昔書いた日記を読み返していました。カナダの聖人アンドレ修道士のことを今日はご紹介したいと思います。
私がアンドレ修道士を知ったのは、20年ほど前ですが、私にとってはその後忘れられない人物となりました。
アンドレ修道士は、カナダのモントリオールに実際に存在していた人物で、病の人や歩けなくなった人を何人も完治させた人物です。
そして、笑うことの大切さを説いたり、どのような状況の中にある人にも尊敬の念を抱いて接した人物だったといいます。
アンドレ修道士の元を訪れて、実際に治った人が不要になった松葉づえを教会に奉納しており、私は実際にその教会を訪れ、奉納されている沢山の松葉づえを随分昔ですが見てきました。
私は日記に、パンフレットに記されたことを覚え書きしていました。
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アンドレ修道士は幼いころに両親を亡くし、勉学もままならず幼いころから働かざるをえず、恵まれた環境とは言えない中で育ちました。
神を信じ、そして幼いころから毎日欠かさず祈りをささげていたといいます。その後、アンドレ修道士が病の人を祈りの力で治したことから続々と病の人が訪れるようになりました。
アンドレ修道士を訪れた病の人は
病が治っても、治らなくても
皆、アンドレ修道士のもとでは癒されました。
アンドレ修道士の元で最期を迎える人でさえ、深い安らぎものもと天国へ旅立ちました・・。
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究極の癒しの状態とは、こういう状態だと思いました。どのような状況であっても、心の平穏を取り戻すという状態だと思います。
この話しを知るまで、病が治ることが癒しだと思っていたのですが、必ずしも治ることと癒しはイコールではないと教えてもらったように思います。
治った方に対しては、アンドレ修道士は、自分を通して神の力があなたの病を治させたと述べ、自らの力は無であると謙虚な姿で感謝の祈りを神に捧げたといいます。
アンドレ修道士はおそらく人間個々の持つ自分で自分を癒す力(自然治癒力)を究極に引出す手助けができる人物だったのではないかと私は思っています。
なぜなら、奇跡とよばれるような力はどの人の中にもあり、それを本当の意味で引出すのは自分自身(自神)だと思うからです。
祈る行為は、自分の中に安らぎや愛や許しといったものを引出し、自然治癒力や本当の意味で人の本来の姿である光のような部分を引き出す行為だと思います。
心の平穏を取り戻すこと、どのような状況でも一人一人がとても尊敬できる存在であり、たとえ愚かな行為を繰り返す人にさえ、自神がいます。
心を現象により左右されないよう守りぬくことは強い覚悟が必要かもしれません。そして、目を瞑り自分も無の境地、状況に左右される事なき平穏に至ることを目指していきたいです。
【画像はアンドレ修道士検索画像より】