Akatsuki庵

後活(アトカツ)中!

信長の手紙

2024年11月28日 06時44分40秒 | 茶道具以外の展覧会

『信長の手紙 珠玉の60通』 永青文庫 ※12月1日(日)まで

永青文庫コレクションが織田信長の手紙を所蔵していることはよく知られていて、
過去にも手紙の展示を観たことはあった。

だけど、60通もあったなんて。てか、従来は59通としていたものを最近の調査で60通目が発見されたことを踏まえて
この際、全てお見せしちゃいましょうという趣旨の展覧会。

60通もあるなんて、初めて知った。
でも、そのうち59通は祐筆が書いたもの。その祐筆が誰と誰だったのかも凄い。

今回は順路が示されて、最上階の4階から。
(エレベーターに乗らず階段を使ったら、エレベーターに先んじて入室できた)

メインの展示は3点。

まず、明智光秀の書状。天正10年6月9日付のもので、細川藤孝、忠興親子に宛てた自筆のもの。
つまり本能寺の変が起こった7日後に「自分に味方してね。自分には野心なく、騒ぎがおさまったら次世代に政権譲るから~」
でも、その前日?に既に羽柴秀吉との同盟は結ばれていたのだった~。それがわかる書状も3階にあった~

次は信長直筆の消息。側近の堀秀政による添え状つき。(本来なら祐筆に書かせるところを上様が直に書くと言ってしたためたものだからね)
内容は極めてシンプル。細川忠興に宛てたもので「よくやった」と褒めるもの。

そして、新発見のもの。
内容は、、、忘れたけど、チラシによれば藤孝に宛てたもの。
なぜ忘れたのかというと、新発見なのに表装された状態だったから。
最近に仕立てられたものではなく、おそらく江戸時代、かなり早い段階で掛物になっていたと思われる古さ。
ということは、茶席とかに掛けられて使われていたってこと。
なんで? そんなに人目についたものなのに。茶事で説明を請われて亭主はなんと応えたの?
それとも、信長からの手紙だと知らずに内容だけ解説してた?

と疑問の方が頭の中を覆ってしまったから。

他にも荒木村重の謀反をめぐる内容、足利義昭に関する内容、あとは戦の指示。
その細かさもだけど、やはり60通というボリュームがね。(展示替えで全部拝見できたわけじゃないけど)

おそらく、細川家の60通を軽く超える手紙を明智光秀や羽柴秀吉は受け取っていたのだろう。
だけど、滅んでしまったから残らなかった。
本能寺の変がなかったら、どれだけの手紙が残ったかと思ったら、改めて残念な気がした。

もっとも、あれがなかったら日本史は大きく変わっていたのかもしれないけれど。

 永青文庫、私にとってはもう行き納めかなぁ。

★永青文庫のバックナンバーリストはこちら

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土曜日は美術館or博物館

2024年09月22日 15時29分16秒 | 茶道具以外の展覧会

最近の週末の過ごし方がパターン化している。

土曜日の午前中から昼過ぎにかけては「行きたいところに、なるべく1か所に絞って出かける」。
なるべく自宅で昼食が摂れるように努力する。
えてして外出先で時間超過した挙句、帰り道に空腹になって外ランチしてしまうことが多いけど。(*_*;

日曜日の午前中は自宅周辺で食糧の買い出し。
午後から夕方にかけて1週間分のお弁当おかずと夕食の作り置き。台所に籠る。

三連休の時は月曜日がちょっと自由時間? でも、遠くには行かないなぁ。
日曜日にやることを月曜日に分散する。(とくに料理)
余った時間は自宅でゴロゴロ~。

あんまり褒められた過ごし方ではないけどね。

で、今月もパターンにハマってる。

なので、毎週金曜日になると仕事しながらそわそわと悩む。
「明日、どこに行こうかなぁ」

行きたいところは幾つもあるけど、行くのは1か所だけだから。

9月の第1週目は迷った挙句に山種美術館にした。サイト

 9月とは思えないくらいに暑かったから。
東山魁夷の絵も視たいけど、日本の夏を感じておこうかと。

品川駅から歩いて行った。
帰りは三田に出て食料品の買い出しを一部して、高輪ゲートウェイ駅まで行ったら
あまりの暑さにふらふらに。

スタバがあるのに気づいて思わず、入っちゃった。

さつまいものフラペチーノ。これが昼食になってしまった。

2週目は金沢文庫。

 

帰りに寄ったカフェが数日後のテレ朝の朝のニュース番組のお天気コーナーで紹介されたよ。

3週目は出光美術館。サイト

 

建替えの影響で今年末から休館しちゃうので。
30年近く通った空間ともお別れかぁ。リニューアルオープンしてもだぶん来られないなぁ。

ということと、伴大納言絵詞が公開されてたから。なかなか拝見する機会に恵まれなかったので、
最後にじっくり見ておこうということで。

来週はどこへ行こうかな。

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歌川広重展

2024年08月08日 06時16分29秒 | 茶道具以外の展覧会

あべのハルカス美術館開館10周年記念『広重―摺の極(すりのきわみ)―』 ※9月1日(日)まで サイト

前回、あべのハルカス美術館を訪れたのはもう7年前のこと。→こちら

北斎展でしたねぇ。
奇しくも(?)同じ時代を生きた歌川広重の浮世絵を無性に観たくなって前売り券をネット購入した。
この春、広重のドラマを視て今回の展覧会を知った。

活躍した時期が重なっていることが象徴するように、広重もベロ藍を好んで使った。
「広重ブルー」というらしい。
そして、その藍色は主に空の色を表現に使われたのかなぁ。
もちろん海の色にも。

モトは旗本で火消しの役を担っていたから、物見櫓に登って江戸の街を眺めることが多かったから、
描く風景画の構図も俯瞰的な視点が生かされている、とか。
東海道五十三次の作品群も御役目の道中に同行する機会があったから~とかと
正直なところ、ドラマを視て初めてのその人生を知ることになった。

東海道は年に何度も往復しているし、元宿場だった街も馴染み深い場所が多いことから
機会があれば鑑賞するようにしている。

へぇ~。そういう背景があるのか。
ふだん気が付かないけど、そういえば青色が心地よく美しいわ~

と、これまで何気なく見ていたことを反省しつつ、でもやっぱり純粋に鑑賞していた。

人物を描く視点もユーモアがあって優しいなぁ。
とにかく点数が多くて。
それだけでもうお腹いっぱい。
特別に印象に残った~というものがなく、クリアファイルは買わなかった。(^^;

]

広重作品はこれから先も折に触れて鑑賞することがあると思う。
今までは違う視点で鑑賞できそうなのがウレシイ。

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陰陽師とは何か

2023年12月11日 23時01分34秒 | 茶道具以外の展覧会

会期が終わった展覧会の話。

昨日、久しぶりに歴博(国立歴史民俗博物館)へ行ってきた。
企画展の『陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-』※サイトを見たくて。
(何分、佐倉は遠いし電車賃もかかるので青春18きっぷが利用できる期間とギリギリ1日だけ被るからと最終日に駆け込み)

今年の初めに安倍晴明に関わるものTV番組を視たのをキッカケに興味をもった。
てか、気になる「あるもの」があって、今回の展示の中にもあったりして~
(結果、あった)

最初は占いに始まり、平安時代は呪文を唱えてまじないをかけ悪霊退散~的なことを行い、やがて天文観測して暦を作り~
そして明治という近代の到来とともにお役御免になった。

不思議な存在だなと思いつつ、図録を購入。
じっくり読んで、お勉強をしよう。

ところで、歴博!

前回はJRの駅からバスに乗ったし、帰りは京成を利用したので、立地について全く気がつかなかった。

今回は一人で出かけたのでJR佐倉駅から徒歩。
歩いて驚いた。

城跡に建っていたなんて!

佐倉城は幕末の老中・堀田正睦も居城していた~


最近、お城番組でやたら出てくる空堀。
ちゃんとしたの、初めて見たよ。

城跡公園を抜けて歴博へ向かったのだが、道が迷路に思えてきて「ちゃんと着けるのか」と不安に。
迷いかけたけど、漸く建物が見えた!と思ったら~

 馬出しの堀に阻まれる!

グルっと回って漸く辿り着いた。

廃城以降、埋められていた馬出しの空堀を最近、わざわざ掘り起こしたと解説文に書いてあった。
(紛らわしいことを!)

 やっと到着~

入館したと思ったら、企画展示の会場に辿り着くまでにまた迷う~

 やっと辿り着いた~

企画展示を見るだけでも1時間強かかった。

同じ地階に第6展示室があり、そこが「現代」でついでに見たら、めちゃ面白かった~
この調子で第1展示室から見たら更に時間がかかりそう~と思い、今回はパス。
次の青春18きっぷ期間に面白そうな展示があれば再訪してみよっと。

 

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関東大震災から100年

2023年08月31日 06時14分55秒 | 茶道具以外の展覧会

今年は関東大震災からの発生からちょうど100年となる。
80年の時は特に何か振り返る企画ものを観た記憶はないのだけど、
10年前の90年の時は東日本大震災が発生した後(2年後)だったこともあり、
新聞の特集記事を読んだり、当時を振り返る写真展も観に行ったっけ。

1世紀経つとさすがに当時を語る生き証人はもういないなぁ。

汐留シオサイト地下の歩道コンコースで報道写真展「関東大震災100年-写真に刻まれた記憶-」というのが開催中である。→こちら
通りがかりついでに見た。

被災直後のモノクロ写真も迫力だけど、100年後の現在との定点比較、震災後の暮らしぶりなど
生活を一変させてしまう大地震のこわさと供に「それでも生活は続くのだ」というシビアな現実をつきつけられた感じがした。

パンデミックもだけど、何があっても、どうにか生き抜く強さを持っていたい。

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葛飾北斎と3つの信濃

2023年08月19日 07時05分56秒 | 茶道具以外の展覧会

『葛飾北斎と3つの信濃 ―小布施・諏訪・松本―』 長野県立美術館 ※8月27日(日)まで

仕事絡みでこの展覧会のことを知り、俄然行きたくなった。

 小布施の岩松院の天井画・鳳凰図の下絵。
壁いっぱいに。それでも、本図よりは小さいのだと思うけど、首が痛くまでなるまで見上げる必要ないし、細部も見えてうれしい。

でも、やっぱり本図は一度は見るべきよねぇ。(てか、また観に行きたい) 小布施を訪れた2年前の夏が懐かしい。→こちら

 2階から見下ろせる。

 祭台も小布施から出張していた。

富嶽三十六景(36枚以上あるけど)は何度観ても、印象に残るものと残らないものがあって、覚えきれない。
でも、よいのよねぇ。富士山があるだけで、なんとなく懐かしさと歴史は移っても不変の良さが感じられる。

ちなみに、晩年~70代くらい~に名古屋行く途中に中山道を通って諏訪湖を眺めた形跡が最近の研究でわかったのだとか。
なので、諏訪湖畔から臨む富士山は実際に目にした風景を基に描かれたようで。

ちょうど中山道の下諏訪宿に泊まっていたので、嬉しかった~

松本との関りは当人では弟子に松本出身者がいて、のちに松本に戻って浮世絵を描いて活躍したらしい。
(だから松本には浮世絵美術館ができるほど広まった?)

久しぶりに北斎ワールドを堪能できた。

そして、長野県立美術館といえば東山魁夷館!

 一昨年は諦めたけど、やっと念願が叶った。

白い馬シリーズも堪能できたしね。満足。

 中庭?を眺めながら、しばし涼んだ。

わざわざ訪れた価値あった!

 つい、クリアファイルを2枚買っちゃった~

どうやって行ったかはまた別の機会に書きマス。

旅アーカイブに戻る

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司馬遼太郎記念館

2023年01月23日 06時18分23秒 | 茶道具以外の展覧会

以前から行きたいナと思いつつ、なかなか機会がなかったのが東大阪市の司馬遼太郎記念館

司馬さんがまだ現役で活躍していらっしゃった頃から東大阪市在住だということは知っていた。
だから、奈良へ行くとき、阪奈道路や近鉄で大阪市中心部から東へ真っ直ぐ進行する際には「どの辺りかなぁ」と思っていた。

司馬さんが亡くなったのは阪神大震災の翌年の2月。
上京して間もない頃で新聞紙面で訃報を知ったかと。
たしか急だったし、てか記憶が定かじゃないんだけど、たしか週刊朝日の『街道をゆく』も続いていたんじゃなかったかなぁ。

皮肉なことに亡くなったことによって、ご自宅の隣接地に記念館が建てられて、「司馬さんってあの辺りに住んでいたのねぇ」。
が、近鉄線の普通しか停まらない駅だったし、その時は関東暮らしで東大阪どころか奈良にもご無沙汰していて。

そもそも司馬作品からも遠ざかっていたので、すっかり忘れてしまっていた次第。(^^;

2004年に茶道の関係で『坂の上の雲』を全巻読破し、2019年5月に松山の坂の上の雲ミュージアムを訪れ、
昨年は高田屋嘉兵衛顕彰館を訪れた。

で、思い出した。「そういえば、東大阪をまだ訪れていなかった」と。
実は思い出した決定的な理由もあるんだけど、それは内緒。

そういうわけで、半月ほど前に所用で大阪へ行った際に訪れた。

近鉄線じゃなくJRおおさか東線で最寄りまで行って、そこからてくてく歩いた。

住宅街の中から素敵な建物の前に出て、びっくりした。


裏側ということでぐるっと回って表に出た。そこかがご自宅。

庭を通り抜けて記念館へ。

 

司馬さんの書斎の前を通った。

生前、記念館の敷地はどういう状態だったんだろう。(雑木林だった?)
奥に記念碑も。

菜の花もあちこちに植えられていたんだけど、まだ花が咲くには早いようで。

記念館へ。

 

安藤忠雄氏の設計による円形の建物。(たしか坂の上の雲ミュージアムも安藤忠雄氏だったっけ?)

記念館内部は撮影禁止。
地階から2階へ、壁面の端から端までの書棚は本でいっぱい。
圧倒された。

その一部は司馬作品だけど、半分以上は司馬さんが資料として集めたもの。
たぶん、それが全部じゃないと思う。一部なんだろうけど、とにかく膨大な量で。

すごーい。

紹介映像も2本視て、カフェでリンゴジュースも飲んでと2時間近く滞在。

ちなみに今年は司馬さん生誕100年とのこと。

昭和の、戦後の高度成長期から平成の始めまで活躍した作家(小説家)はたくさんいるけれど、
司馬さんは別格なような気がする。

亡くなってから27年経つなのに、書店にちゃんと並んでいるし、コンスタントに読者はいるし、
今でもドラマ化も映画化もよくされる。

そのせいか、館内わりと盛況で。
作品はまだちゃん“現役”なのだ。

週刊朝日でもまだ「司馬遼太郎の〇〇」で連載がされていて、それも貯まれば年一ペースでムックとして出版されている。
週刊朝日で連載が今も続いている影響もあって、「埋もれない」作家と作品なのだろうなぁ。

と思っていたら、先週ビックリするニュースが飛び込んできた。
なんと、あの週刊朝日が今年の5月末で休刊するんだって!

いやー。驚いた。

司馬さんの連載が読めなくなっちゃったら、時の流れに埋没していくのかなぁ。

 

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星野道夫 悠久の時を旅する

2022年12月30日 10時46分06秒 | 茶道具以外の展覧会

『星野道夫 悠久の時を旅する』 東京都写真美術館 サイト
 ※1月22日(日)まで 年始は1/2から

久しぶりに星野道夫さんの写真展を訪れた。

80年代から90年代前半の、感受性や好奇心が旺盛で世界へ向ける目が開かれる年頃を
彼が撮ったアザラシの赤ちゃんやシロクマの親子たちの写真を眺めて過ごした。

こんな世界があるんだ。極寒の自然って、なんて豊かで雄大なんだろう。

だから、上京して間もない夏の終わりに新聞記事で突然の、不慮の事故で命を落としたことを知った時はショックだったなぁ。

なんで、クマに襲われなきゃならないの? クマのバカっ!

それからしばらくして開催された写真展で買った図録は今も時々眺めている。

だから、懐かしい思いで足を運んだ。

最初に入り口で10分に及ぶスライド映像を視聴。
大画面で改めて美しい風景で、アラスカで暮らす人々の息遣いが聞こえるような写真だと思った。

同時に以前は気にもとめてこなかった彼の軌跡、どういうキッカケでアラスカに辿り着いたにも注目。

大学生の頃にアラスカで滞在させてほしいと書いた手紙と「いらっしゃい。仕事もあります」という返事の往復書簡も展示されていて、感動。

キツネに盗まれて追いかけて、どうにか取り返したという一眼レフカメラと経緯を綴った原稿もあった。
本当に、なんでキツネさんはあんな重いものを持って行っちゃったのかなぁ。
食べ物じゃないのに。

写真は見たことがあるものも、ないものも。
いずれにしても感動があり、ゆっくりゆっくり、その世界へ浸った。

最後にパラノマカメラ(←こういうカメラ、初めて見た!)とそこに入ってたフィルムを現像した8枚ほどの写真。
今年発見されたカメラ。そこに入っていたフィルムだから当然のことながら未発表。

フィルムが劣化しているからねぇ。素人目にはちょっと何が写っているのかわからない。

最初に映像を視た時に思った。
「フィルムをデジタルで読み込んでいるから、こんなに透明性が高い美しさがあるのなかなぁ。
最初からデジタルカメラで撮影しのたらどんな感じになるのかなぁ」

星野道夫がデジタルカメラでアラスカを撮影したら、どんな風景が撮れただろうか。

そして彼が亡くなってから四半世紀ちょっとの間に地球温暖化はすすみ、たぶんアラスカの環境も大きく変わったはずだ。
その変わりゆくアラスカの風景や動物たちの姿を、星野道夫はどう撮っただろうか。
彼にしか撮れない地球温暖化がすすむアラスカの写真があったはずだ。

観たかった。

改めて惜しい人を世界は失くしたなぁと残念に思う。

ほんとに、カムチャッカのクマのバカっ!

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東京で等伯・久蔵親子の作品を鑑賞

2022年12月24日 08時59分23秒 | 茶道具以外の展覧会

『京都・智積院の名宝』 サントリー美術館 ※1月22日(日)まで

 先週末に訪れた。

名残の紅葉?とでもいうのだろうか。
ミッドタウン東京前の木々は目に染みるような紅葉が美しかった。

智積院は東山七条にある「総本山」と名の付く大きな寺院~という印象。
なんせ、三十三間堂の隣、というか京博のはす向かいにあるので、近くには結構行く。

長谷川等伯とその息子・久蔵の襖絵を鑑賞しに何度か訪問した。
若い頃は会館で精進料理を食べたなぁ。(上司のおごりで)

という印象しかない。
宗派なんて気にしたことさえなかった。

そっか。
真言宗なんだ。だから曼荼羅あるんだ。だから空海なんだ~。
と、今更ながら「へぇ~」と思った。

真言宗、空海。
年のはじめに訪れた高野山を訪れてじっくり見たこともあり、密教関係の展示も少し理解できた。

でも、やはり智積院といったら等伯・久蔵を中心とする長谷川派による襖絵。
直前に紅葉を目にしたこともあり、等伯の楓図屏風に注目してします。

だけど、「こんなに色褪せてたっけ?」
久蔵の桜図もだけど、智積院の収蔵庫で何度も見たし、その後で本堂で色鮮やかさな復元品を目にすることから、
私の脳裏の映像は金箔の上に真っ赤に描かれた襖絵だったりするわけで。

仕方ないので目の前の本物の屏風に記憶を重ねて(描かれた400年前の)屏風を想像しながら向き合った。

そして、その後にやたら現代的な(?)襖絵にびっくり。
堂本印象の婦人喫茶図。
日本庭園に出て、テーブルで盆略の野点を楽しむ女性が2人。

なんかいいなぁ。

展覧会全体としてはバランスがちぐはぐではあったけど、のんびり鑑賞するにはとてもいい展覧会だった。

※サントリー美術館のバックナンバーリストはこちら

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第74回正倉院展

2022年11月14日 08時08分13秒 | 茶道具以外の展覧会

令和元年の2019年以来、3年ぶりに訪れた。

新型コロナ感染拡大の影響で事前予約の日時指定入場制ということで、開館1時間前に着いたら列はな~い。

 もちろん、9時~のチケットは持っている。

いつもは朝の冷え込みに耐えながらの行列待ちだけど、今年は暖かい。
少し遅れて並び始めた女性も同世代っぽくて、自然と世間話に花が咲く。(同じように遠方からわざわざやって来られたとのこと)

2年前も来場されたとのこと。状況を反映してか、香木や薬の展示が多かったそうで。
(行く気はなかったものの、展示リストだけは閲覧して「地味なラインナップだなぁ」と思った記憶があるけど、そういうことだったのか。
いつも違うのと、聖武天皇の時代にも天然痘など疫病は流行していたこともあり、正倉院のコレクションは充実していたようで見応えがあったそうな。

そんなお話が聞けたのは、とてもラッキーなことだった。

そして、開館と同時に「では」と解散。

事前にNHKのEテレ『日曜美術館』を視聴していたので、まず臈纈染(ろうけつぞめ)の屏風をじっくり見上げた。
背面がレリーフみたいな鳥獣花背円鏡。テレビの繊細高画質な映像のように肉眼は細かい彫刻をとらえることができない。

大きな銀壺。こちら遊牧民を描いた文様はどうにか見えた。

NHKではさほど取り上げらなかった漆背金銀平脱八角鏡。(事前のチラシはこれだったから目玉はこれ!)
やはり美して、目を引いた。

ほかで印象に残ったのは布!かなぁ。

雅楽や舞を演じた楽人たちが身に着けたとされる衣装はボロボロだったし、
悲しいまでに時を経て朽ちるように切れ端をやっと遺すほどになっている裂地も多い中で
最後に展示されていた錦繍綾絁等雑帳は「本当に1300年間も経っているの?」とびっくりするぐらいに良い状態で。

おもわずクリアファイルを買ってしまった。

鑑賞の後は庭を眺めながら抹茶を一服。

 500円から700円に値上げ。正倉院展も1,000円→2,000円だけどね。

そして、今回は10時から庭園も公開されていた!

 

小堀遠州、いや片桐石州だっけ?の八窓庵を見学。

 窓の数を何度も数えたけど、7つなんだよなぁ。(後で資料を見返そう)

東向商店街の「おかい」で今年の蚊帳ふきんも買えたし。満足。

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3年ぶりの正倉院展

2022年11月11日 22時25分36秒 | 茶道具以外の展覧会

たぶん、2019年(令和元年)以来、3年ぶりに正倉院展を訪れた。

完全予約制になって、事前にネットでチケット購入。

何気に値段が倍! 2000円だよ。

トーハクをはじめ、美術館博物館はどこもかしこも事前予約制、時間指定制、そして事前決済が主流になりつつある。

便利になった、その影でコストは客側にらふりかかってる。

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旧新橋停車場

2022年10月29日 10時07分49秒 | 茶道具以外の展覧会

鉄道開業150周年のイベントなどがいっぱい開催された今年の10月。

結局、旅には出なかったけれど、テレビを視たり鉄道関連の身近な施設へ寄り道したりと私なりの過ごし方をした。

旧新橋停車場を再現された鉄道歴史展示室

ワケあって、最近よく前を通るようになった。
(てか、今更ながら最初の開業区間をよく利用するようになった)

あれ? 以前はレストランだったような?
だから中に入れなかった。いつの間に見学施設になったのだろう?

と思いつつ、無料の企画展をやっていたので平日の昼間に訪れた。

開業当初の写真や錦絵とか、多くの期待と話題の中で鉄道が走りだしたことがよくわかる。

旧停車場前の昭和通りの不自然なカーブはここが川か運河だったからなのねぇ。
へぇ~。

自分は積み重なった歴史の上で暮らしているんだと思うと、なんか嬉しい。
思えば、上京したての頃もこのカーブの道を通って通勤していた。
その頃、汐留エリアはバリケードに囲まれた広大な空き地。

「汐留貨物駅」が役目を終えて跡地として再開発を待っている状態の頃。
バリケードの隙間から見える廃墟の空間にビックリしたなぁ。
日々、忙しく行き来しているうちに廃墟はいつのまにかカッコいい高層ビルが立ち並ぶ街へと変貌していった。
この変化こそが都会というものかぁ。とも思ったっけ。

旧停車場は関東大震災で焼失してしまって、正確な位置さえもわからなくなっていたところを再開発に先立って発掘調査が行われて遺構が発見されたらしい。

出土品として展示されていたものの中には崎陽軒の名称入りの土瓶も!
そんな昔から駅弁を販売していたのね。
(最初の開業区間の終点だしなぁ)

と思いつつ、久しぶりに崎陽軒の駅弁を買って食べてみたり。

ま、今の東海道線で電車に乗りながら駅弁食べるなんてグリーン車にでも乗らないと無理だけどねー。

今年はできなかったけど、来年再来年の151年めか152年めの秋は鉄道の旅を楽しめるといいな。

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運慶展

2022年10月21日 18時06分00秒 | 茶道具以外の展覧会

特別展『運慶 鎌倉幕府と三浦一族』 神奈川県立金沢文庫 サイト
※11月27日(日)まで

夏に訪れた横須賀美術館での運慶展との共同開催。

展覧会名は同じでも巡回展ではないと聞いていたし、金沢文庫は史料収集が主体なので、史料の切り口からとも耳にしていたので、
そのつもりで観に行った。

でも、仏像も多かった。

横須賀でみた十二神将像も来ていたし、
運慶作の不動明王立像と毘沙門天立像(ともに浄楽寺蔵)も。

お不動さんはポスターやチラシにもなってからね。
展覧会の名称ながら実際の運慶作と判明している作品って、実は少ないそうで。

その貴重な中から、今回は3点も展示されているとのこと。

その中の不動明王立像だからねぇ。
「これ、横須賀でも観てるはずだけど。。。」
なんか違和感。

ぐるっとい一周して、また戻って確かめ見をして。
展示解説を聴きに行って、終わってからまた展示室に戻って見直して。

じっくり見たけど、なんだろうこの違和感。

帰宅してわかった。
たぶん、横須賀で見た時は後ろに光背(こうはい)があったから。
金沢文庫ではなかった。(おかげで後ろから背中もよく見えた)
へぇ~。着脱可能なんだね。

大威徳明王像とその内部から出てきた文書。
伎楽面も運慶作かぁ。

なんか、横須賀で観て読んだ解説をきれいさっぱり忘れていることに気づく。

ま、いっか。

展示解説も聴いてわかったことは運慶のキャリア。

奈良で有名な仏師だから招かれたのではなく、
鎌倉へ下って、鎌倉幕府の関係者(将軍家や北条氏、三浦一族に和田一族)から
依頼を受けて仏像制作に励んで10年くらい?キャリアを積んで奈良に戻り、
鎌倉幕府のお墨付きを得て東大寺や興福寺再興の仏像を手掛けていって全国区のブランドになっていく~

キャリア形成のための足掛かりだったということ。

また、伊豆の北条氏が収めていた辺りが平頼盛や池禅尼と関係があり、
また運慶は池禅尼か平頼盛とのつながりもあって、北条氏の願成就院で仏像製作をすることに~

と近年の研究成果で出てきた説も紹介されて「へぇ~」。

遺された史料から読み解かれる諸説も興味深いけど、
なまじドラマとか視ているので、そういう人間関係やつながりも興味深い。

久しぶりに鎌倉へ行きたくなった。

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大勾玉展

2022年10月11日 21時37分15秒 | 茶道具以外の展覧会

特別展『大勾玉展』 大田区立郷土博物館 ※10月16日(日)まで

若い頃から装飾品を身に着けることが苦手だった。
どういうわけか、アクセサリーにほとんど興味がない。
茶道を嗜むようになって、「装飾品はNG」のお約束というかマナーということもあり、さらに身に着けることがなくなった。

が、例外が一つ。
それが勾玉だ。

随分前に地方の某博物館のショップで300円で買った勾玉ペンダントと
某神社で買った小さな勾玉(お守り袋と別々に売っていて、それぞれ買って袋に入れて完成という趣向)も
孔に皮紐を通してネックレスとして身に着けることがたまーにある。

なんとなく、だけど勾玉は好きみたい。

なので、今回の展覧会もたまたま新聞記事を読んで、行ってみた。

大きいの、小さいの、形も、素材も、そして出土した地域も異なる様々な勾玉が1,500点!
時代の変遷とともに並ぶ。

オタマジャクシのような形だけじゃなかったのねぇとそこにビックリ。

素材も翡翠(ひすい)だけじゃなく、滑石やら瑪瑙(めのう)、推奨、碧玉(へきぎょく)のみならず土製まで!
牙性まであった。(マンモスとか象の牙ではなく、犬の牙らしい)

勾玉って、奥深い。

もちろん、大陸から伝わったものらしいけど、大陸の勾玉って見たことないから、なんか日本的なものみたいに感じていた。
(たぶん、日本国内で独自の進化を遂げたのかな~って気はずる)

難しいことは考えず、ただただ「ほ~」「へぇ~」と感心しながら鑑賞した。

会場は入場制限がかかっていて、入場まで約20分ほどかかるほどの盛況ぶり。
勾玉に興味持っている人って、意外と多いのねぇ。

入場料200円、勾玉カードつきはお得だなぁと思いながら堪能した。

大田区立郷土博物館を訪れたのは初めて。
意外に行きやすく(?) それでも蒲田から徒歩でてくてく江戸時代からあるらしい由緒ある坂道を登って行った。

帰りに蒲田の銭湯に寄って帰った。(←タオルは持参した)

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なにこれ? いや、「なにコレ」美をつくし

2022年10月01日 23時08分06秒 | 茶道具以外の展覧会

『美をつくし 大阪市立美術館コレクション』 ※サントリー美術館 11月13日(日)まで

サントリー美術館のメンバーズカードを持っているので、「モトはとらねばっ」と展示が変わるたびに2回訪れている。
前回の「歌枕」は感想をブログに書き損ねたが、2回観に行って両方とも同行者(前後期それぞれ別の友人)つきだった。
(館内では合流したり別れたりとそれぞれのペースだけど、ザクっと和歌の世界を楽しんだ。
ただ、感想をまとめるほどの集中力はでない。その後、一緒にご飯を食べお茶しながらお喋りしちゃうと、もう忘れちゃう。

ま、茶道具メインの展覧会ならともかく、茶道具以外の展覧会はわりと努めて気楽に鑑賞するように心がけている。
そうしないと疲れてしまうから。

今回はひとりで訪れた。
そして、今回の出し物が何かも把握せずに行った。

会場に着いてポスターを眺めても「?」。
正直、「なにコレ」の文字しか頭に入ってこない。(たぶん、週末で頭の疲れがMAXになっていた)

展示室に入って初めて大阪市立美術館のコレクション展だと知った。

大阪市立美術館って、たしか天王寺駅から下りて動物園がある公園の中にあったような。
すごーい昔に土曜日の会社帰り(たしか午後3時くらいに引けた)に招待券もらって何かの展覧会を一人で観に行ったなぁ。

その一度だけだ。京博の本館のような石造というかコンクリート造りの古い建物だった。
(今ならそれが大大阪を象徴する大正or戦前の昭和期の建築だとわかるけど)

入ってすぐ対面したのが遺跡から発掘された飛鳥時代の金剛仏。
奈良時代の脱活乾漆の仏像の頭だけ。

一気に「何これ? おもしろーい」

大阪市立東洋陶磁美術館も寄贈された安宅コレクションが主な収蔵品だけど、
同じ大阪市立である美術館も社会的な地位と経済力のある方々が収集したコレクションが寄贈され、
そういったケースが幾つかあって、美術館として結集したようだ。

中には日本で長年暮らし日本文化に造詣の深かった外国人実業家のコレクターもいらっしゃって、
昭和10年代の大阪においてコレクションを母国に移そうと梱包して神戸港で待機しているうちに開戦になっちゃって
避難の意味で大阪市に預けておいたら、結局ご本人が亡くなったかしてご遺族がそのまま寄贈したという事例もあった。

時代の妙とはいえ、海外流出されなくてよかった。

そんな個性のあるコレクションの形成ともに、仏像、昔の日本画や着物など工芸品、明治大正期の近代日本画、根付などを楽しんだ。

面白かったのが尾形光琳。
光琳の息子が養子に入った小西家に光琳の作品やら消息が伝わって、一時は行方不明になったらしいけど明治以降?に収集した方がいて
そこから寄贈されたというもの。

弟の乾山が「もう借金するのはいい加減にしてくれ。迷惑だよ」と苦情を吐露した手紙が展示されていて面白かった。
(兄の浪費に苦労したということは知っていたけど、生々しすぎる手紙)

ほか、等伯の鳥梟図。
平安時代の貴族の御姫様が男装して出仕して帝と恋に落ちる絵巻物。(墨一色で漫画ちっく?)

やはり平安時代らしき怪奇系の絵巻物は貴族の館に棲むお化けがたくさん描かれていて
「俺たちの方が前から住んでいる」と先住権を主張している場面。
(その後で結局退散させられる羽目になる)

江戸時代だけど、百鬼夜行絵巻もおもしろすぎてミュージアムショップでミニクリアファイルがあったので買っちゃった。

近代絵画も橋本関雪の「唐犬」と児玉希望の「枯野」(大阪市立美術館開館の昭和11年作)、
上村松園の「晩秋」と目の肥やしになる作品がうれしい。

そして、ユニークな根付の数々。

気が付けば、展覧会を堪能して出口に至った。

会期は6週間。
後期に散歩がてら再訪してみよっかな。

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コメント (2)
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