萌芽が感じられるような気もします。
奄美時代の端正な線と比べると、濃密なのはすでにですが、南画の線は若い一村の意欲や激しさがそのまま、むき出しのよう。
お行儀のよい絵ではない。
20歳の時の花びらがうねる菊には、ゴッホの花が浮かびました。
20代初めは、家族の不幸が続き、寡作とされていたそうですが、今回様々な作品が発見され、従来の説を見直す可能性もあるそうです。
21歳の小さな山水図は、ちょっと意外。朴訥な筆で、民家のたたずまいにほっこりしました。
かと思えば、1931年、23歳のケイトウの気迫には目を見張りました。
超絶細密!
一村には並々ならぬ執着を示して取り組んだモチーフがいくつかあるようですが、ケイトウはその一つなのでしょうか。
翌年に描いたケイトウは、賛(所有者による)もよく、すっとした立ち姿が個人的にたいへん好きな作品です。墨の線と少しの赤い線は肩の力も抜けた達筆ぶりで見惚れました。
さらに翌年の真っ赤なケイトウは鮮烈でした。書のライブか、現代アートを見ているように感じました。
一村にとって、「赤」、とくに「黒に対する赤」とは、どんな存在なのでしょう。
雁来紅も印象的でした。
以下3点とも、1931年の作です。
とくに、1932年の雁来紅は、あいまいさを許さない強い色とその立ち姿に、「孤高の画家」と言われる一村が重なる気もしました。
老成か、PRIDEか。
しかし、このとき24歳...。
家族を次々なくし、生活もありながら支援者とも画風をめぐって妥協できずに決別した時期であったと思うと、この立ち姿に胸がつまります。
ちなみに、赤と黒、
この流れでこれまで何回か見てきた一村の「闘鶏」に繋がったのには、ちょっと笑ってしまいました。
尋常ならぬ気炎。
一村が闘鶏を描き始めたのはもっとあと、千葉時代から。闘鶏師のもとに通い詰めて取り組んだそうです。
激しい気性を秘めた一村は、闘鶏にシンパシーを感じたのかな。
他に、20代の印象に残った作品を以下に。
墨のにじみ、たらしこみと、水の軌跡が美しいです。
今までトップにいた赤が、この絵では下のほうにちょっと顔を見せていました。この彼岸花、しっかりと形が見えるのに、即興的ににじんでいて、あやうさというか、無常感というか。
秋のいろとりどり。その奥へとひきまれした。
どこを切り取っても、絵に見えないような。ほんとうにそこで見ているよう。
どの葉っぱを見ても、一枚の葉の中に色の移り変わる様が見えて、時間のはばに取り込まれます。
このあとは2階の千葉時代へ。
このあとは2階の千葉時代へ。
続きは改めて。