Akatsuki庵

後活(アトカツ)中!

桂離宮を見学(後編)

2016年11月24日 07時59分46秒 | 茶室
~前編から続く~

昨日、「桂離宮を一望できる場所がなかった~」と書いた。
 (まぁ、5年前に見た修学院離宮の印象が強すぎたせいもあるけどね~)

その代わり、建造物については桂離宮の方が印象に残った気がする。

私にとって、桂離宮といえば松琴亭の市松模様の襖。


思ったよりブルーの色が薄かったのにはビックリしたけど、これも貼り替えがあるという。
(一般に出回っている写真は貼り替え直後と思われる~)

そして、内部はよくわからないけど賞花亭と笑意軒は、名前だけはよく目にしたことがあって、
漢字の字面と音の響きだけはしっかり憶えている。

さて、続き。


松琴亭の前の船着き場が風流だなと思いながら、先へ進む。

写真は省略するけど、池の奥まったところの橋を渡るのが少し恐かった。
(ちなみに、写真撮影に夢中になって池に落ちてしまった見学者もいたらしい)

橋の後は山登り?


賞花亭は茶室というより、お茶屋。←花街のお茶屋じゃなく、ちょっとした休憩所みたいな感じ。


小高い場所の上にあっても、決して景色を一望できるわけではないのが意外だった。
(修学院離宮はこのポイントで絶景だったし)

下りてきたら、また橋。

(渡れない橋)

園林堂を経て、笑意軒へ。




おっしゃれ~

襖の取っ手もおしゃれ~(矢)


なんせ、向こうの窓のしたの意匠がね。


石畳もすごい。


月の燈籠もステキ。


そして、最後はメイン(母屋)の古書院。




桂川の氾濫に備えて高床式になっている。
桂離宮を代表する建造物でありながら、これもクリアに全体が見渡せない。


庭越しに内部を拝見し、向こう側を垣間見る。


最後に玄関を見た。

だいたい1時間くらい。

平日の午前9時ということもあり、圧倒的に70代前後の方が多かった。

修学院離宮の時も思ったけど、見るなら朝イチの回がおすすめ。
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桂離宮を見学(前編)

2016年11月23日 13時33分53秒 | 茶室
今、日本列島各地で紅葉が見ごろを迎えている。

もちろん、京都も。

そのせいか、テレビで修学院離宮や桂離宮の特集番組もよく流れている。

あ、そうそう。
先月に行って来ました。桂離宮。

紅葉、まだだったけど。

なぜか、自分でもわからないけど7月1日にダメ元で参観申し込みしたら
当たってしまって、わらわら~。

現地では写真撮りまくって、自分でだけでスライドショーをして楽しんでいた。

で、1ヶ月経って放送された番組と見比べながら復習したりして。
やっと「blogにもUpしてみるかぁ」という気になった次第。



まず、庭園への入り口からして聚楽壁だもんねぇ。


ぜったい手間暇がかかっている道だということはわかる。


わざと庭が見渡せないように生け垣を高くしている?


御幸道。

まず、外腰掛けから見学。(写真省略)

その先のアプローチが素晴らしい。(延べ段がっ)


池の向こうに松琴亭が見えてきた~


なだらかな丘を登るようび、足下も飛び石に。


池は「天橋立」が。


おぉ! 躙り口が。


水屋かな。それともアウトドアの点前座かな。



修学院離宮と比べて、茶室の要素を備えた建造物があるのが桂離宮の魅力。

ただ、blogに書くのを躊躇したのは、「これぞ桂離宮!」という全体を代表するような写真が撮れなかったこと。

ピンポイントではあるんだけど、一望できる風景がね。

ただ、これはこの離宮を造営した八条宮智仁親王の意図でもあるようだ。

わざと、どの場所からでも全体が一望できない設計にしている~という解説を聴いた。

なるほど。
悔しいけど、これがお公家さんの美学かぁ。

ほんと、今頃は紅葉がさかりで更に美しいだろうなぁ。

後編に続く~
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ガラスの茶室

2015年10月09日 10時04分45秒 | 茶室
京都の旅、お泊りは東山区(祇園のトナリ)となれば、
ぜひ訪れてみたい場所があった。

☆青蓮院 将軍塚青龍殿
 『吉岡徳仁 ガラスの茶室 光庵』 サイト
  ※2016年(会期終了日未定)  交通アクセス

ゲストハウス楽座さんをチェックアウトした後、四条通まで上がって、
南座の向かい側からタクシーに乗って、東山三条経由で現地へGo。 料金は1,500円(ワリカンで750円)

到着した時も、既に見学を終えた人がいて「ちょうどタクシーがきた~」と喜んでいた。



看板の前は素通り~


先に展望台へ。(←順路だったから~)


五山の送り火が全部見えそう。



桓武天皇ゆかりの将軍塚。


そして、舞台へ。







カッコイイ。

でも、実際にここで茶会とか茶事をやったら、、、暑いだろうなぁ。

むしろ、夜のライトアップの中でやったら幽玄の世界が広がって、ステキだろうな。


舞台からの眺望もステキ。


平安神宮の鳥居も見下ろせる。


振り返ってみると、



お天気もよかったしね。

単に眺望だけだったら、訪れようとは思わなかっただろう。

期間限定のお茶室があってよかった。


ベンチもガラス。


帰り道はお庭を通って、出口へ。





まだ9時台だったので、見学者もちらほらだったんだけど、
出口のあたりでは入れ違いに入っていく人が多い~

10時を過ぎていて、「あ、バスが到着したんだな」。

ちょうど、同世代くらいの流行に敏感そうならオシャレな観光客の方々が~

9月からのバス路線の情報をちゃんと拾いつつ、
でも、ちゃんと経済的に観光しようというところがあって、、、 

ちょっと、ふふっって思った。

バス停の近くにも展望スポットがあった。

バイクとか車があったら、夜景や五山の送り火を見に来れるんだろうなぁ。。。ちょっと夜はコワそうだけど。



で、10:27のバスに乗って、下った。 帰りは230円。(京阪バスなので、スイカ・パスモは使えません)
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孤篷庵を見学できた

2015年10月06日 05時59分31秒 | 茶室
4ヶ月半にわたり、練りに練った2泊3日+車中泊1の「秋の茶の湯旅」プラン。

もっとも、どんなに計画を立てたところで予定外のことがあるもんで。
それも想定のうちに入れて計画に立てているんだけど、
それでも“想定外”のことは起こりうる。

今回も、、、でも、今回はラッキーな“想定外”。

2泊のうち、1泊目は祇園の隣の宮川町に宿泊、2泊目は西陣に宿をとった。

いずれも朝は6時起き、身支度をしてから周辺の散歩に出た。

宮川町では祇園から高台寺、建仁寺、あじき路地のあたりを歩いた。
「小路」と「ろーじ」、「図子」を探究するお散歩。


西陣では北へ歩いて大徳寺境内を歩いた。

昼間の時間帯に塔頭を拝観する時間が取れなかったので

特別公開の時期でもないしねー。と、高をくくっていた。

お気に入りの高桐院へ同行者を案内しようとして、ふと立て看板が目に入った。

『孤篷庵 特別公開  9月18日(金)~10月4日(日)』

立ち止まって、看板を凝視して顔色が変わった私を見て、
同行者が「今日までだねー」。

しばし考えて、「すみません。今日の午前中の予定を変更してもいいですか」

で、見学することにした。

だってね、孤篷庵って、めったに公開しないんだよー。


私の把握する限りでは

1999年10月2日~11月28日
2000年4月29日~5月7日
2003年?
2011年10月23日~11月初旬。 ←当時の新聞記事に「8年ぶり」と記載あり。
2014年9月28日~10月9日

大徳寺内の特別公開は「冬の旅」など一斉キャンペーンを除くと
どうも公開のタイミングはまちまちみたい。

まぁ、私が孤篷庵の存在や茶室「忘筌」に関心を持つようになったのは
今から7年前、2008年に茶道文化検定の勉強を始めたのがキッカケなんだけどサ

たしか、2011年は「日程が合わない」と悔しがったのを覚えている。

去年も10月は都合がつかなかった。(てか、特別公開そのものを把握していなかったと思う)

今回に至っては、寺院の特別拝観サイトのチェックすらしなかった。

ほんと、忘れた頃になんとやら、、、とはよく言ったもので。

それにこういう機会に反応できるようになったのも、茶道文化検定を受検した効果なんでしょうねぇ。

かくて、宿をチェックアウトした私たちは引き上げの荷物を持ってえっちらおっちら千本通を北上。
ゆるーい登り坂も重い荷物を持った身にはこたえた。

まるで露地へ誘うような敷石の道の角を曲がり、孤篷庵の敷地の塀に沿って東へ。

グーンと下がる坂道がいい感じ。

そして、孤篷庵の門前へ。たしか、9:40くらいだったかと思う。

開門は9:30だから、わりと早い時間帯の到着だったにもかかわらず、
もう人がどんどん中に入っていく~。

拝観料と引き換えに受け取った番号札は「28」。

「よかったわ~。30人ごとに区切って入っていただいてるんですぅ~」と、ボランティアガイドさん。

つまり、あと少し遅れたら順番待ちで時間をロスする羽目になったということで

立て看板の発見といい、「早起きは三文の得」ですなぁ。


大きなカバンとリュックサックは預けて、縁側へ。


まずは、手前のお部屋から。

中は撮影禁止のため、記憶に頼って書いていくと~


まず南に向いた縁側。

手前に低い生垣があって、その向こうに赤土が広がり、
さらに生垣が2列。高低さがついていて、片方が水平線、だったかな。

枯山水の場合、白い石が敷き詰められているのが定番だけど、あえて赤土。

これは孤篷庵を開いた小堀遠州がこの地の赤い土を見て、「このままでよい」と仰った、とか。

生垣を越えた向こう側は林になっていて、そこそこ背の高い木々が植わっていて景色を見通すことはできないけれど、
これも家々が立ち並ぶようになった最近になってからのことらしい。

昔は遠景が見合わせ、東南の船岡山を海に浮かぶ舟に見立てた借景が楽しめたらしい。

2列の生垣の左手(つまり東側)には編笠門。

露地なんですねぇ。

さらに奥に進むと縁台から庭を流れる趣向になっていた。

近江八景の庭。

舟に乗った気分で庭を眺められる工夫。

そして、その先が書院茶室「忘筌」。

上から半分下りてきた障子、灯篭、手水鉢~


おぉ~。これかぁ。。。という感じ。

突然のことで、ちゃんと予習して見学できなかったのが残念だったけど、
ボランティアガイドさんの解説が詳しくて、よかった。

そもそも、建てられてから150年後に焼失したことや
遠州候が詳しい図面を遺していたことで、焼失を惜しんだ松平不昧公が忠実に(?)再建されたことなど
初めて知った。

そして、特別公開でもあまり公開されることのない、奥の直入軒と山雲床も見学できた。
(遠州候のプライベートルームだったところ)

床の間の壁面が「狩野探幽による~」という解説に「ん?」

ガイドさんに質問。
「焼失したのに、なぜ探幽の壁画があるんですかぁ」。

すると、「これは貼り付け壁なんです」

つまり、床の間の壁に壁画のように貼り付けてある、と。

そして引っ剥がせるのだ、と。

よって、火災の時に引っ剥がして巻いて、担いで逃げた、ということ。

だから無事で、再興後に再び貼り付けられたということで。

いやはや、昔の人の知恵って、すばらしい。

というわけで、堪能して満足。

ちなみに、今後しばらく公開の予定はないとのこと。

来てよかった~

外に出ると、結構な行列が。



皆さん、情報に敏感ですねぇ。

千本通から坂を下ってきた道をさらに下り、今宮神社の参道へ。

今宮神社の鳥居がわりと近い。

あぶり餅、また食べたい~  でも、もう時間がない。

後ろ髪を引かれる思いで南へ。北大路へと向かった。

で、206系統のバスで京都駅へ直行。
正午前に京都を発つ高速バスの昼間便で帰ってきたのであった。


※順番が後ろからになってスミマセン。
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やっと行けた!八窓庵

2013年04月11日 13時42分16秒 | 茶室
南禅寺の金地院にあるお茶室、八窓庵。

以前から一度訪れたいと思っていた。
が、たしか春ならGWの時期、秋なら10月くらい???

といった特別公開、もしくは事前申し込みだったかと。。。

それがいつのまにか、通年でOKになっていたとは

こういう情報は「思いこみ」でいたらイカンなぁと反省。

さて、八窓庵。

小堀遠州が設計した茶室。
窓は6こしかないのに「八窓」庵。

「窓が多い」ことを強調したいからの敢えて「八窓庵」にしたとか。

一から設計したのではなく、もともとあった建物を改造したものだったとか。

帰宅後に改めて茶室の本を読み返して「なるほど

いやはや、予定外の見学だったので、予習が足らなかったワ

でも、茶室の向こう側、逆勝手の「鎖の間」と水屋も見られてよかった。

この茶室が気になっていたのには、理由がある。

北鎌倉の明月院の前を通りすぎてズンズン奥へ行くと、明月荘という建物があった。
古民家と茶室があって、お庭があって。

そこで茶室を開いたことがある。(正確には言えば、私はお手伝いに行っただけ~)
2005年の3月と6月の2回。

6月は風炉の時期だったんだけど、流し点でお点前したっけ。

さっき調べたら、2007年夏に老朽化で閉鎖されてしまったとのこと。(鎌倉市の学習施設だったんだねぇ)

今から思えば、いちばん茶道ライフが多忙な時期だったなぁ。
(よくまぁ、あんなにお茶のことに東奔西走できたものだと我ながら思う)

明月荘での茶会は楽しい思い出の一つ。

その茶室が当時の私としては“変わった間取り”で。
同じ間取りの茶室って、ほかにあるのかしら?と
調べたことが、茶室に興味をもったキッカケ。

そして、同じ間取りを見つけた。

それが金地院の八窓庵。

三畳台目の上座床。

あの古いお茶室はこの写しだったのだ。

ただ、本物を比べてみると

廻り茶道口ではなくて突っ込み茶道口だったり。
躙口は縁側からのものではなく、踏石の上から入る躙口だし、
床の間は下地窓もあいてなかったと思うし。

いくつか違いある。

風炉で点前していた時は
点前側からみて正客の顔が見えづらいなぁと思った。

だけど、あそこに下地窓が開いていたら、そういうこともなかったのかな。

とか、いろいろ思い出してみるのもまた楽しい。

そっか、老朽化して財政難で維持できなかったのか。

そうだろうなぁ。
あの時すでにかなり古かったもんなぁ。

時代の流れで仕方ないとはいえ、
茶室を維持することの難しさを改めて感じてみたりもする。

おまけ。(金地院の鶴亀の庭)


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御縁の道

2013年02月12日 00時10分10秒 | 茶室
先日、金戒光明寺を訪れた。

冬季特別公開中の庭園の一番奥にあった庭。

御縁の道。



そこから戻る石の道もステキ。











人生もまた道。

いろんな模様がある。

それもまた楽しみ。

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根津美術館の露地と茶室

2011年10月28日 07時23分15秒 | 茶室
先週、根津美術館を訪れた“目的”は茶室。

五島美術館にも畠山記念館にも茶室群と露地はあって、そこで開かれる茶会には参会したことあるのに、
根津美術館だけはその機会がなくって

7月にサイトで「はじめての茶席-秋を楽しむ-」というイベントを見つけた時は「おっ」。
古筆の展覧会に訪れた折に申し込んでおいた

時間がきて地下1階の出入り口から庭園内へ。(地下1階にこんなにコインロッカーがあったとは
打ち水がまかれた石段を下り、案内されたのは茶室「好仁亭」。

しばし、茶室の前のベンチ?に腰掛けて待つ。
向かい側の腰掛待合がや蹲居、延べ段を眺める。

 

かすかに紅葉も見えた。


そして、茶室内へ。
上段の間に加え、お供の控えの間をある広間。
もともとあった茶室は戦災で焼失し、戦後すぐに大倉家から譲り受けて移築したのだそうな。

10月だったのだけど、もう炉の設え。

床の間には雁の絵。花入は国焼の土物だったっけ。
水指と棗、茶杓も普段は展示ケースの中に納まっているもの。

ガラス(アクリル)を隔てない、本来の茶室にある姿で存在しているのを拝見する幸せ

お点前は宗和流。初めて拝見した。
対象は“茶道をやってないヒト”なんだけど、参加者のほとんどが茶道をやっている面々
なので、本当の月釜のような茶会の雰囲気。

今回の催しは美術館としても初めての試みなのだそうだ。
(午前1回、午後2回。各回の定員25名の参加枠は事前に満席になってたみたい)

「今後も~」のオコトバに期待
他にも小間の茶席が幾つかあるようなので、願わくはそちらも見学してみたいな

★おまけ
茶道文化検定1級の答え合わせ継続中
ランダムにやっているのだけど、一喜一憂状態
いやいや、それでは50点になってしまう 一喜一喜一憂くらい?
80点は無理だともう諦めたけど、せめて昨年の点数(62点)は超えてくれと祈る思い。
今のところ、歴史、茶事・茶会、茶道具、茶室・露地、茶業の5分野をほぼ終えた。
「ほぼ」というのは、まだ答えが探しきれていないものもあるから

残りは禅、懐石、茶花、菓子の4分野。菓子はとくに難しかったからねぇ。
今までも書き間違えあったり、勘違いで書き間違えたところもあって、筆記もポロポロ落としちゃったし
もっとも、カンが冴えて正解できたところもあるのだけど、、、

でも、自分で答えを確認しに行く行為は大事だなぁとつくづく思う。
それが本当の勉強なのかナ。
自分の弱いところも把握できるしね。
なので、今日から解答速報は出るらしいけれど、自分のが終わるまではワタシは閲覧しないつもり。
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光琳屋敷 in MOA

2011年09月09日 00時04分21秒 | 茶室
昨日はMOAの茶道具展のことを書きすぎたので、光琳屋敷のことまで書けなかった。

昨年末、NHKアーカイブで尾形光琳の特集を見て以来、興味を持っていた。→こちら
MOA美術館の敷地内にある光琳屋敷。
光琳自ら書いた図面や大工の仕様帖、茶室起し図などに基づいて復元されたものだという。

内部へは立ち入れなかったので、屋敷の周囲から見学する程度なんだけどねー
それでも、お庭とか茶室見れた。

躙口。三畳台目の下座床の茶室。


ぐるっと回ると、土間から水屋も見えた。

江戸時代の裕福な町人の屋敷には、フツーに茶室があるものなんだねぇ。

光琳のアトリエ(作業場?)は2階にあったらしい。(と、テレビで言ってたような。。。)


やっぱ、当時としては凝った設計のお屋敷なんだろうなぁ。
光琳も絵描きとして、より立体的にデザインできる才能もあったのだろうなぁ。
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高台寺の傘亭でお抹茶を

2011年07月08日 00時00分57秒 | 茶室
京都の話。
今回、特に用事がなかったのに「行きたい行こう」と踏み切ったキッカケは高台寺
当blogを閲覧して下さっている方がコメントにて情報を寄せて下さったノダ
過去、4回も見学しているので、やっぱ一度くらいは中でお茶をいただきたいじゃありませんか
と思って
ちなみに、前回の訪問はこちら
受付で拝観料と呈茶券を購入すると、本堂だけお参りさせていただいて、あとは頂上まで直行

途中、前回は修復工事中だった遺芳庵をみる。

たしか、円窓床だったかな? もちろん内部の見学はできないけれど、外観だけでもステキな茶室。


ぜいぜい言いながら、やっと到着。
先客あったので、まずは時雨亭の1階で待たせていただいた。

傘亭は以前も呈茶に使われたかこともあり、そもそも文化財指定前は内部にも入れたのだが、
時雨亭内部に一般の見学者を入れるのは初めてのことらしい。

2階は~。。。 強度の関係もあって、ダメですよねぇ 了解デス。

呈茶のことを知らずに登ってきて、現地で「呈茶いただきたい」ということになってもOK。
そういう方々と一緒にお席へ。

ワタシが坐ったのは床の間の横。(もしかして、おね様が座ったあたり~?)

稽古でもないのに、天目茶碗と天目台って、なんか慣れない。
でも、本当に上手に点ててくださって、美味しかった。

おもむろに「撮影していいですよ 床の間以外は」
えっ、遠慮していたけれど、いいですかぁ。では、遠慮なく。


やはり、傘亭は屋根が魅力ですねぇ。
水屋も見せていただいた。おくどさんが2つもある。


前回が頑張って撮影したこともあって、今回は「内部から見上げた天井」ばかり撮影している。
部屋の構造がわかる写真が1枚もないねぇ
平日だったせいか、空いていてゆっくり見学できた。
ま、半分ミーハーで出かけたけれど、満足できた

公開は7月18日(月)まで。
呈茶千円だけど、価値はあると思う

帰りに掌美術館へも寄った。
秋草蒔絵歌詞箪笥を一生懸命見ていた。←独り言で「この花は○○かなー。こっちは△△かしら」とブツブツ。
そしたら、係員の方がペンライトで照らしながら、引き出しと壁面など一つ一つ説明してくれた。
秋の七草そのものではなかったんだけど、まぁだいたいそんな感じの草花。

1つだけ、鉄線が描かれていたので「え?」と思った。
鉄線って、江戸時代に入って外国からもたらされた花じゃなかったっけ?
(去年の茶道文化検定で間違ったから覚えている)
まぁ、おね様が生きていた時代は江戸時代初期にもかかってはいるけれど。。。
けっこー、このあたりって、アバウトなんじゃん
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平成待庵を見学

2011年07月06日 00時00分04秒 | 茶室
先週の旅行、たったの2日間だったけれど、blogに書きたいネタは満載
「どこから手をつけようか」と迷ったけれど、まずは大徳寺の瑞峯院の平成待庵から



大徳寺の境内には(たぶん)22の塔頭が存在するが、常時公開しているのは(たしか)4軒(だったと思う)。
瑞峯院はそのうちの1軒。詳しくは前回の訪問を参照されたし。
平成待庵は此処にあるのだけど、ここだけは事前予約が必要ということで、今回は3日前に申し込んだ。

受付でその旨を名乗り、特別拝観料を支払うと、玄関脇の四畳半の茶室に通された。


ほどなく和尚様があらわれて、扇風機と炉塞ぎの蓋を取られると、炉にかかった鉄瓶が
略式のお点前で抹茶をいただいた。
お菓子は大徳寺納豆が入ったものと、2服めは振り出しに入った大徳寺納豆(←こちらの手作り)で。

「待庵を見たい」と1人で予約するぐらいだから、茶道を習っている人間であるとはおわかりのようで、
まずは28日の月釜の話題から。
京都のお水は美味しいですね。此処へ来る前に梨木神社に汲みに寄りました~と話すと、
「わざわざ行かんでも、云うてくれたらここで汲んだらよかったのに」
云われてみれば、部屋の隣には釣瓶がある現役の井戸がある。
そういえば、門の脇にもあった。

(瑞峯院内だけでも4つの井戸があるそうな)

「どちらから来はったん?」で自宅のある地名を答えると、「あぁ。そこは」。
江戸時代に活躍した有名な禅僧が若かりし頃に修行した某寺院の名をあげた。
さすがだなぁーと感動しつつ、
私の家はそこのすぐ近所なんですヨ。もっとも、お寺の中には入ったコトないですけど。
「あっこの奥さん、お茶をやってるヒトよ」
なるほど。

そのほか、大河ドラマの『江』の話題も出たヨ
大徳寺の和尚様も観てるんだぁと、ちょっとビックリ。

お茶をいただいた後、待ちに待った待庵へ~。
閑眠庭(十字架の庭)と安勝軒の見学を経て、待庵の水屋へ。

実は7年前に山崎の妙喜庵を訪れ、待庵を見学したことがある。
国宝の茶室ではあるけれど、シロアリ被害でギリギリの状態で維持しているとのことで、
躙口から内部を拝見したのみ。
なので、写しとはいえ中に座れることに感動

こちらの存在を知ったのは一昨年のNHKを観てのことだったと思う。
「出来て間もない」と思っていたが、利休四百回忌の時に建てられたとのこと。
三千家の家元もココで儀式か供養をされたそうな。
えっ もう20年前からあったんだぁと、これもビックリ。

現存する待庵のほか、文献や図面を基に忠実に再現されたとのこと。
忠実、、、、ん? なんか、違和感が。。。
「あの、床が広くないですか?」と、おそるおそる聞いてみる。
床の間の幅が隅炉の外隅のところまであるのだ。
写真で何度も見たから、間取りは覚えている。ホンモノはここまで床はきてない。

すると、「妙喜庵の落掛(←床框だったかも)は切った後があるんですワ」。
つまり、利休さんが待庵を建てた場所から現在の妙喜庵へ移築されたのだという。
その際に床の間の幅を決める柱が短くされちゃったようだ。
で、平成待庵は“最初に建てられた状態の待庵”を再現したものらしい。
だから、妙喜庵のホンモノにはない内露地も再現されている。

↑内露地を外側から見たところ。
 そういえば、妙喜庵にもここらの位置に赤松が植えてあったなぁ。
 たしか、秀吉の手植えだっけ?

天井の骨組みが竹だったり、壁に藁を混ぜたのも、現地のあり合わせの材料を使ったから。
とても説得力をもって伝わる説明ダ
壁や室床が青く見える。
室床も覗き込んでみたけど、奥の柱まで土を塗りこみ、角が丸みを帯びている。
で読んだけど、まさに百聞は一見に如かずで感動

ちょうど20年前、NHKスペシャルで待庵の構造の謎に迫る番組を見た。
躙口や室床に見られる造りが朝鮮半島における当時の民家と同じだという検証を覚えている。
そのことを思い出していると、和尚様もその番組のことを話されるではないか

その番組、ワタシも観ましたぁ
この平成待庵でも撮影されたそうな。。。(と仰っていらっしゃった、、、と思う)

しばらくすると、和尚様は「私は務めがあるので、どうぞごゆっくり。
帰る時はそこ閉めといてネ」と出て行かれた。
えっと思いつつ、一人で点前座座ってみたり、正客の位置に座ったり。
二畳の奥深い空間を味わう。
躙口からもちょっとだけ外へ出て、内露地にも立ってみた。

最後に躙口を閉めて鍵をかけ、開いた窓の障子も閉めて退出した。
(言われなかったけど、さすがに内部での写真撮影は遠慮させていただきました

平成に建てられたとはいえ、忠実に再現された茶室だけあり維持費が結構かかるのだとか。
「だから、拝観料をいただいて当てさせていただいてますのや」と仰られると、
ははぁ~。ごもっともでございますぅ。
と思う。
特別拝観料は1,500円かかるけど、抹茶もいただけるし、維持のためとあらば、
決して高すぎることはないと感じた。

見学した3日後に大河ドラマ『江』で聚楽第内にある利休さんの茶室が出てきた。
二畳だったけど、隅炉ではなくて向切だった。
床の間は、、、ん~録画を見直したけど、やっぱ違うなぁ。
(ちと残念

方丈に戻ってから、方丈裏の閑眠庭から待庵に続く露地を眺める。(いいなぁ)


方丈前で縁側に腰掛け、しばらく独坐庭を見る。
やっぱりココは落ち着く。
(枯山水は龍安寺の石庭の方が好きだけど、こちらは人がいないから、いいかもしれない)

辞去する時に再度、和尚様にご挨拶したら、もう作務衣に着替えてらした。

また、訪れてみたい。
(だけど、次は28日にしよっと

瑞峯院を出たら、金毛閣が目に入ってきた。

あそこは2回、昇ったことがある。
聚光院も方丈、まだホンモノがはまっていた襖絵も見たし、茶室の閑隠席と枡席も見学した。同じく2度。
そのうちの1回が山崎の待庵を見学した翌日だった。
懐かしく思う反面、「あの頃はよく頑張れたもんダ。今はムリ」。

自転車を押して、とりあえず敷地を出てから、また漕ぎ出す。
孤篷庵の前を通った。
こちらも大徳寺の塔頭だから、昔は敷地内だったんだけど
 
ここには忘筌(ほうせん)という茶室がある。
こちらは非公開。
ちょうど、吉富さんだったか末富さんの車が停まっていて、門から職人さんが出てきた。
和菓子を配達しに来てたのネ。
ということは、お茶事が催されてるのかなぁ いいなぁ
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建仁寺・両足院と正伝永源院

2011年02月06日 00時01分45秒 | 茶室
順番が逆になってしまったけど、「冬の京の旅」非公開文化財特別拝観、建仁寺の巻。

まずは両足院から。 こちら
両足院
こちらには如庵の写しの茶室があるのだけど、庭越しに遠望するだけ。


でも、長谷川等伯の絵も見れたし、伊藤若冲の絵もとってもよかったので、満足。
また、茶道文化検定1級の試験の折り「誰?」と思った「林浄因」サン(→こちら)がナニモノなのか、判明した。
饅頭の製法を日本に伝えたヒトだったのネ。(南北朝時代)

関が原の戦の際、黒田長政が兜の中に入れて出陣したという秘仏の毘沙門天像もお参りした。
あまりの小さなにびっくり

本坊などを拝観した後、正伝永源院に行く。 こちら
境内の敷地の外を出るので、建仁寺の塔頭って感じがしない。


まったく予備知識がなかったのだけど、ガイドがとても詳しかったので、いろいろわかった。
まず、もともとは正伝院と永源庵という、別々の塔頭だったそうで、
正伝院の方は鎌倉年間に創建されたものの、その後荒廃していたのだそうな。
大坂冬の陣後に隠棲した織田有楽斎が再興して、敷地内に如庵を作って悠々自適に茶道三昧したらしい。

もともとの如庵が何処にあったのか~なんて、実はちゃんと覚えてなかったヨ
云われてみれば茶室の本「すぐわかる茶室の見かた」の裏表紙に絵があった。

まったく、気がつかなかったワ~

一方、永源庵の方はやはり鎌倉年間に創建されて、細川家の菩提寺として続いてきたそうな。

で、明治初年の廃仏毀釈の折り、建仁寺の塔頭が大幅削減されたのだそうな。
それで、その時は無住だった永源庵は廃寺処分になってしまったんだけど、
少し離れたところにあった正伝院が移ってきたんだって。
それで、しばらくは「正伝院」と呼ばれていたんだけど、公爵家になった細川家の菩提寺だったので、
「永源」の名を興して、「正伝永源院」となったとのこと。
いずれにしろ、建仁寺の本坊に近かったのが移転の決め手になった?

ちなみに、正伝院は移転する際に、土地と建造物を売却したそうで、その中に如庵があったとのこと。
だから、三井家に買われて大磯に移築されたワケ、ね

そこまで考えたこと、なかったヨ
ただ、この説明が長くて、早トチリなワタシは「へぇ、ここに如庵があったですねぇ」と云っては、
「だ・か・ら~、それはココじゃなくって~」とガイドさんに訂正される始末で

しかし、廃仏毀釈って、すさまじかったのねぇ。(前の日に大徳寺でも聞かされたケド

まず、お宝などを拝見。
たしか、伊達政宗の書状があったような~。
織田有楽斎の木像も見た。前の日はお兄ちゃん(=織田信長)の木像見たしね。やっぱ似てる?
同じく2人と兄弟の織田信包の肖像画も見た。
「江」でも出てくる。当時、実はナンバー3くらいだったらしい。

ほか、茶道具は有楽斎の手作りの赤楽茶碗や茶杓、象牙の茶杓も見る。
ガイドブックにあった豪華な天目台は展示替えの関係で拝見できず。

如庵は別のガイドさんから、また詳しく説明を受ける。
大橋茶寮での茶会の折り、如庵の写しに入ったことあるし、
見るだけなら三井記念美術館でよく見るから、「こんなものかぁ~」と思ってみる。

ホンモノはね~、犬山に行った時に外観だけは見たことある。
(まだお茶を習い始めて1年も経ってなかったので、価値がよくわかっていなかった)

ただ、ココは室内のみではなくて、躙口の外の辺りもあって、興味深い。
円窓を開けた袖壁を付けて土間庇を形成して、席入りの際は雨でもお客様を保護する工夫をしてたのネ。

そしてその奥には相伴席というか、お供が控える空間があった。
優しい有楽斎らしい設計だなーと思った。

 

 

見物を終えて外に出てビックリ。
北側はもう花見小路。祇園が近いだねぇ。


とりあえず、東大路通を南へ行きたいので花見小路に背を向けて歩き出す。
あれ?井伊美術館って、ココにあったんだねぇ。
 

東大路通に出てから、キョロキョロ。
だってね、「京の冬の旅」のスタンプラリーが3つ貯まったの
だから、お接待を受けようと思って。
 
八坂道の近くの本家八ツ橋 八坂店にて、生八橋と抹茶。
店頭にはいろんな種類があったので、お土産も買う。黒胡麻生八ツ橋。

バス停まで歩いていたら、発見。

川瀬表完さんの表完堂。ちょっと、入りにくい雰囲気なので、前を通り過ぎた。

さて、1週間にわたって紹介した京都の茶室めぐり、如何だったでしょうか。
正直なところ、見学する前も忙しかったから“予習”する時間もなかったし、
見物している最中もあまり深く考えていなかったように思う。
帰って来てから、このblogに書くためにもらったチラシや購入したガイドブックはもちろんのこと、
茶室の本に茶道大辞典を参照し、復習がタイヘンだった
時には他の茶室と間違って記述して、コメントで指摘していただいて削除したりも
難しいなぁと思った。

京都での2日間の滞在で見て回った茶室は外観も含めて計14室
このうち、帰宅後に間取り図が確認できたのは8室。
そのうち6室は↓に掲載されてました。(2室は茶道大辞典に掲載)
『すぐわかる茶室の見かた』
前 久夫
東京美術 2002年刊

名席の紹介のみならず、後半の「茶室用語図典」もちゃんと読まなきゃなぁと反省

興味がちゃんと残っているうちにちゃんと茶室や露地のことを勉強し直そう、と本気で思っている。
そして、次の茶道文化検定では前回は正答率55.5%を大幅Upさせるぞっ


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建仁寺・東陽坊など

2011年02月05日 00時00分22秒 | 茶室
名前はよっく知っていたけど、実は初訪問の建仁寺。→サイト

本坊、高台寺や龍安寺とよく似ている。(写真だけ見てると区別がつきづらい


特別公開の塔頭を訪れながら、通常でも公開されている方丈の方も拝観した。

帰った直後に観たせいかもしれないけど、
たぶん、この前の大河ドラマ「江」の第4回でロケに使われていたかも。

雰囲気は鎌倉の建長寺に似ているようにも感じる。

↑法堂。天井画の双龍図が見応えあり。
方丈は中は拝見できるけど、屋根の葺き替え工事中。

 
小書院と庭、大書院といい雰囲気。
ここでも風神雷神図を見かけた。(←正月あけに光琳のを東博でみたので
俵屋宗達のはココが所蔵だったのネ。
復元品の展示だったけど、ん~光ってる。
(以前、東博「対決!」でホンモノを観たけど、もっと暗かったような。。。こちら

お目当ての茶室「東陽坊」も拝見。

 
露地もいい感じ。茶事ともなれば枝折戸がつけられるのかなぁ。


蹲踞の前の大きな石(柱の礎石の再利用?)は“待ち石”かなぁ。(←この表現は正しくないと思うけど

 
吸い込まれそうな躙口。茶席は二畳台目の下座床。

長次郎茶碗に「東陽坊」という銘の黒楽があるけど、意味は考えたことがなかった。
(ちなみに、茶釜もあるそうです)

茶道大辞典に解説と間取り図あり。
真如堂にあった塔頭の名前だったのねぇ。
その塔頭・東陽坊に住んでいた長盛サンが北野大茶湯のときにつくったものと伝えられ、
北野の高林寺にあったのを移転を重ねて、明治時代に建仁寺へ移築されたとか。
さらに、大正になって現在の位置に落ち着いたとのこと。

北野かぁ。。。
実はこの前日、北野天満宮もちょこっと行った。
 
点と点が線につながったみたいでウレシイ。

で、黒楽の「東陽坊」は長盛サンが所持していたからで、利休さんの門人だったらしい。
辻与次郎作の「東陽坊釜」は利休さんから長盛サンに贈られた茶釜だそうで。

ほー。そういうことだったのかぁ。
黒楽「東陽坊」は個人蔵だし、たぶんまだ見たことないと思う。

でもさー、如庵もそうだけど、茶室を移築しちゃうって、スゴイなぁ。
お城とか寺院の建物も昔から移築した話って、よく聞くけど、そんな特別なことではないのかなぁ。


水屋側もいい感じ。

そういえば、ここでは月釜が催されている。毎月5日だっけ。詳細はこちら
真如堂の月釜(第2日曜)をセットで紹介されているのは、長盛サンつながりだったのかぁ。
建仁寺の月釜は行ったことないけど、真如堂の方はある。
今は電話で事前に予約みたい、だね。
それから建仁寺といえば、毎年4月20日の四頭茶会が有名だなぁ。
行ったことないけど。

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高台寺

2011年02月04日 00時01分45秒 | 茶室
高台寺を訪れるのは、たぶん4回目。→今回の案内ココは他の季節でも“特別公開”しているので、来る度に茶室は見ている。
(過去3回のうち、2回は冬とは春先で1回は秋だった)

写真集でも見た傘亭、ずっと「かさてい」だと思っていたけど、
今回blogを書くために資料を読んだら「からかさてい」が正しかったのねぇ

門を入って、わりとすぐのところ。
なぜか、蹲踞を見るとうれしくなってしまう。

気がつかなかったけど、この奥(左側)に鬼瓦席があったようだ。(←配置図から想像)

これもわりと手前 の方で見かけた修復中の建物。
茶室みたいだったし、写真には写ってないけど大きな円窓が印象に残ったので、後から確認したら、
どうやら「遺芳庵」のようだ。

へぇ~。吉野太夫好みの席だって~。
手持ちの本によると、一畳台目の逆勝手向切。

寛政年間以来、たびたびの火災で焼けてしまった建物も多い中、よく残った方丈?

たぶん、書院だと思うけど、室内では秀吉愛用の杖やスリッパ?が特別公開されていた。
徳川家康、秀忠からの安堵状みたいなもの?もアリ。(祐筆が書いて、花押だけその方たちの)

開山堂から臥龍廊、霊屋。(いつ来ても心が落ち着く眺め)


そして、斜面を上がったところに茶室が2つ。傘亭と時雨亭。


まずは傘亭(からかさてい)から。
 

 
伏見城内にあって、土間のとことは船を乗り付けられた、とか。
そのせいか、利休好みとはいうものの「茶室」って感じがしない。

八畳間の真ん中に土間があって、その脇が上段で、脇の水屋は長炉とくどがある、単純な配置。
たしかに、お茶は出されたかもしれないけれど、寄付っぽいというか、休息処のような。

ただ、屋根を裏側から見上げると圧巻。
 


やはり、ここは時雨亭に続く序章のような存在なのだろうなぁ。
土間廊下をつたっていくのもいいネ。(って、見学者はそこへは立ち入れませんが)

2階へ上がる趣向がいい。
 
(1階は水屋だそうで、暗くて撮影してもよく写らなかった)
2階の室内がよくわからないので残念。せめて概観だけでも~と思って、少し離れてみる。


北政所は時雨亭の2階から焼け落ちる大坂城を眺めたというエピソードを思いながら、見上げた。
(以前、大河ドラマ「利家とまつ」にもココのシーンがあったような)

竹林の中を降りる。数年前、夜訪れた時にみたライトアップ、とても幻想的でステキだったっけ。


呈茶処もあり。

なんと、台天目でいただけるらしい。

(思うところあって、ここはパス)

園徳院へと下る石段がなぁんか、ヨカッタ。


ちなみに園徳院の方は“茶の湯”の感じがしなかったので、今回パス。(既に2階訪れていたしね)
高台寺の拝観に掌美術館の入館券もついていたので、そちらだけ見る。

豪華な天目台だ出ていた。
それと、霊屋の本尊が“特別公開”されていたので、こちらも鑑賞。
小さい。

4回めにして「じっくり味わったなぁ」って思えた。

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龍安寺と金閣寺

2011年02月03日 00時00分49秒 | 茶室
もう1週間も経っちゃったんだぁ
早いなぁ。

京都を訪れた初日の1月27日(木)、午後から大徳寺へ行って3つの塔頭を見物したわけですが。
正味1時間程度で済んじゃって、まだ2時半。
ならば、久しぶりに龍安寺の石庭でも眺めるかぁ~と移動。

10年くらい前の節分の朝、ここで30分ぐらいボーっとしてったけなぁ。

今はもう、どこから死角になっちゃって13個の石は見渡せないことがわかっちゃった。
薄い西日がさした庭もいいけど、観光客が多すぎ

裏の「知足」の蹲踞、ホンモノじゃないんだって。

(吾唯知足)

こちらも思いの外、短時間で観光できたので、さらに金閣寺へと足を延ばす。

龍安寺は折りに触れては訪れていたけど、金閣はニガテで高校2年以来の訪問。
たぶん、この先に訪れることはなかろうと、奮発して千円払い方丈を見学。

寒いなんてもんじゃない。
足元が深々と冷えるし、軒下に残る雪は大晦日の晩のものだという。
「ここが母屋なんですヨ。義満公はココから金閣や衣笠山を眺めたんですよ」と云われても、
現代は松の木が育っちゃって、もう見えまへん

盆栽が育ったという、変わった松の木(京の三松の一つらしい)
東福門院和子様のなんとかとかを見る。
(今回は大河ドラマつながりで「江」で、やたら東福門院和子さま関係の公開多し)
瀬戸内寂聴の「源氏物語」の表紙の装丁に使われた秋草の絵も見たなぁ。
(ただし、デジタル復元版だったけど)
表が早秋、裏が晩秋と同じ秋の七草でも描き分けをしているところがスゴイ。

あと、「これはホンモノですよね?」と確認してから見た狩野永徳の鷲図。
「永徳の絵はあまり残ってないんですよー」とガイドさんは云ったけれど、
その割には獅子図とか大徳寺聚光院の襖絵(←まだホンモノがはまっている時)は見れていた。
これって、ラッキーなことだったのねーとぼんやり思った。

で、金閣を見る。

写真撮ってから、「高校生の時も全く同じ構図で撮ったなぁ



西日に映えて、キレイ。

坂を登って、夕佳亭。
承天閣美術館に写しがある茶室ダ。


ほー。ほー。これが金森宗和好みの。

こちらも手持ちの本に間取り図が紹介してあった。
上段の間を除くと三畳上座床の、わりとオーソドックスで使い勝手のよさげな茶室。
ん?元は四畳半?
茶道大辞典によると、明治初年に焼けて同7年に再建されたとある。

茶道口のあたりがよく見えなかったのが残念。

周りはほとんどが外国人観光客。
その中で数少ない日本人観光客の会話。
「なんて書いてるのか、読めなーいっ」

って、「無事
だろって、ボソッと呟いた。

でも、さー。
貴人さまが座った上段の間はちゃんと“非公開”になっているネ。

てなことで、ちょうどいい時間になったので、さっさとバス停へ。
(金閣って、5時まで拝観できるから、ギリギリにもう1つって時はよいかも)

あと、手持ちの本「すぐわかる茶室の見かた」を捲っていて発見。
龍安寺と金閣寺の間に位置する等持院に公開されている茶室があるらしい。
ちょっと変わった間取り。
名前は知っていたけど、ノーチェックだったなぁ
当分、あの辺りに行く予定はないけど、もし機会があれば訪れてみたい。


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大徳寺・瑞峯院

2011年02月02日 00時02分27秒 | 茶室

特別公開の塔頭を2つ見たけど、物足りなかったので、
常時公開されている塔頭の中から1つ、瑞峯院を訪れた。

九州の戦国大名、大友宗麟が自らの菩提寺としてお坊さんを招いて建立した塔頭。
宗麟サンはキリシタン大名だから、十字架をデザインした枯山水がある。
高校2年の夏に初めて訪れて以来。

独坐庭(どくざてい)を再び見て、「こんなに大きな庭だったっけ?」。
当時撮影した写真がお気に入りで記憶に残っていたので。
もっとこじんまりした印象があったけど、再び写真撮影してみると同じ?

ここにも茶室がある。
餘慶庵は「この先は入れません」ので張り紙があり、非公開


安勝軒の方はそれがなかったので、拝見。

襖が入ってなかったので、水屋や控えの間も丸見え~。
二畳台目で、ん?逆勝手の向切だ
(後からもらった説明書を確認したら、「大徳寺内唯一の逆勝手席」とのこと)
逆勝手、向切は横浜三渓園の蓮華院にもあった。→こちら
実際に稽古した印象では意外と点前がやりやすいんだよね
(風炉の点前感覚っぽくて)
もう一つここには「平成待庵」が最近できた。(去年だか一昨年、テレビで見た)
それが見られるかなぁーと期待していたけど、、、
帰りに受付の方に聞いてみたら、「前日までに予約の電話をいただければお見せします」とのこと。
次に来る時は連絡いれとこ

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