かま爺の日記

「気まま」と「かま爺」の一本化になりました。これからも遊びきてくださいね

幻想・吉田の火祭り

2014-08-27 | 日記
ここ数日、天気がすっきりしない日が続く
そんな天気にも負けず、日本三奇祭の一つ「吉田の火祭り」に出かけた
日本三奇祭とは、国から指定されたものではなく個々の地方で言われているらしい。
日本の祭り歳時記という本によると、「秋田のなまはげ」「吉田の火祭り」「岡山の西大寺会陽の
裸祭り」と書かれている。他にも多くのものがあるらしい。
平成24年に国の重要無形民俗文化財に指定された「鎮火大祭」は、吉田の火祭りと呼ばれている。
   
 (北口本宮富士浅間神社参道)(富士夫婦杉)(諏訪神社と富士山型神輿)(本殿での神事)
生憎の天気、16時から18時ごろまでは大雨となり、車内でその様子を見ていた。
半分、諦めらめかけていたが、天は我に味方してくれた。18時を過ぎた頃から雨は上がった
金鳥居から北口本宮富士浅間神社に続く道路上に、高さ3mの筍型状の大松明が90本余、
家ごとに井桁に積まれた松明が置かれ一斉に点火された。
街中は火の海と化し幻想的な世界を作り出した。
   
  (金鳥居)     (大松明の点火)     (大松明&井桁の松明)
 
    (幻想的な光景)
道路には、多くの見物客、そして、その人々を吸い込むように多くの露店が立ち並んでいた。
やでも熱気は、最高潮
これで、富士山でも雄大な姿を見せてくれたら、爺は失神するかも
幻想的な吉田の火祭り、最高でした

       

避暑地を求め、ミニドライブ!

2014-08-19 | 日記
天気予報を期待して、高原の涼しげな風を求め夫婦でミニドライブ
当然、行くは雄大な富士山が見える山中湖方面
でも、予想に反して全く富士山は姿を雲の中に隠していた。(残念)
山中湖の「花の都公園」で休憩。店内は、自然の風が通り抜け、とても涼しかった
公園内には、ひまわり、百日草が咲き乱れ、その先に富士山が見えるロケーションなのに
綺麗でした。
   
(女性カメラマン&百日草)(ひまわり&蜜蜂) 赤とんぼ)

退院後、久しぶりの山梨なので、道の駅で水を汲み、
138号線の道路標識で気になっていた「白糸の滝」を目指した。
住所も分からず、ナビでも検索できず
ただ、忘れた頃に出てくる標識のみ。途中で、農作業をしていた老女に聞き、やっと着いた
住所は、上暮地の白糸地区にあった。舗装された狭い道を走り、誰一人いない。
そして、クマ出没の看板が車を止め、20分ぐらい山道を歩き看板が出ていた。
 
 (路傍に咲く紫陽花)(白糸の滝)
意外と整備されていた。ただ、水量不足のようであった。
帰路、富士山がどうしても気になり、再び花の都公園を通り富士山の雄大な姿を発見した。

 (帰路・ひまわり&富士山)
 
 (おまけ:今朝の富士山&日の出)
もう嬉しくて、最高


癒しの湯治!

2014-08-09 | 日記
長い間、闘病生活をしていた。
体力の減退、体重の減少(58→50kg)になり、ちょっと心配に。
そんな中、妻が増富ラジウム温泉峡にある「増富の湯」行こうと誘ってくれた。
途中、明野のひまわりを見に立ち寄った。異常なほどに暑い
景色は、一面に黄色の絨毯を敷き詰めたようなひまわりの花
片隅には、白・赤・ピンク色の花を咲かせたコスモスが風にたなびいていた
   


      (明野ひまわり)
「増富の湯」までの道程、青空の下、山肌を緑に染めた山々、
秋の刈入れを待つ稲穂と大変長閑な光景が続いた。
そして、本谷川沿いを走り暫し森林浴を楽しんだ。

   (偶然遭遇した怒流の滝)
何よりも、「幸せを見守る七福神」があるというので、
夫婦して目を凝らし、木々の間を探した
久しぶりに童心に返り楽しんだ。
結局、五つは見つかったが二つが見つからなかった
  
    (幸せを見守る七福神の一部)
帰りの時間も考え、増富の湯に向った。
増富の湯は、ぬるめのお風呂で、25度・30度・35度・37度
4種類もの源泉がある。
効能は、糖尿病・痛風・アレルギー体質、内臓疲労・循環器障害など
 
   (増富の湯・源泉の一部)
長時間入ることが出来、とても気持ちが良かった
久しぶりに心身のリフレッシュが出来た

ミステリー・夢紀行!

2014-08-08 | 日記
ご無沙汰しています。
7月14日~8月5日までの22泊23日の豪華な夢紀行に出かけました
料金は、想像にお任せいたします?
条件は、同行者なし、持ち物は六文銭6枚の爺一人旅!
7月14日は、軽い昼食、夜は翌朝までにOS-1を2本と下剤、必要なら眠剤を飲むようにと指示された。

7月15日で旅衣装に着替え、妻・息子の嫁に見送られ、宿泊階から10階の超特別室まで
白い衣装を着た若い女性に見送られた。エレベーター内で「何か不安な事は、ありませんか」と
声を掛けてくれた。思わず2度目だから駄目かなと答えた。
10階に到着すると、今度は薄い水色の衣装を着た女性が待機「お名前は?」などと本人確認をされた。

 (超特別室入口)
真ん中の廊下を挟むように左右に部屋があり、丁度、左の真ん中辺りの部屋に入りベッドに横たわった。
男女数名の人に囲まれ、背中に麻酔と称する液体を入れられた。
冷たい物がゆっくりと入ってくる。痛くありませんか?シビレませんか?と優しい口調で問い掛けられた。
そのうち口にマスクが被せられ、徐々に意識が無くなった。
どれくらいであろう、気が付いたら目の前に妻、息子夫婦が優しい眼差しで出迎えてくれた。
そして、一晩、回復室、リカバリーで過ごした。
7月16日、自力歩行で自室に戻り旅の疲れを癒した。
  
  (段階的に進んだ回復食)
その後、一進一退の状況が続き、まるで宇宙から帰還した宇宙飛行士のように疲れ果てた。
六文銭を使うことも無く「三途の川」というところも途中から引き戻された。
休養中は、妻、息子夫婦の将来、孫達の成長はもとより、現役時代の職場生活などが走馬灯のように
頭の中を駆け巡った。
    
 (入院中の病室からの夜明け・やっと富士山が姿を見せた)
8月5日、夢紀行からやっと開放され、帰宅した
 
 (同室の方から頂いた歌集の一例・福島出身の方で原発被害で故郷を思う気持ちが悲しいほど分かる。)
夢紀行が無事に終了する事を支えて下さったスタッフの方々、息子ファミリー、友人達に感謝!

 (嫁さんからの栄養補給)
何よりも毎日、暑い中を愚痴一つこぼさず見舞いに来てくれた妻に最高に感謝しています。

家に戻り、思ったことは「やっぱり我が家は、最高!」・・であった