南無大師遍照金剛
これは、滝行を生まれてはじめてした際に、唱えなさいといわれました。南無大師は、偉大なる空海様の意味だと言われました。その時、南無八大龍王も同時に言われるがまま唱えました。
この時は、私のメンタルを滝にでも打たれて洗い流したい時でした。
メンタルが滝に流されるはずはなく、寒かったです。経験のひとつとして良いとは思いますが、危険もありますから、ひとりは禁物です。
ところで、滝行の際唱えた南無大師遍照金剛ですが、
南無というのは、偉大なる。
ナムは、ナン、難、とか、ヌン、にも音の響きがにています。ヌンは、エジプトの神様で、エジプトの始まりの神でした。
捉えることは難しい全ての根源始まりの神。
宇宙の真っ暗な中で、鏡もなく、でも存在している意識はあり、自分を見てみたいと思っているけど、それすらも解らない、あるとも無いともいえる超意識のような存在が、南無かなぁと思います。
最初の神。これは、手塚治虫さんの火の鳥、未来編に重なります。この未来編は泣けます。感動です。

火の鳥みたい(お伊勢参り途中にて)
地球に生命を待ち続け、何億年の孤独をへての諦観。たったひとり宇宙の中、孤独の中、話し相手を渇望しても、それは儚く消えてしまう。そして、自然に全てを委ね、悠久の時を経て縄文人のような姿の人の誕生に嗚咽するマサト。泣けます。。。

火の鳥 未来編
話しを戻します。
大師は、弘法大師様、空海です。
遍照は、遍く照らすわけですから、天照大神様のようなイメージです。
金剛は、金は堅いし剛も固いから、迷いがない、壊されないということですね。
真言宗の祖、空海は、本当の自分を確かめるため、親の反対にあっても自分革命に精進されて、天才的な素養も重なり、迷わない神=光へ到達され、自分だけでなく周りまで遍く照らした御方だと思いました。
多分ですが、光に出会う方はいつの世もいるんだと思います。自己完結せず、その光を得たなら、周りを照らすことが、神様への恩返しかもですね。
どんな場所でも、家庭でも、職場でも、学校でも出来る事を精一杯することが恩返し。凄い事をする必要はなく、自分の出来る範囲でする。
また、南無八大龍王は、偉大なる、八大龍王様の意味です。

龍みたい
この地球を何億年もかけて練り固めてくださり、時に火を使い火山活動をなし山を創り、時に、火を水で制し、火と水を和し、水の恵を与え続ける目には見えない龍王様が働いておられるということ、大地や水、全ての自然の恵みへの感謝だと思いました。
南無大師遍照金剛
南無八大龍王
お大師様へ感謝。
八大龍王様へ感謝。




