あの朝から25年が経った。
阪神・淡路大震災、当時は阪神大震災と言っていた。
あな頃は「成人の日」が1月15日と決まっていて、
あの年はそれが日曜日と決まっていて、だから翌日は振替休日で、だから火曜日だった。
連休明けのけだるさを引きずって、そして冷え込みの厳しい朝だった。
夢の中でやっていた知恵の輪がグニャグニャと曲がり始めて、目が覚めた。
目が覚めたら、ジェットコースターに乗せられたような激しい揺れで。
起き上がることもできず、それでも咄嗟にうつ伏せになったらしく、
その姿勢で両手を伸ばしてベッドの柵を握り締めた。
小刻みに激しく揺れ続けた50秒間の中で、「地震だっ」と気づく。
気がついても、どうすることもできない。
おさまったところで、ベッド脇の窓を開け、雨戸を開けたら、空に青い稲妻みたいなものが見えた。
再びの揺れ。今度は船に乗っているような大きな揺れ。
家がたわむのがわかり、「2階が落ちてくる!」
私が寝ていたベッドの真上には母親が寝ているベッドがあり、落ちてきたら下敷きになる。
母親に踏み潰されて死ぬのだけは絶対にイヤだ!
と思った瞬間、条件反射で飛び起きてドアを開けて2階がのってない玄関へ。
2階から「動いちゃ駄目よ~」と母親が言う声に、
「アンタの言葉通りにしてたら、アンタの下敷きになっちゃうよ!」
と心の中で叫んだなぁ。
自分の身を守るのは自分なんだとあの時に身にしみた。
つい昨日のことのように記憶は鮮明なのに、もう四半世紀も経ってしまったのネ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます