先日、国立新美術館の日展を見に行きました。
日本画の今年の特選は、動物の絵が多い印象でした。
そのなかでとくに印象に残ったのが、こちらの羊です。
前川和之「結びつき」
介護が必要になった未年のお母さまのもとに、作家を含む子供たちが戻ってきて、新たな結びつきがうまれたと。
老いていく親を守り、心配しながらも、なすすべもなく老いは進んでいく。
私も先日の父親からの電話でずっと気になっていることがあり、この羊たちに自分を見るような気になってしまったのです。
川田恭子「予感」
黄色に惹かれて近づいたのです。
すると、目がコレ…。
ビビッと感応していますよね。
なんの「予感」なのだろう。
地底のマグマからなにかを感じ取ったのだったら…。遅かれ早かれ、Xdayが迫っているのは間違いないのです。
このあとも何度か、人智をはるかに超えた自然を見せられ、畏怖の念を呼び起こされました。
松崎良太「桜島」
遺作とあります。
陽をさえぎり、真っ暗にしてしまう噴煙。
凄いとしか言葉が見つからないのですが、陽の隙間に描かれた船に、一縷の共生を感じました。
こちらもまさに、地球のドラマ。
古澤洋子「地球のドラマⅡ」
地球規模のスケールが凄すぎる。(凄いしかいえない語彙のなさ…)
雨柱、わきたつ積乱雲。雷鳴。
気象だけでなく、地のパワーにも目を見張りました。
そこには町が。
凄いのだけれど、これほどの規模の現象を、このようにひいて俯瞰させられると、果てもない宇宙規模の出来事ではなく、地球のうえでの気象の出来事。その下にいるのが自分たちだと、ふっと足元の地球を感じたりもするのでした。
凄いのだけれど、これほどの規模の現象を、このようにひいて俯瞰させられると、果てもない宇宙規模の出来事ではなく、地球のうえでの気象の出来事。その下にいるのが自分たちだと、ふっと足元の地球を感じたりもするのでした。
そうすると月は、地球と宇宙の間の存在となるのでしょうか。
宇宙だけれど、地球とセット。私たちの身体や潮の満ち引きに切っても切り離せない。
林秀樹「月の下風」
ドイツ表現派みたいな、ざわめく気。
月の引力なのか、大気の動きか、流されると言うよりも、引っ張られているよう。
一転して、今回は静かな世界に救われることもありました。
水野収「デイブレイク」
えもいわれぬ色調に、見入るばかり。
インドのマハーボディ寺院。
インドのマハーボディ寺院。
ブッダが悟りを得たという瞬間は、どのような景色に包まれていたかをイメージして周りの村を写生させてもらったとのこと。
悟りといっても、荘厳に描くとかいうことでなく、森からは鳥の群れが飛び立ち、木々の隙間から寺院が見え、ただただ村の風景が静かに。
悟りといっても、荘厳に描くとかいうことでなく、森からは鳥の群れが飛び立ち、木々の隙間から寺院が見え、ただただ村の風景が静かに。
だからかなのか、見ていると、心の中にこんなにきれいな色調が広がって、心地よいです。
今この瞬間は、たとえ私でも私のなかみをスキャンしたらとってもきれいかも?!。
改めて、そんな効果がある絵がときどきあることを実感します。
加藤晋「凍える月」
あまりにきれいで声がでそうでした。
アラスカで一年過ごしたことがあるとのこと。
マイナス40度まで凍り付いたら、空気が極限まで澄みきって、こんなにきれいに月の光を通すのでしょうか?。
一枝一枝がとてもきれいな白に輝くのでしょうか?
至福の埋没。
まるでサンゴの海にただよってるような気にもなりました。
こんなに凍り付いても、どこか温かみを感じるのは、作家の人がらなのでしょうか。
小さくあの生きものたちが紛れていたのを発見したときは、とても嬉しかったです。
ひと一人を大きく包む日展の絵の大きさに感謝。
しかし、こんなに大きな面積にこんなに描き続けられることが、どうしても信じられません。
この後も、そんな信じられない絵にいくつか出会い、絵に満たされる体感を満喫しました。
池内璋美「静穏」
風の振動さえ水面を動かさないくらいに静か。
久米伴香「風光る」
岩田國佑「田園」
絵のなかに小さな発見や小さな喜びに出会うときは、嬉しくなります。
山崎隆夫「悠々」
花がわくわくしている感じがして、とてもかわいいです。
鯉も赤い小さな魚も、マイペースでまさに悠々。
市橋節子「春の傍」
黄色くともる様子や白いわたぼうしが、ほっこり喜ばしいです。
黄色くともる様子や白いわたぼうしが、ほっこり喜ばしいです。
中出信昭「浄蓮」
ほの暗いなかに、花がまるで螺鈿のように輝いていました。
そのあいまには、平等院鳳凰堂の雪中供養菩薩像のように舞っていました。
佐藤和歌子「ソロモンの指輪」
ソロモン王は10の指輪を用いて、魔人を使役し、動物と会話し、善悪を正しく判断したということです。
この三頭だての動物はハイエナかな。
象に乗る普賢菩薩像を思い出しました。
下から見上げると、墨や胡粉のうえに、金がきらめてとてもきれいでした。
こんな心持になるまで生きててみたいと思う絵にも出会います。
川崎鈴彦「池畔の桜」
99歳だそうです。
うまく言えませんが、毎年いいなあと思います。
昔は私は別にそんな長生きしなくても…と思っていましたが、幾人もの90、100を超える日本画家の絵を見るようになってから、この境地になってみたいと思うようになりました。
そのころにも、元気に日展に行ける脚力を保たなければ。
結局今年も疲れてしまって、洋画や工芸は見られませんでしたが。