『信長の手紙 珠玉の60通』 永青文庫 ※12月1日(日)まで
永青文庫コレクションが織田信長の手紙を所蔵していることはよく知られていて、
過去にも手紙の展示を観たことはあった。
だけど、60通もあったなんて。てか、従来は59通としていたものを最近の調査で60通目が発見されたことを踏まえて
この際、全てお見せしちゃいましょうという趣旨の展覧会。
60通もあるなんて、初めて知った。
でも、そのうち59通は祐筆が書いたもの。その祐筆が誰と誰だったのかも凄い。
今回は順路が示されて、最上階の4階から。
(エレベーターに乗らず階段を使ったら、エレベーターに先んじて入室できた)
メインの展示は3点。
まず、明智光秀の書状。天正10年6月9日付のもので、細川藤孝、忠興親子に宛てた自筆のもの。
つまり本能寺の変が起こった7日後に「自分に味方してね。自分には野心なく、騒ぎがおさまったら次世代に政権譲るから~」
でも、その前日?に既に羽柴秀吉との同盟は結ばれていたのだった~。それがわかる書状も3階にあった~
次は信長直筆の消息。側近の堀秀政による添え状つき。(本来なら祐筆に書かせるところを上様が直に書くと言ってしたためたものだからね)
内容は極めてシンプル。細川忠興に宛てたもので「よくやった」と褒めるもの。
そして、新発見のもの。
内容は、、、忘れたけど、チラシによれば藤孝に宛てたもの。
なぜ忘れたのかというと、新発見なのに表装された状態だったから。
最近に仕立てられたものではなく、おそらく江戸時代、かなり早い段階で掛物になっていたと思われる古さ。
ということは、茶席とかに掛けられて使われていたってこと。
なんで? そんなに人目についたものなのに。茶事で説明を請われて亭主はなんと応えたの?
それとも、信長からの手紙だと知らずに内容だけ解説してた?
と疑問の方が頭の中を覆ってしまったから。
他にも荒木村重の謀反をめぐる内容、足利義昭に関する内容、あとは戦の指示。
その細かさもだけど、やはり60通というボリュームがね。(展示替えで全部拝見できたわけじゃないけど)
おそらく、細川家の60通を軽く超える手紙を明智光秀や羽柴秀吉は受け取っていたのだろう。
だけど、滅んでしまったから残らなかった。
本能寺の変がなかったら、どれだけの手紙が残ったかと思ったら、改めて残念な気がした。
もっとも、あれがなかったら日本史は大きく変わっていたのかもしれないけれど。
永青文庫、私にとってはもう行き納めかなぁ。
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