小さい頃、幽霊やおばけが見えないけれど怖くてトイレに1人でいけず、必ず実家では隣に寝ていた祖母を起こして連れて行ってもらいました。
夏になると、幽霊をみたとかいうテレビがあり、怖くて怖くて。今思うと、笑えます。幽霊はいますよね。今なら、死んだら、自分だって幽霊だ幽霊だって怖がられたら嫌だなぁと思うし、成仏していないなら、成仏して欲しいなとお線香をあげます。
津野町は私が幼い時は東津野村と呼ばれており、夏休みは長い間遊びにいきました。山、川、裏山は先祖代々の墓地が並びます。お風呂は離れにあったり、トイレも怖かった。笑。
夜は真っ暗になり、窓から山が見えるので、夜遅くまで起きていると山姥が来るかもとか、勝手に空想しさらに怖くて寝れないとかありました。
起きちゅう?
といつも隣に寝ていた妹に聞くと、無言で寝息が聞こえてきたりしました。すると、あーまた先に寝られた、あーどうしよう、最後の1人になった!と布団を頭から被りぶるぶるとしたりしていました。
幽霊をみたこともないのに、今では、どうしてあんなに怖がりだったのか笑えます。金刀比羅様の真下が母の実家です。神様がずっといてくださったのに、山姥がくるとか勝手に想像していたので申し訳ないです。
幼い頃を思い出すと、四万十川で遊んだこととか思い出します。ある日かなり大きな蛇の脱皮したホースのような長い抜け殻を遊んでいたら川辺で見つけた事もありました。母にこれ何?と持っていくと、母はびっくりして元に戻しちょきと。しかし、おばさんが、抜け殻やん、すごいねぇ、こんなんおったんやぁ、要らんかったらちょうだいというのであげました。金庫に入れちょかないかんとか言ってました。笑
また、お宮の下でたまごを発見したことも。母に何のたまごやろ?って聞くと、蛇かもしれんねぇ、と。
どんだけ、蛇がいるのか!?と小さい頃はまたまた怖かったです。笑。
今でも良い思い出です。今私の子供達にとっては高知市内が田舎となります。田舎が都会の方も多い今、娘には良き田舎。私にとってはオアシスのような地。高知。
人の情が深く人懐っこい。曲がった事は嫌いと、なんとも激しい所もあり、合う合わないは分かれるかもです。笑。食べ物は兎に角美味しい。何でも美味しいのですが、実家に帰ったら食べる母の味がやっぱり一番美味しい。お母さん大好き!良くなる!良くなる!
高知は高知家。誰かが旅行なんかで一人旅すると、おまん、どっからきたがかね?とすぐ話しかけます。1人かえ?一緒に呑まんかえ?と多分すぐ呑み友達。すぐ家族。多分、好き嫌い分かれますよね。笑。南海キャンディーズの山ちゃんは、高知の気質をこよなく愛してくれる、愛すべき芸人さんです。
高知のその更に奥にある津野町。幼いころ、遠く感じた田舎。私がいつかこの世にいなくなり参拝できなくなっても、子供達にはたまに津野山大神の鎮座する地を参拝して欲しいなと思ってしまいます。
夫のルーツの大分や、大阪もきちんと行きたいです。お墓は両親がこちらに移し守っていますので、私たちも守り続けます。
いつか子供たちにも先祖を大切にする心を持ってほしいなぁと思います。