昨日の続きです
ひふみ神示 第23巻 海の巻 第十一帖のなかにある扶桑についてです。
扶桑は中国東方の日の出るところ、東方の果てにある海中の大樹のようです。巨木の生えている土地は扶桑国と呼ばれ、扶桑国は、中国においての日本の異称となりました。
その樹の高さは数千丈とも三百里とも言われ、そして、枝には九つの太陽が住むとされ、扶桑国が太陽信仰の聖地であるようです。
そこで、九つの太陽に纏わる話しで、中国古代の殷の人々が信じた十日神話を紹介します。
中国の五帝の一人に数えられる帝俊(しゅん)(黄帝)には、羲和(ぎわ)という妻がいて彼女は懐妊して太陽である子供を 10人産みます。
帝俊は、10名の子供に、甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊、(ぼ)己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、発(はつ)という名前をつけました。
10人の太陽は母の羲和の指導の元、六匹の龍が引っ張る車に乗って、順番に天空を移動して世界を照らすようになります。
実際に天空に輝くのは一つだけで、それ以外の9個は、扶桑という巨木に引っ掛けられ、自分の順番を待っていました。
しかし、同じ事を何万年も繰り返す間に 10人は飽きてしまいます。
そこで、10人一斉に天空に輝こうと言いだし、堯(ぎょう)帝の時代に天には10個の太陽が出現するようになりました。
10個の太陽が地上を四六時中照らすので大地は乾き、作物は全滅、地下からは魔物も出現して人間を喰い殺すという悲惨な状態が起きてしまいます。
堯帝は困ってしまい、天界にいる黄帝に何とかして下さいとお願いします。
黄帝は、自分の息子達がしでかした事でもあるので、責任を感じ、天界から弓の名手である羿(げい)を派遣します。
羿は最初、事態を穏便に治めようと10の太陽に対して、矢を向けて脅しますが、 10の太陽は生意気な性格だったのか、少しも動揺せず相変わらず天に輝き続けます。
羿は、やむをえないとばかりに、10の太陽に向けて矢を放ちます。太陽達は悲鳴をあげながら地上に落ちてきました。
みると、落ちた太陽は三本足の烏の姿をしていたそうです。
堯帝は、全ての太陽を落されては世界が暗黒になると心配し羿の矢倉から矢を一本抜いていたので、太陽は一個だけ天に残る事になります。
さらに羿は、堯帝の命令で、地下からわき出した魔物を矢で次々と射殺していきます。
それにより、地獄と化した世界は平和を取り戻したのです。
以上
八咫烏がでてきたり、扶桑の木が出ています。扶桑の木は、順番をまつ9つの太陽が引っ掛けられている木。
9つの太陽からは、九曜紋を思い浮かべます。大本教のマークでもあり、
ところで、妙見菩薩は、北辰尊星王、真武神ともよばれ、神社系妙見社では仏教系の妙見菩薩ではなく、天御中主命、国常立尊を主祭神ともされており、また、道教に由来する古代中国の思想では、北極星(北辰)は天帝(天皇大帝)と見なされます。 日本における天皇という称号の起源の有力な候補の一つと考えられているみたいですね。
仏教思想が流入してからは、「妙見菩薩」と称するようになったようです。「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということのようです。