しばらくはのんびり、写真の整理などしております。
その勢いで、書きかけで下書き保存したままだった日記にも写真をつけて、いくつかアップしていこうと思います。記憶がよみがえって脳の刺激によろしいです。
以下、11カ月も前、1月末の日記です。
(注)現在の企画展は、「北斎・応挙とかわいい仔」展です。(12月1日~2023年1月31日)
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お久しぶりのつくばエクスプレス。足立区の六町駅から徒歩5分ほどの六町ミュージアムフローラへ。
(撮影は、数点入るような感じですとOKだったと記憶しておりましたので、少し離れて撮っているため、小さめになっています。)
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今期は併設企画ということで、始まりは「海老原喜之助展」から。
油彩の本画、ポスター、デッサンなど様々な展示。
そんななかで、とくに強く引き込まれたのは、簡素な素描だった。
喜之助の目の動き、見つめたもの、考えたこと。素描だからこそ、ストレートに伝わるのだろうか。その生々しさに驚く。
壺の模様ですら、弾むよう。生きてるって感じ。それらがぐいぐい来る。
藤田嗣治のデッサンにも感じたのだけど、人間のとらえかたが力強い。喜之助は、もっとぶしつけなほど。そして筆圧が強い。
ヤカンと女体って…。似てるけど。
ヤカンの形もリズミカルに踊りだすから不思議。
喜之助って、壺とか丸みあるもの描くと、どうしても女体に寄っていくらしい。
海老原喜之助というと、色のひとという印象だったのだけれど、そもそも形の面白さに魅せられたひとだったのか。
そしてリズム。生き生きとして。でもその先に、人間の切なる瞬間に行きついている。漏れ出てしまう感情。喜之助は、「素描(デッサン)とは、絵画それ自体であると私は確信するのである、」と言葉を残している。
海老原喜之助(1904~1970)
鹿児島生まれ、有島生馬の知遇を得て18歳で上京し、川端画学校で学ぶ。
23年、パリの藤田嗣治のもとへ。藤田に師事し、ブリューゲルやアンリ・ルソーの庶民性を学ぶ。藤田と有島生馬を生涯の師と仰いだとある。
「群鳥」1928
たくさんの烏。と思いきや、その一羽一羽各々の意志が明確にとらえられている(!)。
枝や羽根や尾には筆のかすれがある。水墨画の線のようなワイルドな速さ。命が動いている、と感じざるを得ない。「群」の、一羽一羽の生命感が描きこまれていた。
それから、雪と空にも見入る。絵の具を重ねて塗りこめ、印象的な感触。
重い雪雲の空なのだけど、見ていると不思議に受ける印象が青く澄んでいく。青と白と黒の画から生命感が放たれている、そんな絵になった。
喜之助はその後も何度か渡欧しながら、疎開後は鹿児島、逗子などで制作を続け、若手の指導にも尽力する。
1967年に渡欧し、68年にスイスの藤田を見舞う。看病を続け、葬儀や整理にもあたる。帰国前の70年にパリで亡くなる。
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それから、日本画の展示へ。
梅や雪を描いた作品たち。
左から、那波多目功一「早春譜」、那波多目功一「春の雪」、小泉智英「訪春季」
特に、「早春譜」の入り組んだ枝や膨大な花・つぼみには、その綿密な写生力に驚かされると同時に、つぼみの固いの咲きそうなの、ふっくらぐあいと、とそれを楽しんでいるようなのが印象的。
「春の雪」も見惚れることしきり。藁の傘は、金で描かれて美しく、ほほえましく。牡丹雪を描く技術?にも感嘆。上村松園の牡丹雪も美しいけれど、この牡丹雪はさらに大きく重い牡丹雪で、落ちる速度も推し量れる。
この美術館は、そこここに季節の花や枝物が活けられているので、あわせてのお楽しみです。
牧進(題を忘れてしまいました)
左側:思いがけず岩橋永遠に出会う!「うそ」
和紙に墨の濃い薄い、じわじわくる。
ウソのかわいさ。枝も、上から斜め下に降りてきて、と思うと最後に小枝が上へとのびあがり、ほのぼぼとかわいい。
若冲は、「白梅」と「伏見人形」。
伏見人形の賛は、蜀山人:「径山も 富士も布袋も西行も 外に細工は あらが年能(ねの) 徒知(つち)」
福田平八郎(左)と奥村土牛(右)は、新春にぴったりのやさしい作品。
大好きな前田青邨の「梅日和」は、写真が撮れておらず涙、平山郁夫鑑の箱書きだけ撮れていた…。
透けるようなたらしこみの幹をじっくり堪能。点のみで描かれた花もふっくら。
他にも下村観山や大観、寺崎廣業、松尾敏夫などゆっくり拝見。
最後に二階で、サービスでいただけるコーヒーでひと息、ゆっくり。ありがとうございました。