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前回からの続き~
京都旅行の中日(なかび)、予定は大雑把に決めて
のんびり巡ってせいか、午前の部はそれなりに時間を取ってしまった。
ランチを終わった時点で時計は13時近く。
「大西さん(清右衛門美術館)は明日にしよー」。
今出川通に出て、京都市考古資料館をさらっと見学。(←今回は興味をそそる展示がなかった)
堀川通を渡って、白峯神宮へ。
この神社の前のバス停はよく利用するけど、明治になって建立されたこともあり興味もなく参拝したことがなかった。
蹴鞠の飛鳥井家の邸宅跡ということもあり、サッカーの聖地でもあるらしい。
だけど、今回わざわざ参拝に立ち寄ったのは、ここが崇徳上皇の霊を祀るために建立された神宮だから。
明治天皇がって、いったいどんだけ時間が経過しているの~と思う。
さらに時代を遡って、奈良時代の淡路島に流された淳仁天皇もお祀りしているのだそうな。
崇徳上皇ご自身とは縁もゆかりもない場所だから、さほどピンとこなかった。
参拝ついでにお水も汲まさせていただいた。
表の手水の水も井戸からだそうで。南北のラインでいけば三千家や醒ヶ井(←もう枯れたけど)と同じ水脈か?
堀川今出川からバスで南下、七条通で下りて堀川通を渡って、七条通を西へ行くバスに乗り換えた。
めざすは梅小路。
昨年だっけ?新設されたJR梅小路京都西駅に隣接するホテルエミオン京都へ。
ロビーで茶友さんと合流。お目当ては呈茶のニュースポット。
淡交社さんが運営する「茶瑠 CHARYU(ちゃりゅう)」がプレオープンということで。
茶室は小間(二畳)と四畳半の2つ。
お濃茶だとオープンぽい位置にある「二畳(小間)で差し上げることになります」ということだったので、
「どうせだったら、お茶室の中に入りたいよね」と薄茶&主菓子にして、奥に入室。
露地も本格仕様。
なんて、ビル内ということで柱とか天井の素材に制約があって普請には工夫されたとか。
そこは淡交社の建築部が総力を挙げて?クリアしたのだろうと推測できる~
主菓子は老松製。久しぶり~と味わった。
電熱器は仕方ないけどね。(コンセントと風炉の関係が気になる~)
コロナ影響もさることながら、私自身が茶会や呈茶から遠ざかっていることから、
本当に久しぶりのお茶会体験だった。
ちなみにプレオープンということで粗品を進呈された。
後からこの手帳の裏をみてビックリ。なんとお値段1,000円ちょっと。
実はお呈茶代が1,400円で「月釜より高っけ~」と内心ギョッとするものがあった。
まぁ、あくまでプレだからの特典なんだろうけど、これはお得だった。
もっとも、このノートを使いこなせるのだろうか~
梅小路から京都駅へ戻るバスは超混み混みで。
疲れが出た。
七条堀川で下りて、茶友さんと解散した。
このまま七条通沿いに歩けばお宿に到着するんだけど、
ハタと気づいて、ちょっと寄り道。
「七条油小路」のある地点を探して、ウロチョロ。グーグルマップ、便利だわ~
ありましたねぇ。
油小路の決闘があった場所。
決闘というか、幕末の時代に新選組内で内輪もめがあって、伊東甲子太郎が暗殺された場所。
伊東甲子太郎って、末期に入ってきて優遇されたのに、すぐに裏切って。
正直、よくわからない人物だったなぁ。
ついでに塩小路通まで下りてディスカウントチケット屋へ寄って、
次の京都旅行に備えてバス券とか買って、旅館通り?と通ってお宿に帰った。
旅館通り(不明門通)、それこそ昭和の時代は修学旅行向けの旅館がひしめいていたそうで。
もっとも平成・令和の時代は大部屋なんて世の趨勢ではなく修学旅行もホテル利用が増えたのではないかと思う。
ただでさえ、お客が減少している上に今年はコロナで修学旅行さえほとんどない。
(「ほとんど」を書いたのは、翌日の京都駅で修学旅行とおぼしき集団を見かけてしまったので)
なんだかなぁ。
とはいうものの、私自身は小学5年から高校卒業まで関西在住で
京都奈良へは遠足で行くことはあっても、修学旅行ではありえなかった。
実は京都奈良への修学旅行に憧れていたので、そこは残念だったので、
学齢をとっくに過ぎたことの歳になって、今更ながらの京都駅前泊まりはちょっと嬉しかったりするのだった。
というわけで、早めに宿に戻った後はリラクゼーションエリアで心ゆくまで漫画を読んで満足したのだった。
次回に続く~
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