大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

掃除

2021-08-21 01:10:00 | ひとりごと

掃除は大切です。

毎日毎日綺麗な所に居ること、

窓を開けて空気を循環させることは

氣を澱ませない様にすることに繋がります。



毎日、少しずつ埃は溜まります。

目には見えない埃が目に見える埃にかわ

り、そういう埃は次第と本来のものを美

しさから離れた姿にしていきます。



祓うべきは心の垢と周利槃得悟りました。



心の垢は、部屋に溜まる埃の様には見えません。

現実の有無に関わらず勝手に描く悪い

想念、そして、それによる悪い言葉が

心の垢になるような気がします。



祓うべきは心の垢。

掃除を毎日毎日継続しながら

ちりを払わん、垢を除かん

と声に出して言いながら、

それは心に染み込んで

掃除行により槃得は自神を悟りました。



私は荒行は苦手だけど、掃除は好き。

気持ちが良くなる。

冬でさえ、全ての窓をあけると

空気がピンとして気持ちが良いです。



嫌な事がある時ほど、たくさんの要らな

いものを捨てる時かもしれません。

己の愚かさを気づく時かもしれません。



掃除をしながら、

私の心のちりを祓わん垢を除かん

と声に出していってみようかな。笑



自神を隠す心の垢を祓うことにより

何も欠けることのない光の自分に

近づいていくような気がします。







愛が満ちるまで

2021-08-20 03:45:00 | ひとりごと

キリスト教では、神は愛といいます。

私はクリスチャンでは無いけれど良い言葉ですね。


愛が試されるとき目の前の全ての苦しみをきちんと見て、苦しみの原因を深く辿る道を余儀なくされます。

 

原因があり結果があるのでしょう。

ただ、その原因は過去だから、今原因がわかったとしても、わからなくても変える事は出来ないです。


また、今起こる結果は昇華の過程とも言えそうです。

霧散していつかは消えます。

もがかないでも、もがいても消えます。それなら、もがかないで、冷静にいる方が傷が少なくてすむのかもしれません。


そんな時は苦しいですけど、一日一日逃げないできちんと受け止め歩むだけです。


神様がもう大丈夫というまで。


愛が満ちたよと染み込んでわかるまで。



自分のルーツを大切にする

2021-08-19 06:30:00 | ひとりごと

小さい頃、幽霊やおばけが見えないけれど怖くてトイレに1人でいけず、必ず実家では隣に寝ていた祖母を起こして連れて行ってもらいました。


夏になると、幽霊をみたとかいうテレビがあり、怖くて怖くて。今思うと、笑えます。幽霊はいますよね。今なら、死んだら、自分だって幽霊だ幽霊だって怖がられたら嫌だなぁと思うし、成仏していないなら、成仏して欲しいなとお線香をあげます。


津野町は私が幼い時は東津野村と呼ばれており、夏休みは長い間遊びにいきました。山、川、裏山は先祖代々の墓地が並びます。お風呂は離れにあったり、トイレも怖かった。笑。


夜は真っ暗になり、窓から山が見えるので、夜遅くまで起きていると山姥が来るかもとか、勝手に空想しさらに怖くて寝れないとかありました。


起きちゅう?

といつも隣に寝ていた妹に聞くと、無言で寝息が聞こえてきたりしました。すると、あーまた先に寝られた、あーどうしよう、最後の1人になった!と布団を頭から被りぶるぶるとしたりしていました。


幽霊をみたこともないのに、今では、どうしてあんなに怖がりだったのか笑えます。金刀比羅様の真下が母の実家です。神様がずっといてくださったのに、山姥がくるとか勝手に想像していたので申し訳ないです。


幼い頃を思い出すと、四万十川で遊んだこととか思い出します。ある日かなり大きな蛇の脱皮したホースのような長い抜け殻を遊んでいたら川辺で見つけた事もありました。母にこれ何?と持っていくと、母はびっくりして元に戻しちょきと。しかし、おばさんが、抜け殻やん、すごいねぇ、こんなんおったんやぁ、要らんかったらちょうだいというのであげました。金庫に入れちょかないかんとか言ってました。笑


また、お宮の下でたまごを発見したことも。母に何のたまごやろ?って聞くと、蛇かもしれんねぇ、と。


どんだけ、蛇がいるのか!?と小さい頃はまたまた怖かったです。笑。


今でも良い思い出です。今私の子供達にとっては高知市内が田舎となります。田舎が都会の方も多い今、娘には良き田舎。私にとってはオアシスのような地。高知。 

人の情が深く人懐っこい。曲がった事は嫌いと、なんとも激しい所もあり、合う合わないは分かれるかもです。笑。食べ物は兎に角美味しい。何でも美味しいのですが、実家に帰ったら食べる母の味がやっぱり一番美味しい。お母さん大好き!良くなる!良くなる!


高知は高知家。誰かが旅行なんかで一人旅すると、おまん、どっからきたがかね?とすぐ話しかけます。1人かえ?一緒に呑まんかえ?と多分すぐ呑み友達。すぐ家族。多分、好き嫌い分かれますよね。笑。南海キャンディーズの山ちゃんは、高知の気質をこよなく愛してくれる、愛すべき芸人さんです。


高知のその更に奥にある津野町。幼いころ、遠く感じた田舎。私がいつかこの世にいなくなり参拝できなくなっても、子供達にはたまに津野山大神の鎮座する地を参拝して欲しいなと思ってしまいます。


夫のルーツの大分や、大阪もきちんと行きたいです。お墓は両親がこちらに移し守っていますので、私たちも守り続けます。

いつか子供たちにも先祖を大切にする心を持ってほしいなぁと思います。



無為自然

2021-08-18 02:38:00 | ひとりごと

朝起きてから夜寝るまで頭は色々と考えてしまいます。

良い事も悪いことも。


無になることが無いのが今だし、無になりにくいのも今だと思います。


滝に入る時でさえ強く叩く水を受け止める岩になりたいと思いました。

また、落ちて砕けた後またゆっくりと流れる水になりたいと思いました。


滝行がはじまると、自分と水だけでした。

南無大師遍照金剛と何度も唱えました。

あれこれ考えることなんてできない。

無心になる事が行の目的のひとつかなとも思いました。


いや、更には目的も考えたりせずに、そう想う事さえ思わなくなる境地が無為自然。


想念を創るのは自由だけどこれまた良い悪いが少しずつ混ざりぐらぐら天秤に揺れています。

ぐっと悪い想念ばかり自分でつくると、本当に目に見えないところの悪いものを引き寄せる怖さがあります。


だから、心に決めます。

思いを持つ段階なら善い思いを持つことを。

笑顔、笑顔。

心配したって憂えたって変わらない。

自分がただ善くなると決める。

悪くなりようがなくなります。


もっと先の段階では、無になる。

良い悪いの想念の世界から解き放たれたら、そこは本来無の世界。


宇宙が無から出来たように、私の心も無になると、あとは神様が有を作って成長を望んだように、自分も状況に左右されず成長するしかない境地に至ります。


真っ逆さまに落ちる滝の水でさえ、重力に逆らわず落ちただけ。そして砕けてまた流れるだけ。自然のままに。


2021-08-17 14:12:00 | ひとりごと

善であり続けるのは、

己の中にある悪を炙り出して

これでもかと苦しめてなお

善に留まれるか

悪をも善で

抱きしめることができるのかを

試されることなのかもしれない


悪人の如き振る舞いさえ

もしかしたらその弱さゆえ

魔に支配されてしまった

愚かな悲しい性かもしれない


その苦しみを味わい

己の愚かさを自覚し

己の仏性のかけらを

取り戻しはじめたら

自ずと変わるのかもしれない


優しさは善であり

悪く振る舞う人の中の

弱さや悲しみを

感じとる事かもしれない


私は善であり続ける