Akatsuki庵

日々と向き合って

2024春彼岸の旅~その4 大阪→京都へ

2024年05月11日 08時47分27秒 | 泊りがけの旅行

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前回からの続き~

今年の3月22日(金)の話。

西梅田のお宿、チェックアウトの朝はいつも早いのが定番だったけど、
今回は宿替えなのでフツー。

お目当ての朝食処は8時半オープンなので、間に合う時間に合わせて出発。

JR大阪駅の北側ルクライーレ9階にある梅田蔦屋書店
日中は大賑わいなので、ツタバ(←蔦屋書店内に併設されているスターバックス店舗)利用するならスタートダッシュが必須。

 

ちょっとお高いモーニングになっちゃうけど、「これも旅だから!」。

ここに限らないけど、ツタバはやはり読書に熱中できるから好き。(銀座とか横浜みなとみらいとか)

午前中は阪急沿線にて所用あり。
晴天だけど、やっぱり寒くてコート着ていてちょうどよい感じ。

 

予定より早く片付き、京都へ移動。
 昼食は阪急十三駅内でおうどん。

時間ができたということで、久しぶりに茶道資料館へ行った。
四条通から市バスに乗車。回数券も残りわずか。次回に京都を訪れる時は買い足さないとなぁ。

 裏千家の資料館ならでは!の展示よかったわ。

撮影OKのエリアにて。
 

炭を使わせてくれる稽古場なら当たり前の菊炭も最近は“展示”の対象になるほどになっちゃった。
それにしても生木を炭に加工とするとはこんなに圧縮されるとは!

炉の正午茶事中に炉中の炭が燃えていく過程の映像が面白かった。

資料館を出て小川通へ。

 

とても懐かしい気持ちになる。
この前を友人たちと茶道談義をしながら行き来したのはもう19年前のこと。
遠い昔だなぁ。

と思いながら南下。俵屋吉富小川店。茶房もある。

そういえば一度も入ったことない。
ま、いっかと初めて足を踏み入れた。

 

 抹茶ぜんざいをオーダー。スープみたい。

この下にぜんざいが。ちょっとシュールな感じで撮影的には映えないので撮影せず。

店内には他に客がいなかったので少し休息しようと思ったら、ほどなく4人組のご婦人方(日本人)が入店してきて
京都観光に興奮してたいそうお話が弾んでいらっしゃるご様子なので、こちらはさっさと出た。

徒歩で南下。

 一条通。改めて一条邸がここにあったことが感慨深い。(今年は「光る君へ」も視てるし)

澤井醤油で薄口醤油を買い、京都府庁舎のレトロビルにも歴史を感じ~。

そのまま四条通まで下る。

 昨年5月は改修中だった杉本家住宅も工事完了していた。

お宿は胡乱座。インバウンド客で満室。サイト

 

チェックイン後は夕食~
去年まで「弁当屋が少なくなった」と嘆いていたが、よくよく考えればスーパーマーケットで買える。
(日頃の暮らしでは弁当を買う行動をやらないので、思いが至らないという浅はかさ)
四条通の堀川通-烏丸通間にはフレスコとライフが1軒おいて並びで営業している。

両方を行き来して吟味してからコスパがよいものをチョイス。(今回はライフに軍配あがる)

 

京都のスーパーマーケットといえばフレスコだから、次はフレスコで調達しよう。

今回も銭湯へは行かず、食後はシャワーを利用してお部屋でゆっくり。
最近は洋室がお気に入りだなぁ。

翌朝は超早起き。
5時にお宿を出て雨の中を京都駅めざして南下。
超軽量折り畳み傘さして、そっちは問題なかったものの、足元は。
神戸・元町のクロールバリエで買ったスニーカー。

ほぼ履き潰し状態で底に穴があいていたらしく、路上の水が浸入してきて靴下がびしょ濡れ~(T_T)

5:48京都→6:56米原7:07→9:48浜松9:50→12:20熱海12:31→?


ほぼ待ち時間がないので、予め買っておいた栄養補助食をちょっとずつ食べながら。

春の旅はそんな感じ。

で、おしまい。

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2024春彼岸の旅~その3 ン十年ぶりの景色?

2024年05月08日 06時36分27秒 | 泊りがけの旅行

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前回からの続き~

3月21日(木)の朝。
関西滞在にして珍しい平日だったんだけど。
相変わらず、ノリの悪さは続く。

2時間半待って出かけた場所ではまとも空振り。
やはり、出張という形では難しいナ。
遠隔操作?自宅近くのオフィスから予め対応することを検討。
ま、もうちょっと切羽詰まってからにしよう。

と思いつつ、久しぶりに阪神電車に乗った。
阪神梅田駅(正しくは阪神大阪梅田駅)を利用。懐かしい。

甲子園浜?に行く。

 六甲山が見える。

写真じゃわかりづらいけど、六甲山が白い。雪が降って残っている。
この時期にこの風景って、記憶を遡っても1度あったかなかったか。
「冬コート着ておいて正解だったなぁ」と改めて思った。

 海側は小春日和なんだけどね。

所用の戻り、これまた久しぶりに阪神甲子園球場の前を通った。

ちょうど春のセンバツ(選抜高校野球大会)が開催中だった。

再び阪神電車で大阪市内に戻った。

とある場所で昼食。

 お好み焼き。

大阪でお好み焼きだから当然のことながら関西風だと思っていた。
んー。なんか違うなぁ。麺を入れても同じ値段、でも食べれるかなぁ~と躊躇したら「半分だけにしとく?」。はい、それで。
食べていて、なんか違うなぁ。

だいぶ後になって気づいたんだけど、広島風のお好み焼きだったのかも。
ならば理解できる。(関西風だと思い込んで広島風を食べるとこんなに違和感だらけなんだ)

午後の用事を済ませて、その後はフリーなのでいつも行かない場所を歩いてみたくなった。
地図を眺めていて気になったところを通ることにする。

 

川を渡るのではなく、下を潜る隧道。けっこう利用されているようだ。(確かに付近に橋がないもんね)

図書館へ行ったら休館日。(T_T)

歩いてお宿へ戻った。歩数計が4万歩を超えてしまった。

帰りに夕食を調達。ちゃんとお箸ももらった。

 前日撮影し忘れたので、一応。(まだチェックインされていないキャビン)

この廊下、なんか落ち着く。

弁当をキャビンに置いて、先に入浴。

 暖簾がかかっている。まるで銭湯みたい。(1月までは暖簾はなかったよ~)

さっぱりして夕食。

 

前回、電気ポットがあることがわかったので、今回は味噌汁つけた。

食後はコインランドリーも利用しつつ、ゆっくり過ごして就寝。

翌日に続く~
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2024春彼岸の旅~その2 2日目の朝も寒かった

2024年05月07日 05時31分05秒 | 泊りがけの旅行

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前日からの続き~

3月21日(木) お彼岸後半に入ったのに冷え込みが厳しい。

定宿に連泊する際は中日(なかび)は朝食つきにしておくのだが、
今回は予約時にそのコースがなかった。
ま、宿の朝食は高いしね。大阪駅構内で済ませようか。

と、早前に出たものの~
結論からいえば、6時台はどこも開いてない。
ほとんどが8時か8時半の開店。

寒くてそんなに待てないので、マクドナルドに入った。
マック(いや、大阪だからマクドか)に入ったのでン十年ぶり?

先に座席確保を忘れて仕切り直し、一番安いチーズマックセット290円を注文して店員さんに「え?」という顔をされた。
(恥ずかして朝食写真も撮れず)

長テーブルの隅っこで「チーズバーガーも珈琲もさすがに美味しくなったなぁ」と思いつつ食べていると、
向かい側に座っていた男子2人(明らかに夜行バスを降りてきた感じ)のうち一人が「水原一平が解任だってさ」。
え? 大谷亮平の? 仲良さげだったのに? てか2~3日前に夫婦そろって2ショット写真が公開されたよね。
通訳解任して、あとどうすんの? イチローと違って、奥さん英語ペラペラな感じじゃなさそうなのに。

などなど、たった一言で思考がクルクル。
いかん、いかん。ここは客の回転率速そうだし、私もとりあえず食べ終わったから出なければ。

と、行く当てもないのに店を後にした。(正確にいえば9時半にならないと目的地が開かない)

約2時間、どう時間を潰そうかと思いつつ、とりあえず南下。
御堂筋に至る。
大江橋手前から堂島浜通(天満市場線)を東へ。

難波橋を横目に見ながら更に東へ進み、阪神高速の高架を潜れば、そこは天満菅原町。

 昔ながらの建物がっ。

再現もの? でも、明らかに古い蔵もある。

2月から3月にかけて『あきない世傳 金と銀』を一気読みしたので、つい聖地めぐりをしたくなった。

電子版を出してないので、かったるいと思いつつ、2~3冊ずつ買い足したわん。
てか、角川春樹は電子書籍を嫌っているのか?
弟の角川歴彦は電子書籍を超推進していたのに。スタンスが真逆じゃないか。(まぁ、仲が悪いとも聞いているが)

天満橋は何度が行ったことがあったけど、橋を渡った天満宮の辺りは馴染みがない。(御堂筋の東側って、用事ないし)
何年か前に天神橋商店街を南から北上したし、前回も南下したけどね。

これからはちょいちょい散策してもいいかも。

 天満宮にも参拝。

天神橋商店街のはずれにレトロ喫茶を発見。

 

朝食を済ませてしまったことを軽く後悔した。また今度。

 天神橋。渡るのは初めて。

小説には何度も登場するからねぇ。

 渡っていても、つい中之島を眺めてしまう。

渡った先は前回も歩いた道。(藤田美術館→ベトナム料理屋)

同じルートを辿りつつ、わざわざ高麗橋を渡って高麗橋筋を西へ。

 ここから惣次さんが「いつか、ここで店を持ったる!」って言ったのねぇ。

そういえば、堺筋のあたり。今はパッとしないし、北浜のあたりも静かなビジネス街だけど、
昭和の終わり頃までは三越百貨店があって、三越劇場もあった、ような。(昭和63年に映画を観に行った記憶がある)

平成になってだいぶ変わっちゃったんだろうなぁ。
(そういえば小説でも江戸から下ってきた越後屋が~というくだりがあったっけ。そっか、そこが三越百貨店の場所?)

高麗橋筋もこの辺りが船場でいちばん呉服屋が多かったなんて、今では信じられない。
布地を扱う店はもっちょっと南、本町筋っていう印象がある。

道修町は薬問屋が多かった名残は今はあるけどねぇ。

そこいくと適塾が今もまんま遺っているのは奇跡だな。

御堂筋を横切って、土佐堀通を錦橋を渡った。

あ、昔の賑わいを描いた浮世絵だ。(あるのは知っていたけど、ちゃんと意識して眺めたことがなかった)

 たしか、天神橋 もしくは難波橋。

  たしか、高麗橋からみえる高麗橋筋を描いた風景。

 中之島と船場あたり。

土地割は江戸時代も令和も変わらないけど、風景だけは変わったね。

次回に続く~
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2024春彼岸の旅~その1 初日、彼岸なのに寒かった

2024年05月06日 16時34分09秒 | 泊りがけの旅行

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GW最終日。ふと気づけば昨日が立夏だった。
こんな時にお彼岸頃の話をするのはこそばゆいが、備忘録は遺しておきたい性分なので。

年度末は春の青春18きっぷを利用した旅を出る習性がある。
旅といっても、半分は関西への往復。これで2回か3回分消費。残りで他へ小旅行。

が、今年はどうにも気分がのらなくて。
残暑の頃にコロナ療養で4日間消化して予定が狂ったことにもメゲず、2日間とっておいた有給休暇をつかって
西に向かった。

3月20日(水)。この日は「春分の日」にて特定休。

毎度のことながら、「三島行きでも間に合うんだけどなぁ~」と思いつつ、1本早い品川発の小田原行きに乗った。
今回は姑息な(?)対策は取らず、米原で新快速を待とつことにしよう。

早朝の出発時は彼岸の時期にもかかわらず、すごく寒かった。
前日の天気予報を確認しても、関西においても気温の低さは週末で続くという。

例年ならは服装は春夏のレギンスに長袖Tシャツに薄めのカーディガン、朝晩用に春コートをスカーフ。
というラインナップなのだが。
迷いに迷って、ヒートテックの長袖タートルシャツに極暖レギンスの上にマジカルサーモコート。
マフラーにもカーディガン代わりにも使えるショールという冬物を着て出た。
(結果的にはこれが大正解だった)

小田原→熱海→浜松→豊橋→大垣→米原。
祝日で春休み期間中ということもあり、同じ18きっぱーの乗り継ぎ客多し。
それでもリュックを背負って迅速に乗り換えしたから座席キープにも成功。

前回と違って、JR東海区間で事故もなく、ダイヤも順調できっぱーの多くは名古屋でどっと減った。

大垣で当日朝に用意した握り飯を食べる。

電光掲示板には特急の案内が。行き先は敦賀。
北陸新幹線の開通とともに、在来線の特急も敦賀止まりになってしまった。
敦賀から先の北陸本線は第三セクターになっちゃった。
一抹のさびしさが心をよぎる。

大垣から先は、というか伊吹山は雪で見えない。
「なごり雪」というには激しすぎる勢いで吹雪いていた。「嘘でしょう?」

米原に着いた。
ホームで立って待つのはつらい。
みぞれ交じりの雪が横から吹き付けてくるし。

新快速が来るまで雨風がしのげる場所で待機するか、それとも快速でとりあえず京都あたりまで行くか。
思案したところでアナウンスが入った。

東海道本線上で事故がかり、長浜からくる次の新快速は運休です~とのこと。
で、網干行きの快速さえも数分遅れてホームに入って来た。
それまでの時間、ホームに立っているのがまぁつらかった。(冬仕様の服装、ごていねいウール帽子も持参してヨカッタ)

JR 西日本管内は季節外れの雪と事故がごっちゃになってダイヤが混乱していた。
なぜか、京都発の新快速が急遽運行されることになり、京都で乗り換えた方が早く大阪に着きます~
と、一瞬聞き間違いか?と思う車内アナウンスが入り、疑心暗鬼になりながら京都でいったん降りる。
アナウンス通りが新快速が入線してきた時は、何やらキツネに化かされたような。

そうして2時半ぐらいだったかなぁ、大阪に着いた。

宿によって荷物を預けようかと思っていたけど、時間がロスなので、そのままダイヤモンド地下街に入り、
駅前第三ビルのあたりで地上に出た。
「本当にあるのかな? シネコン」と思ったら、道を渡った向こうにあった。
(きっと地下から直接行けるルートもあるだろうが、そこまで詳しくない)

で、15:30上映の映画「ゴジラ-1.0」を観た。
水曜日なので割引料金になるかと思いきや、何回選び直しても1.900円なので係員のおにーさんに聞いたら 
「Dolbyシアターなんで」。
背に腹は代えられない。それにグレードアップされた映像と音響で観るのも一興。
なんたって、アカデミー賞獲った作品だし。

 確かに、Dolbyでよかった。

山崎貴監督作品といえば「永遠の0」が印象に残っているが、あのラストの先っぽいところもあったのがよかったなぁ。

観終わって、シネコンが入ってるビル地下から地下街を抜けてお宿へ。
たぶん、大阪へ観光に来た人を迷わす迷路のような地下街。
しかも私はダイヤモンド地下街が完成してすぐに転勤で大阪を離れたのだけど、
だけど、なんか土地勘が残っているのか適当に歩いても目的地に到達してしまう。
そのホーム感が安心できる。

チェックインして荷物を置いてから、夕食を調達。
(開封してから箸をもらい忘れたことに気づき、また外に出てもらって戻った。
 改めて、あの店近っ!)

 

身体が冷えてしまったので、食後はお風呂入ってさっさと寝た。

2日目に続く~
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ホーチミン年越し旅~その22 御名残惜しいけど

2024年05月04日 08時35分43秒 | 泊りがけの旅行

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前回からの続き~

ホーチミンへの旅、いよいよ最終盤。

観光バスから降りて、高島屋へお土産を買いに行った。
初日にあたりをつけておいた個別包装になっているクッキーを購入。
上品で美味しく洗練されていた。逆によすぎてベトナム感が薄くなってしまった、かも。

同じく初日にのぞいた雑貨屋さん「キト」も訪れた。→ご参考
お目当てのアンティークな器を購入。
 
購入してすぐ頑丈に梱包していただいたので、開封したのは後。
これは帰国してから抹茶を点てた際の写真。お菓子の器もホーチミンで購入した。
 
アンティークって、どれくらい古いの? → 1961年とのこと。
店主さん自ら買い付けに窯元に出向くのだとか。
1961年ねぇ、昭和36年かぁ。。。と思っていたら、店主さんが「同い年くらいじゃないの?」
 
いや、私はそこまで歳とってない!と反論しそうになって、引っ込める。
確かに、身をやつしてないし、化粧もろくにしていないから実年齢より年寄りに見えるのかなぁ。
でも、ベトナムでその年齢(62歳)に見えるってショックだなぁ。
ま、四捨五入したらアラカン(around60)だから、当たらずとも遠からずって感じかぁ。
 
と、一瞬の間に思いが駆け巡る。
 
そして、「あれ?」。
1961年って、ベトナム戦争の真っ最中じゃないか。
戦時中なのに、こんな豊かな器が焼けたの?
 
と、驚いた。
それも、すぐに考えを巡らす。
戦争ったって、1955年~1975年の20年にも及ぶ長い期間。
その間、ずっと激戦を繰り広げていたわけではない。
それにこれはソンベ焼き。
 
村そのものが焼き払われ、村民が虐殺されたのはもっと後(『ベトナムのダーちゃん』の話は1969年あたりだったかな)で
ベトナムの中部あたりだった。
 
だから、こういうやさしい文様の器が焼かれたことも、それが戦災に遭うこともなく遺ったことも不思議ではない。
日本の太平洋戦争時も同じではないか。厳しい戦時態勢になったのは昭和20年に入ってからのことだったし。
 
などなど、戦争に対する思いも駆け巡った数分間だった。
 
買い物も済ませて、サイゴン川沿いを歩く。
友人が「銀行に寄っていきます」
 
 
この日は正月2日だけど、改めて「ベトナムは平日なのねぇ」と実感。
平日といえば、学校もフツーに登校する日。
インターナショナルスクール(小学校)の前を通りがかったら、
ちょうど下校時刻でお迎えのママさんと子供たちが帰宅するのを見た。
なんか、かっこいいなぁ。
 
 友人宅方面へ向かう際にいつも通る飲食店。
「京都勝牛」の支店かと思いきや、全然違った。
 
それにしてもバイクが多いなぁ。
 
この光景も慣れた。
逆に日本に戻ってきて、改めて「スクーターって、減ったなぁ」と思う。
 
友人宅近くまで戻ってきて、スパへ案内される。
  実は初スパ。
 
アロマオイルを塗ってもらって1時間のマッサージを受けた。
 
その間、スマホはロッカーに入れておいたのだけど、、、
マッサージが終わった後、スマホを取りだしたら、またもやニュース速報が。
 
「羽田空港が炎上」
 
は? 炎上って? 私はこれから羽田空港へフライトするんだけど~。
まさしく「目が点」になった。
 
現地時間で午後5時すぎのこと。
日本との時差2時間ありから、東京は午後7時すぎ。
事故発生が17:50ごろなので、速報をキャッチしたようだ。
 
海外ではNHKプラスやTVerが視聴できない。
朝日新聞デジタルの速報記事を読むしかできなかったんだけど、
この時点では海保機の存在も取材側で把握できていなかったようで
ただ「日航の旅客機から発火、炎上した」としか報じられておらず、
何が何やら~ワケわからんない。
国内線か国際線かもわからないし、滑走路もどの?
 
呆然としながら夕飯を食べに食堂へ。
 
 ごはん!の周りに好きなおかずを盛りつけてもらうスタイル。
この形式は過去の海外旅行先(ネパール、ブータン)と一緒なのでウレシイ。
やっぱり、同じ大陸、同じアジアの国!
 
夕食後はマンションに戻り、少しまったりし、荷物の最終確認をし、いよいよ帰国へ。
 
現地時間の20:20ごろ、自分のスマホでgrabを立ち上げてタクシーを呼ぶ。
思ったより到着が早く、慌て気味で外へ。
マンション前で友人に見送られて出発した。
 
余談だが、この時じゃなくて食事からマンションに戻った時にエレベーターホールで
不思議な言語を(スマホで)話す白人の若者に遭遇。
ドイツ語? いや、似てるけど違う。
後で友人に「ドイツ人みたいだけど、違うよね?」と尋ねたら、「オランダ人だと思う」。
あ、あれがオランダ語なんだー。
オランダって、江戸時代から長崎の出島を通じて貿易の関係があったし、←出島観光もしたことあるし!(参考
オランダ由来の日本語も多い。
勝手に身近に感じていたけど、よく考えればオランダ人に接したことも生のオランダ語を聴く経験もしたことなかった。
 
もっと言えば、外国人が多く住むという東京、横浜、神戸(そして筑波)に暮らした経験が人生の大半を占めているにもかかわらず
実際に生活する外国人の日常に遭遇したことすらない。
 
多国籍の人たちと一緒に生活環境を共有しているって、自らも外国人として日本でない国に暮らすって
すごいことだなぁと改めて友人を尊敬した。
 
すごい大切で貴重な経験をしてるね。
 
帰国の話に戻る。
来た時と同じで帰りのタクシーもカード払い設定をしていたので、運転手さんとしても楽勝な客だったようで
空港も国際線ターミナル前まで入ってくれて荷物も下ろしてくれた。
そして、さっさと行ってしまった。
 
ところで、料金というのが実際、いくら払ったのか。この時はわからない。
友人によれば「だいたい1,000円くらい。それに深夜料金が加算されるくらいですかね」
 
表示されたドンの料金にレート計算したら、往復で1,938円。
行き(空港→友人宅)が182ドン、帰りが141ドン。行きは深夜だったから割り増し。
実際に引き落とされた料金は1,926円だった。(決済日のレートが微妙に違っていたのだろう)
 
なるほど、友人の助言&ガイドブック道理だ。
移動時間は約30分だタクシーったから、日本に比べると安い。
(ま、日本は公共交通機関が充実しているけど、ベトナムはそうじゃないからそういう違いもあがいるのだろうけど)
 
結局、経済面で理解できたのは空港までのタクシー料金だけだったなぁ。
 
かくて、外国の空港に一人放り出された格好になった私。
わからないなりに人の流れに沿って建物に入り、ANAのロゴを探して航空券を発券してもらう。
さっさと出国手続きへ向かった。
やはり、ちょっと混んでるかな?
 入国ほどじゃなかったけど。
 
検査場も順調に通過。
と、いきなり免税店前へ。
 
きらびやかさと立ち込める香水の匂いにフラッとくる。
 
まだ時間あるし、のぞいてみようかと思ったが、ハタと気づく。
「私、無一文じゃん!」
 
正確に言えば日本円は持っているし、クレカもある。
でも、そもそも買い物の仕方がわかっていない。(全部、友人にやってもらったから)
なまじ見て、欲しいものに出遭ってしまったらコワいので、背を向けて待合ロビーへ。
 
ここでお手洗いをすませ、30分くらいボーっと座っていた。
 
背中合わせに座っていた女性2人組の会話が聞こえてきた。
「今日も2万歩超えちゃったわぁ」
 
あ、いっぱい歩いている外国人観光客は私たちだけなかったんだぁ!
と嬉しくなった。
というのは、日中に街歩きをしていて「なんか、歩いているの私だけ?」と思うことがしばしばあったからだ。
けっして人通りが少ないわけじゃない。
 
歩けば棒に当たるぐらいの頻度で飲食店やカフェがあり、そこで座っている人は多く
道はひっきりなしに車やバイクが行き交っている。
だけど、歩いている人がほとんどいなかったのだ。
 
中心部の繁華街はもちろん人込みにあふれていたけれど、
ちょっと外れると歩行者の姿を見かけない。

友人も「歩かせちゃってスミマセン」。
いえいえ、日本国内を一緒に旅行する時はとにかくよく歩いたから
こっちの方がしっくりむしろ有難い。
慣れない外国でお腹も壊さず、食欲旺盛でいられたのも
しっかり歩いて運動したからだし。
 
ちなみにホーチミンで歩いた歩数は以下の通り。
12/30  10,899歩
12/31  34,405歩
1/1   26,038歩
1/2   24,539歩
 
友人も普段なら通勤はタクシー利用だし、そんなに歩けないとのこと。
オバサンと2人連れだし、安心して好きなだけ歩けたということでこの休暇はよかったかもね。
 
そんなことを考えていたら、搭乗案内の時刻になった。
 帰りも同じ飛行機かぁ。(来るときに乗った機体がまた日本に戻るんだね)
 
現地時間21:50に着陸した機体が給油と整備・清掃を経て23:05に再びテイクオフかぁ。
国内線と同じ仕組みだな。飛行機も忙しいこった。
 
羽田空港で炎上事故の詳報が気になったが、機内アナウンスによれば「当機の着陸に影響はございません」。
なんだ、無事に羽田に降りれるのかぁ。
羽田空港が封鎖され、別の空港に降ろされでもしたら面倒なことだと危惧していたけど、その心配は杞憂となった。
 
現地時間の23時台。日本だと深夜1時台。
とっくに就寝している時間なんだけど、目がさえている。
というのも隣の若い女子がおもしろくて。
 
20代前半なんだけど、たぶん初めて日本へ行く(旅行?)らしくもう楽しみで仕方ないという感じ。
日本大好き!というオーラが全身からあふれ出していた。
(だからって、何もユニクロの袋で搭乗しなくても~。)
 
帰りも視たい映画がなかったので、時々フライト画面を表示させながら、ぼーっとしていた。
2時間ちょっと経過したところで、お食事タイム。
ちょうど台湾の東海上あたり。だいたい半分きたところか。
 
 「朝食」になっているけど、実質「夜食」だよねぇ。
 
出されたものは食べる!(夕食から9時間経っていたからお腹もそこそこ空いてたし)
面白かったのは隣の女子。
最初は自分流の食べ方だったけど、チラチラと私の食べ方を観察してきて(食べ方を)真似し始めた。
(別に私のお作法が日本の!ってワケじゃないんだけど~)
そのうちにモニターも私と同じフライト情報画面に。
彼女なりに日本を一生懸命理解しようとしているのだろうな、と。
 
日本を好きでいてくださることは有難いんだけど、
現在の日本は能登地震でごたごたしているだろうから、それがウキウキ気分に水をささなきゃいいけど~と思った。
 
 いよいよ日本の領海に入ってきたぞ~
 
九州、宮崎県の海外線は見えた。帰って来たなぁとしみじみ。
たしか定刻より10分ほど遅れたように思うけど、無事に着陸。
どのあたりで炎上事故があったかは全くわからず。
(その時間帯、国内線はストップしていた)
飛行機降りてからは順調で荷物もまだ出てこず。
その間に機械で入国手続きすべしと貼り紙があちこちにあったので、
荷物が出てくるベルトコンベア近くにあった機械で試みるも上手くいかず。
四苦八苦していたら見かねた係員が介助してくれて手続き完了。
 
ホッとしたところでベルトコンベアが動き出した。
なかなか私のゴールドキャリーケースが出てこなくてイラッとしかけたところで、発見。
事前に手続きしたおかげで関門はすんなり通過できた。
 
 空港出たら、本当に正月休みかと思うくらいにガラ~ンとしていた。
 
奇しくも1月3日の早朝。
2年前の同じ日、始発のフライトでUターンラッシュでごった返す中、神戸空港を飛び立って羽田へ降りて人込みをかき分けて京急の駅に辿り着き、職場へ直行したなぁ。
その記憶がまだ鮮明だったので、京急もひとつ前の始発駅から国内線を下りてきた人々で混雑しているだろうと。
乗り込めるかなぁ。大きな荷物を持っているのに嫌だなぁと思っていた。
しかし、来た電車の中はガラ空き~。
 
行きと違って、途中で2回乗り換える羽目になったが、それも常にガラ空きだったので苦にならず。
羽田空港線は事故の影響があるからわかるが、本線は川崎大師への初もうで客で混雑しているのでは?と思ったが、それも全くなし。
 
これは地震の影響か?
 
というわけで、混雑とは無縁のまま帰宅した。
 
まだ8時すぎ。
そうだわ、箱根駅伝の復路を観戦しなくちゃ。
 
そして荷物を開封しながら走る若人たちをボーっと眺めていた。
(なんども、睡魔にガクッとしながら) 
 
 ホーチミンのスリッパ。
 
というわけで、ホーチミン年越し旅の話はおしまい。
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ホーチミン年越し旅~その21 オープンバスで市内周遊

2024年05月01日 06時53分53秒 | 泊りがけの旅行
 
ホーチミン旅行最終日(1月2日)の午後の話。
サイゴン・スカイデッキで優雅なランチを終えて地上に降りてきた。
 
午後は何をしようかということになり、オープンバスに乗ってみることになった。
東京にも大阪にも2階建てバスは運行しているけど、実は一度も乗ったことがない。
 
 
チケットを購入して乗って、イヤホンガイドを利用。(多国語対応!)
 
 出発は市民劇場前から。
 
 
 
 
 
 
 
ホーチミンの有名どころの観光スポットを次々と巡るルート。
 
 地上を歩いたのとは違う光景。風もここちよかった。
 
ここも歩いたなぁ。 
 
 戦証博物館。
 
 
 
 
 
改修工事中の教会。ちょっと残念だけど、こういう光景を見物できるのは貴重なのかもしれない。
 郵便局もいい眺め。(後ろで爆睡している若者。もったいないぞ!)
 
1時間くらいだったかなぁ。すごく楽しいひとときだった。
 
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ホーチミン年越し旅~その20 サイゴン・スカイデッキでランチ

2024年04月22日 06時36分21秒 | 泊りがけの旅行

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前回からの続き~

ホーチミンって、半円状の街だと思う。
その外周の一角から(本来の円の)中心を目指して蛇行しながら歩いたっていうイメージ。

で、中心部分にあたる?サイゴン川の畔へ。

予習替わりに視たテレビ番組でも紹介されていたホテル。
ちょこっと入ってみた。

 

フランス統治時代の空気が伝わってくるような。

そして、いよいよランチを予約したお店へ。

 サイゴン・スカイデッキ。ホーチミン市のランドマーク。

展望デッキではなく、レストランへ。

 2日前に訪れたランド―マーク81タワーも見える。

  直下の眺め。

久しぶりにフランス料理?のコースをいただいた。

 

 

3日目はベトナム料理の高級版が食べられなかったねぇ。そのリベンジ!

ベトナムはかつてフランスの統治下にあったから、こういったナイフフォークでいただく料理もレベルが高い。

美味しかったし、眺望も最高だったし、大満足! サイゴンスカイデッキはサイコー!

そして、午後の部へ。

次回に続く~
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ホーチミン年越し旅~その19 街中散策ふたたび。

2024年04月21日 07時53分19秒 | 泊りがけの旅行

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前回からの続き~

今年の1月2日の午前中の話。
南部女性博物館を出て通り沿いに先へ進んだ。

最終日はいわば予備日で初日(12/30)に寄れなかった観光スポットを巡った。

 建物がレトロでいいね。

人通りが多くなってきたなと思ったら、目の前に市場。

 タンディン市場。

初日に訪れたベンタン市場も大きくて立派だったけれど、こちらも大きくて建物も立派。

別名「布市場」と呼ばれるだけあって、衣料関係のお店が充実していた。

民族衣装のアオザイがきれい。

もちろん、食べ物関係のお店もいっぱいあって、布と食材が隣接する配置にクラっとしそうになった。

 

市場の隣?はピンク色の教会。 

 タンディン教会。(年が明けたのに、まだXmasの飾りが残っていた)

 大きなキリスト像。日本の教会ではあんまり見かけないかなー。

外から見た程度だけど、ステンドグラスが美しい。

結構歩いたので、カフェタイムを摂ることに。

どこぞの露地に入る。友人がスマホをチェックしてお店を探している脇で私は路地裏の風景が珍しくてキョロキョロしていた。

 おしゃれなお花屋さん。日本とあまり変わらない。

  レトロなアパートメント。なんか、オシャレに見える。

友人おすすめの雑貨屋さん。

友人が買ってプレゼントしてくれたグッズがとてもかわいい。

 パッケージはご飯キャラ。

布巾というか日本手ぬぐいのような。

2024年のカレンダーになっていた。
布として使うのはもったいなくて。
タペストリーとして部屋に貼っている。
祝日がベトナムのものなので、ちょっと不思議。
でも、毎日ついつい眺めちゃう。

で、このグッズ屋さんのはす向かい

にあったカフェで休憩(したと思う~)。

 

やはり古いビルで「ふるカフェ」って感じ。ホーチミンらしくて素敵なお店。

 店内も素敵だし、床がよかった。

思わず床をしげしげ見ちゃった。

 ここで飲んだのは塩コーヒー。

昨夏、NHKのBSで何年か前に放送されたベトナムの食文化を巡るドキュメントの再放送で「最近のベトナムで若者たちに人気」と紹介していた。

別にしょっぱくなかった。
正直なところ、初日に飲んだエッグコーヒーも卵っぽいところはわからなかった。
エッグも塩もどちらも美味しいぞ~というのが素直な感想。

本来、私はホットコーヒーをしみじみ飲んで味わいを感じるヒトなので、アイス珈琲になっちゃうと違いはわかんないなぁ。

水分補給した後はやや急ぎ足で中心部へ。

次回に続く~
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ホーチミン年越し旅~その18 サイゴンの記憶

2024年04月17日 05時52分56秒 | 泊りがけの旅行

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前回からの続き~

朝食を終えて、ふたたび街の散策。
食堂の場所がどこにあったのかは把握できていないのだけど、
そこからホーチミンの中心部に向かって歩きだした。

「ちょっと興味深いふるカフェがあるんです」と友人。
見た目は普通の古いビルをリノベしたカフェなんだけど、地下壕があるのだという。

 その場所に到着。ビル? 一軒家?

市松模様の床がすてき。

友人が「あれ?」 「カフェじゃなくなっている~」。

前年に訪れた時はこの場所がカフェだったんだけど、現在は向かい側のビルに移転?されていた。
向かい側のビルにスタッフさんに聞いたところ、スタッフさんが来て徐に床の板を外してくれた。

おぉ。地下壕に向かう秘密の入り口が。

下に降りてよいとのことだったので、降りてみた。

 

 ベトナム戦争時は武器庫だったようで。

秘密基地に使われていたのかな。
 ※ご参考 余所様のブログ

 

SNSなどで人気が出たのか、この場所はギャラリーになっちゃったみたい。

友人曰く「カフェだったから、よかったのにぃ」

確かに。で、カフェ利用はやめた。(見学だけゴメンナサイ~)

 一応、新年ということで国旗で飾られた露地。

インターナショナルスクール。

ベトナムでは1月2日は平日扱いなので、子供たちも登校していた。

 南部女性博物館へも訪れた。

無料だけど、入館証を出してもらう。

アオザイの変遷が興味深かった。
また、ベトナム戦争に散った女性戦士の紹介も。
日本には存在しなかったからねぇ。
2日前のクチトンネル(戦跡見学)でも女性戦士の存在があったなぁ。

これはちょっと衝撃だった。(正直なところ、ベトナム戦争における女性戦士の存在を知らなかったので)

※ご参考 余所のサイト

ベトナム戦争時、サイゴンは取材基地だった~という印象が強い。(米軍の拠点だったという印象もある)
戦場になったのは終結時のサイゴン陥落の時だけ?なんていう思い込みもあったりして、やっぱり理解が足りていない。

だけど、サイゴンの面影を遺す街に戦時の名残もそこで戦ったベトナムたちの存在も記憶もしっかり遺されている。
そのことが強く理解できた街散策だった。

次回に続く~
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ホーチミン年越し旅~その17 ベトナム風のお雑煮?

2024年04月16日 06時26分09秒 | 泊りがけの旅行

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前回からの続き~

4泊6日の旅もいよいよ最終日。

 乾期だから当然だけど、晴天。

1月2日。日本なら箱根駅伝往路の日でまだまだ正月気分。
でも、旧正月を祝うベトナムではもう平日。
(友人の会社も営業しているんだけど、この日は休暇を取ってくれていた)

朝食を摂らずに外出。
これまでは街中へ向かっていたが、反対方向へ。

 

これまでは雰囲気まるで異なる高級住宅街。

 

横浜でいえば山手、神戸なら北野町? でも、特に外国人居留区域でもないらしい。(まぁ、外国人が多く住んでいるらしいけど)

 スパ。夕方に利用予定。

一回りしたところでタクシーを呼んで、朝食摂るお店へ向かった。
友人の提案でベトナム風お雑煮が食べた。

 また違う下町へ。

若者が一人でやっている飲食店にて。

 ベトナム風お雑煮。

お餅っぽいものが入っていた。

お雑煮といっても、日本のようにお餅~という感じではなく、わりとあっさり。
お正月に食べる!というものではなく、日常的に提供されているメニューで
朝食にちょうどよい。

 お向かいの店。こちらはフォーを食べていたみたい。

 やっぱり、ベトナムは外食が日常的みたいね。

そしてバインミー屋の多さにびっくり。

朝ごはんも食べて、この日も街中観光へ。

次回に続く~
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ホーチミン年越し旅~その16 元旦の夜

2024年04月15日 06時07分07秒 | 泊りがけの旅行

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前回のからの続き~

ホーチミンの街中をふらふらと散策していたら、日が暮れてきた。
(ベトナムでも冬至から間なし冬の昼間は短い。同じ北半球なのねぇ。)

喉も乾いたのでカフェに入ろうということで、物色。
迷った挙句、友人の職場近くのお店へ。(前はよく通るけど、入ったことないのだとか)

 若者客が多い人気店のようで。入ったのは17時前。

 典型的なベトナム珈琲。

 なかなか落ちてこないなー。

 氷もリクエストしてアイス珈琲にした。

ベトナム珈琲は日本でも飲んだことあるし、フィルターで自席にて落とすタイプも経験済みだけど、
本場というか現地でいただくのも乙なものだなぁ。

再び外に出たらもう真っ暗。(18:00近く)

 前日に昇ったランドマーク81タワー。夜景もきれい。

夕食は友人宅近くにて(商店街のようなお店にて)

 ライスペーパーと野菜。ほか。

ライスペーパーの上にお好みの野菜や具材を置いてクルクル巻いて食べる。
いわばベトナム式の手巻き寿司みたいな?

 

これが美味しくて。なんといっても野菜の香りが豊かで独特で。
これは現地でないと食べられないなぁと感動しながら、お皿の上を平らげた。
(完食してもお腹にもたれないのがステキ)

スイーツは別腹ということで、食後は隣のカフェへ。

 

ベトナムのスイーツであるチェーを食べる。
私はもう一つのベトナムスイーツの定番・ベトナムプリンも食べたなかったのでプリンチェ―(左)。
ベトナムのフルーツも美味しかった。

 立地は昔ながらの商店街ながら、ここはおしゃれな雰囲気。

元旦の夜なのに、きわめてフツーの休日の夜で、そこだけが違和感だったな。

次回はいよいよ旅の最終日!(でも、1回では終わらないと思う)

次回へ続く~
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ホーチミン年越し旅~その15 元日の午後 

2024年04月09日 06時28分20秒 | 泊りがけの旅行

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前回からの続き~

カカオパークから戻って来た。
能登半島の地震速報に戸惑いつつも、とりあえず近所のショッピングモールのお手洗いへ。
(日本のと大差ない雰囲気)

そこからタクシーでホーチミンの中心部へ移動。
友人曰く「小腹は空いてますよね。ちょっとツマみましょう」

道の向こうには明らかに繁盛していそうなお店。

「たぶんお手持ちのガイドブックにも載ってるはずですよ」とのこと。
後から確認したら、確かにあった。

老舗食堂のNhu Lan(ニューラン) ※参考 余所様のブログ

 

パッと見はテイクアウトのお店。イートインもできるのね~的な。

 外国人観光客率が高い?

実はバインミーで有名なお店だったんだけど、←後から知った
バインミーは朝に食べたからと別物をオーダー。

 

米粉生地の肉まんのようなもの。
さっぱりしているけど、ボリュームもあって美味しくて。
こういうものもあるんだぁと感心した。

それから、周辺散策。
2日前も通った?レトロビル。今度は中に入って見た。

 

 

 やっぱり、見覚えがある。

帰国後、NHKアーカイブで『世界ふれあい街歩き』のホーチミン編で紹介されていたビル。
放送は2019年だったけど、あんまり変わっていなかった。

サイゴン川の方へ。

 国立銀行。
日本でいえば日銀(日本銀行)。ライオンではなくゾウさんというところが南国らしい。

 建物は重厚だねぇ。さすが国立銀行。

橋を渡って、ホーチミン博物館へ。

 ここは若いホーチミン像。

 ドラゴンの羽根を模した建物?

 博物館のバルコニーから。

ベトナムは新暦の1月1日は祝日になっているけど、新年の特別なことはしない。
フツーの穏やかな休日の午後。
博物館も人もあんまりいなかったし。

のんびりできた。

次回へ続く~
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ホーチミン年越し旅~その14 カカオパークにて

2024年04月07日 08時06分15秒 | 泊りがけの旅行

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前回からの続き~

2024年1月1日、

ベトナム・ホーチミン郊外のカカオパーク(BINONカカオ)にて。

日本語が話せるガイドさんの案内でカカオ園を見学。

私たち2人のほか日本ファミリーも一緒。

北陸地方からいらした4人家族。
日本企業のホーチミン拠点にパパさんが毎月出張しているのだとか。
(駐在じゃなくて、毎月出張)
でも、ホテルじゃなくてお部屋を借りているようで。
お正月休みを利用して、一家でホーチミン旅行。
小松空港から羽田を経由して来たの~なんていう話を奥さんとしてた。

この御家族はホーチミンからタクシーをチャーターして来たとのことで、
ベトナム人運転手さんも同行していた。

パパさん、不思議そうに「君たちはどーやってここまで来たの?」

乗り合いタクシーを予約して来たと言ったら、「ハードル高っ!!!」とすごくビックリしていた。

あぁ、やっぱりそうなんだなぁと改めて、友人の行動力に感心した。

さて、そんな会話もしながらカカオ園?へ。

 まだ収穫前のカカオが木になってる。初めて見たよ。

地面に落ちてる。

 蔓っぽいのか?

 確かに、なってるねぇ。

ちなみに、カカオの花。

収穫体験。

カカオの実を木に打ちつけて割って、中身も見せてもらった。

 

 カカオの実は2種類あった。友人は別の実を同じく獲って割る体験をした。

中の種(白いドロドロのものがついている)を試食。舐めるだけ。果実特有の酸味。チョコっぽさは皆無。

 

この実を乾燥して発酵させる。だったかな。緑茶製造と似ているなと思った。

 これも試食。ちょこっとチョコっぽくなったような。

このあとの工程は機械のお世話になるわけで。

 

チョコ作りを体験。(テンパリングはせず、器に盛って、デコっただけ)

 

お土産に板チョコを買おうかと思ったけど、体験チョコあるし、別に買って溶けちゃっても悲しいので、断念。

 カカオパウダーを購入。

チョコを買わなかった代わりにチョコドリンクを買って飲みながら、帰りのタクシー?バス?の待ちポイントへ。
(もちろん、帰りも友人が予約済み)

外国人はフツー利用しないという乗り物体験は貴重だと帰りは撮影。

 

こういうワゴン車、結構走ってた。
車内は満席で路線バスや高速バス、ローカル鉄道がない分、こういう乗り合い車が多いんだろうなと思われた。

ホーチミン市内中心部着いたのは現地時間の午後2時すぎのこと。

車を降りようとした瞬間、スマホが激しくブルブル。連打するようにブルブル。
ニュース速報が入る時の動きだ。

降りてチラッと画面を見た。
「石川県で震度6強」

はぁ?

日本とベトナムの時差は2時間。
2024年1月1日、午後4時10分に発生した能登地震を私はこうして知ったのであった。

次回に続く~
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ホーチミン年越し旅~その13 ベトナムでカカオ?

2024年04月02日 06時46分11秒 | 泊りがけの旅行

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前回からの続き~

今年の元日。
ホーチミンから乗り合いタクシー?で郊外へ。

乗り物を下りた後、10分ほど歩いて辿り着いた先はカカオパーク。

 ベトナムでカカオ?

 BINONカカオというベトナムのチョコレートメーカーの観光農場?

 観光客がいない。

カカオだけど、ゴムの木もある? 

事前のSNSやりとりで友人から「カカオパークへ行く」と聞かされていたものの、
正直なところ、カカオ=チョコレートの原料=中南米とかアフリカが生産地のイメージが強くて
ピンと来ていなかった。

が、現地を訪れて、チョコレートのカカオだと漸く認識。

 ほぉ。やっぱり、南国だからカカオが栽培できるのねぇ。

カカオのお茶をいただく。

建物の中で一休み。

 カカオの実がある。

チョコレート作りの体験コーナーもあった。

 見学など体験メニューはいろいろ。

日本滞在経験もあるガイドさん案内され、農場へ。
北陸からきた日本人ファミリーも一緒。

 まず、カシューナッツが実っている木を教えてもらう。

本当に形がカシューナッツだ。
当たり前すぎることなんだけど、「カシューナッツって、木の実なんだわぁ」と思った。
食材としの“ナッツ”しか見たことないから、そもそもどうやってカシューナッツはできあがるのかなんて
フツーわざわざ考えないよなぁ。
(子どもの頃、家庭菜園で親がキュウリとか茄子の苗を植えて育てて、収穫物を見て「わー八百屋と同じだぁ」と感動して以来の気持ちになったワケ)

この先に何が、、、と期待も膨らんだ。

次回に続く~
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ホーチミン年越し旅~その12 どこへ行くの?

2024年04月01日 06時33分02秒 | 泊りがけの旅行

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前回からの続き~

2024年元日の朝。

公園?でバインミーの朝食を食べ、幹線道路沿いへ。

この日もホーチミン郊外へ出かけること予定。

友人がバス停でウロウロしている。

 路線バスのバス停。情報が充実している。

が、ここからバスに乗るのではないらしい。

一頃昔の日本の高速バスと一緒に乗車地点は必ずしもバス停とは決まってないようで。

バス停の隣にもカフェらしき店のオープンテラス?で高速バスを待つ女子がいた。

電話でやりとりしていた友人が脇道へと歩いていく。
で後を追う。

 え?ここ?

 

友人によれば、この店の前が乗車地点なのだそうな。

ねぇ、ねぇ、この前よりもむしろ道を渡った反対側の方じゃない?
それらしき人が待ってるよー。

なんてことを言ってると、その通りで1台のワゴン車が停まった。

「バス」というよりは乗り合いタクシーのようなものだった。

乗っていたのは観光客では現地の人ばかり。
生活上の移動に使う乗り物。

わー。現地感が満載!

かくして車はホーチミンから東へ走る。

高速道路のようなバイパスをすごい勢いで走る。

 ベトナムっぽーい。

ゴムの木の畑? 

そして、郊外のある場所で下ろされた。

ここからは徒歩。

この先に目的地があるの?てな感じの田舎道。

と、あれ?

 記念碑?

よくよく見るとベトナム戦争の慰霊碑か?

 戦士のモニュメント。

ここも激戦地だったのだろうか。

歩くこと10分。

目的地へ到着。

次回へ続く~
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