大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

一生懸命

2021-08-26 00:24:00 | ひとりごと

一生懸命頑張って

それでも叶わない(伝わらない)ことはあります


一生懸命頑張って

叶う(伝わる)ことと違いはないように思います


たぶん、一生懸命頑張ったことだけを

神様はみてくれています

だから、違いはないと思います


叶わない(伝わらない)場合は、

それは誰のせいでもないよ

ということ


執着がなくなれば

痛みへの耐性と

辛さに寄り添える優しさがえられます


だから、一生懸命頑張った

ということの自信を持って

ただ歩めばよいように思います


一生懸命頑張らなくて

叶わない(伝わらない)のは当然です

反省や後悔を学ぶことかできると

次に繋がります



一生懸命頑張らなくて

叶って(伝わって)しまったら

驕りがでないように、運の良さに

感謝しないとです

謙虚さを持って有り難く進むのみです


一生懸命頑張れなくなったら

じっと休むのが良いですね

顔晴れるようになるまで


きっと大丈夫

自分のペースで自分を信じれるように

なったらまた一歩一歩、歩めばいいだけです



大笑

2021-08-25 03:52:00 | ひとりごと

タイショウと呼ばれる友がいます。

知り合ったとき、皆んなからタイショウ、タイショウって呼ばれていたから

大将だと思っていたら大笑からきたみたい。

彼女といるといつも大笑。とにかく明るい。


彼女とは15年ほど前知り合いました。

仲良くなったとき

彼女が私に沢山の本をくれました。

自分には必要なくなったから私へあげると。


その本はその後私が読んで

妹が病気になったときに

妹のもとへ行きました。


彼女が若いころ

涙が出なくなるほどの悲しみを

経験した事を教えてくれました。

具体的には割愛します。

涙がでるうちは大丈夫。

出なくなったら大変よと言っていました。


深い悲しみを乗り越えていました。

今は介護の仕事を天職として頑張っています。


大笑の明るさは、全てを笑って肯定します。

光を灯す彼女は大好きな友であり、

目指す存在です。







2021-08-24 03:10:00 | ひとりごと

人前に立って話すのは苦手です。しかし、そうしないといけない時、必ずその場所毎に氣を感じます。話し自体に興味がある人もいれば、興味無い人もいます。後者に話すとき、話す私はもう正直興味ないのにいる意味あるの?やめようか、お互いにとって良くないよ、と言いたくなります。


自営業なら、そう言うと思います。お互いにプラスの意味をみいだせないから。しかし、そうはいきません。仕事は仕事。私なりに精一杯努めます。仕事があることに感謝と気持ちを切り替えます。


反対に目の輝きを感じている相手が多い空間を感じる場所では、私まで相乗効果で楽しく嬉しく、もっと沢山伝えたくなりますし、私の感じる楽しみを目の前の皆んなにも伝え、みんなの目の輝きに一生懸命応えたくなります。


人を惹きつけるかどうかは話し手の腕の見せ所ですが、私は特に話術に長けているわけでもなく、なかなか難しいとこですね。


なぜ同じ時間同じような話しをしていてもそうも気持ちが変わるのか?それはその場の氣を全身で感じるからかもしれません。


氣は、雰囲気とか空気とか目に見えないですけど、とても重要な流れです。同じ空間に人がいて、そこでプラスのエネルギーを生み出すことも、マイナスのエネルギーを生み出すことも、全て人ひとりひとりにかかっているように思います。


たとえ、良くない空気の時でさえ数人が必ず、ありがとうございましたと笑顔で空間を離れて行く時、心の葛藤が少しだけ溶けていきます。


また、時間外に別の四方山話をしに来てくれたりすると嬉しいし、自分の弱点の相談をしに来てくれたり、悩みなんかを相談されると、俄然力になりたいと思います。


仕事はそんな事の繰り返しです。


氣はエネルギーです。自分に合った氣にいると、それはプラスですが、反対に、どうしても合わない氣にいると、様々な支障をきたします。人間関係は最たるもの。


だから、もしどうしても違う氣にいたらどっかで中和させないと、自分が壊れてしまいます。


聖人のように不動な心があれば周りの氣に影響されることはないのでしょうし、そこが到達目標ではあるのですが、私は未だ辛いことは辛いと感じる凡人に過ぎない。


自分を否定し続けたり、頑張り過ぎるのも、我慢するのも、辛いと思う環境なら程々にしないと、身体はだんだんとその見えない辛いを形に変えて表してくるかも。


外にも氣の流れがあるように、身体にも、心にも氣が絶えず流れているように思います。


水のようにサラサラと流れている時は良いのです。しかし、どっかで澱むことは人との交わりの中ではあります。


自分を責める事なく、合わないだけ、だってそれぞれ違う個性や特技や性格の人がより集まった中で生きるのがこの世なんだから、と考え方を変えたり、環境を変えて割り切ってみるのも良いかもです。


数年前に神社に行って、寒い時でしたが伊勢の五十鈴川の水に手をつけながら、暫くぼぉっとしていると、自分のモヤモヤが中和されて、よし、また氣を取り戻して生きようと思えました。




アンドレ修道士

2021-08-23 03:37:00 | ひとりごと

昔書いた日記を読み返していました。カナダの聖人アンドレ修道士のことを今日はご紹介したいと思います。


私がアンドレ修道士を知ったのは、20年ほど前ですが、私にとってはその後忘れられない人物となりました。


アンドレ修道士は、カナダのモントリオールに実際に存在していた人物で、病の人や歩けなくなった人を何人も完治させた人物です。


そして、笑うことの大切さを説いたり、どのような状況の中にある人にも尊敬の念を抱いて接した人物だったといいます。


アンドレ修道士の元を訪れて、実際に治った人が不要になった松葉づえを教会に奉納しており、私は実際にその教会を訪れ、奉納されている沢山の松葉づえを随分昔ですが見てきました。




私は日記に、パンフレットに記されたことを覚え書きしていました。


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アンドレ修道士は幼いころに両親を亡くし、勉学もままならず幼いころから働かざるをえず、恵まれた環境とは言えない中で育ちました。


神を信じ、そして幼いころから毎日欠かさず祈りをささげていたといいます。その後、アンドレ修道士が病の人を祈りの力で治したことから続々と病の人が訪れるようになりました。


アンドレ修道士を訪れた病の人は

病が治っても、治らなくても

皆、アンドレ修道士のもとでは癒されました。



アンドレ修道士の元で最期を迎える人でさえ、深い安らぎものもと天国へ旅立ちました・・。


・・・・・・・・・・・・


究極の癒しの状態とは、こういう状態だと思いました。どのような状況であっても、心の平穏を取り戻すという状態だと思います。


この話しを知るまで、病が治ることが癒しだと思っていたのですが、必ずしも治ることと癒しはイコールではないと教えてもらったように思います。


治った方に対しては、アンドレ修道士は、自分を通して神の力があなたの病を治させたと述べ、自らの力は無であると謙虚な姿で感謝の祈りを神に捧げたといいます。


アンドレ修道士はおそらく人間個々の持つ自分で自分を癒す力(自然治癒力)を究極に引出す手助けができる人物だったのではないかと私は思っています。


なぜなら、奇跡とよばれるような力はどの人の中にもあり、それを本当の意味で引出すのは自分自身(自神)だと思うからです。


祈る行為は、自分の中に安らぎや愛や許しといったものを引出し、自然治癒力や本当の意味で人の本来の姿である光のような部分を引き出す行為だと思います。


心の平穏を取り戻すこと、どのような状況でも一人一人がとても尊敬できる存在であり、たとえ愚かな行為を繰り返す人にさえ、自神がいます。


心を現象により左右されないよう守りぬくことは強い覚悟が必要かもしれません。そして、目を瞑り自分も無の境地、状況に左右される事なき平穏に至ることを目指していきたいです。





【画像はアンドレ修道士検索画像より】









2021-08-22 02:07:00 | ひとりごと

異空間だと思える山奥の神社にいきまし

た。優しい翁のような宮司さんがいて、

お話しすることができました。 







悪いものはこちらに全て置いていってく

ださいね。良いものは全て持ち帰ってく

ださねと優しく仰ってくださいました。



奥宮に続く参道に白い蟹と蛙がいまし

た。都会では見ない小さい姿にほっこり

しました。目に焼き付けてきました。


奥社では雨が小雨になりました。雨に打

たれながら参拝しました。禊の雨のよう

に感じました。


帰りの車中、大雨が止むとダブルの虹が

みえはじめました。だんだん空が紫にな

り紫雲のようでした。そして、先程の七

色の虹は赤い虹に変わりました。











虹はいいですね。

雨上がりの空もいいですね。

どしゃ降りの雨の後の虹に

心がフッと癒されました。