悪口を言わない。
これは頭ではわかっていますが自分を含め、悪口噂話を今までの人生でひとつも言わなかった人は少ないかもです。
反省をこめて、何故悪口噂話がイケナイのか?考えてみました。
私には、悪口は、波のない静かな水に小さい石をポンと投げるイメージがあります。
はじめは、小さな石なのですが広がるんです。周りもポンポン石を投げ始め、水面は揺れに揺れ真実も歪み何も映らなくなる。地震が震源から発生し、壮大な範囲にダメージが広まるイメージも近いです。人が死ぬ事さえある。
悪口を聞いた場合、聞いた方は、白いカミにペンキを塗り付けられたように、心の眼で、言われた方を見ることが出来にくくなります。
もしや、あの人そんな悪い人だったんだと巧妙な話に便乗する人もいるかも。
その人がまた、噂を流す。
悪口を言った方が、力関係で強かったり、人気者なら、長い物に巻かれよで、聞いた方もだんだんとよそよそしく言われた方に態度を変えてしまいます。
これが、虐めの始まりです。
ある時みんなが自分から引き潮の如くさる経験をした人がいるかもしれません。関わりの無い人も、話したことの無い人も急に挨拶さえしなくなる。
そんな環境にもし貴方が置かれたらどうでしょう?
子供なら学校いきたくない。行けない。
大人なら職場に行きたくない。行けない。
私なら
そうなったら、逃げます。逃げて合う場所を探す。その場所しかないとか思わない。自分を守ります。
最初は、ひとつの小さな石ころからです。
人の口から出る悪口噂話は、この類の石です。
自分の心の波を自分で静めることもせず、他人に波及させる行為が悪口、噂話、静かな水面に石を投げ込む行為が、虐め、差別を生み出します。
石が光る玉ならを水面に投げ込むと水面をキラキラさせて沈みます。玉は良い言葉、笑いなど。
それも波のように広がります。
何も言わないは静かなまま。これが実は一番いいかも。自分で感じられるから。
人を褒めるのは、玉を投げる感じ。心がこもった玉は宝珠ですね。
悪口ではなく、ここは言わないと本人が後々困るなと思う事、親が子を諭す時なんかの言葉は、本人にさりげなく言うか、言わずに気づかせるような自分になることですね。これは、難しく反省ばかり。
悪口、噂話は、他人に言ってしまうと、虐めを生んだり広める張本人になる可能性があります。
ヒットラーのなげた石。そこから最悪な波がうまれました。しかし誰も同調しなければ石はただ水に沈むだけでした。同調意識も怖いです。
虐めは卑劣な行為です。
卑劣な行為を生む張本人にはならないし、それに同調するヒトにはならないとみんなが決めると、素敵な世界になりますね。